4thアルバム『ライク・ア・プレイヤー』(1989年3月リリース)
燃える十字架の前で歌うマドンナ。そのとき、音楽の世界が変わった!
「ライク・ア・プレイヤー」 1989年2月リリース。全米1位、全英1位
十字架ってセクシーだわ、だって裸の男がついてるのよ。
マドンナ
明らかに1983年のボニー・タイラーの「愛のかげり」からインスパイアされた作品であり、ビデオクリップなのですが、イヴ・サンローランのデザインがそうであるように、マドンナの存在の凄さは、彼女のフィルターを通すと、新たな生命力が吹き込まれるということです。十字架を燃やし、黒人差別を盛り込み、異人種間(特に白人と黒人)の恋愛というタブーさえも盛り込み、新たなる音楽の領域を人々の目の前に示したのでした。
マドンナはどんな形であれ、世間が反応するものをやりたがるんだ。六個もの燃える十字架をバックに丘で踊ってたら、そりゃ誰かが何か言い出すに決まってるだろ。
パトリック・レナード(共同プロデューサー)
1989年1月、ショーン・ペンと離婚したマドンナ(母親が乳癌で死去した31歳を迎えようとしていた)は、このアルバムにおいて、第3形態へと変身を遂げたのでした。それは、アイドル性を完全に捨て去り、最先端モード・マシンへと進化を遂げたファッショナブル・アンドロイドの姿でした。この曲はマドンナにとって「とても重要な精神的な内容を多分に含んだ曲」であり、「あらゆる要素を詰め込んだ濃厚な曲」だったのです。 だからこそ、ファッションは、シンプルに削ぎ落とされたのでした。
あのビデオを見たとき、思わず「そうよね、彼女ってメチャクチャ素晴らしい」って言ってしまったほど、彼女はあの曲ですべてのボタンを押してしまったーお見事。そして、ペプシがあのビデオを理由にマドンナとの契約を打ち切ったとき、彼女は彼らからお金を巻き上げたばかりか論争を利用してビデオをもっと大きな話題にさせたから、みんなが見たー誰も彼もがね。ペプシはあんなふうに彼女を引きずりおろした結果、実際彼女を押し上げることになってしまった。マドンナはどうやって物事を動かすかを知っていたのよ。
シンディ・ローパー
『ライク・ア・プレイヤー』ライブ・パフォーマンス
ブロンド・アンビション・ツアー、1990年。
ライブ・フロム・パリ、1991年。
スティッキー&スウィート・ツアー、2008年、ブエノス・アイレス。
スーパーボウル2012。ハーフタイムショー。マドンナ・メドレー。