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マドンナ伝説6(3ページ)

マドンナ
マドンナ
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ポップスターとは何か?

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「トゥルー・ブルー」 1986年9月リリース。全米3位、全英1位

マドンナは熱愛中だった。はっきりしているのは、恋をしているときマドンナはラヴ・ソングを書くし、そうでないときには絶対にラヴ・ソングは書かない、ってことだ。

スティーヴ・ブレイ(共同プロデューサー)

1985年8月にショーン・ペンと結婚し、大恋愛中だったマドンナのこの曲は、彼に対する真実の愛を歌うものでした。1960年代のモータウンの女性グループのような曲調(1957年のフォードのサンダーバードのコンバーチブルに乗って)です。日本においては、この曲とタイアップした三菱HiFiビデオデッキのテレビCMで、本当の意味でマドンナは、日本中の老若男女にまで知られる存在となりました。

この第2形態において、マドンナは、ハリウッドのエアロビクス・クラスに通い作り上げたボディを誇示するのですが、この曲においてはそれほどの露出はしていません。しかし、テレビCMの中のマドンナは違います。もうどうしようもないくらいに彼女に夢中になってしまいそうな、女性の持つすべての魅力に満ち溢れています。

MTVとテレビ時代である1980年代は、バブル時代の到来と共に、ポップカルチャーに席巻されます。ここでマドンナが言った言葉で実に興味深い言葉があります。

歌を始めた頃、クリッシー・ハインド(プリテンダーズのヴォーカル)にはすごく触発されたわ。すばらしい声をしてるし、ガッツがあると思ったのよ。

マドンナ

『ポップ』っていう言葉はポピュラー(人気者)の略だけど、人気者であり続けるためには自分の意志を持ったり、ズケズケものを言ったりしちゃダメなのよ。あまのじゃくは人気者にはなれないの。もしジャニス・ジャプリンが今この世に生きてたとしたら、一般受けするアーティストではなかったと思うわ。クリッシー・ハインドのレコードは、マライア・キャリーほどは売れないでしょ?それはマライアやホイットニー・ヒューストンには、自分の考えなんてこれっぽっちもないからよ。

マドンナ

真実の青。当時のマドンナもまたどんどん白くなっていた時代でした。

ワンピースの下はカプリパンツです。

このファッションは、15年後に世界的にリバイバルしました。

かなり凝ったブルーのワンピースです。実は、セパレーツ。

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『トゥルー・ブルー』ライブ・パフォーマンス


フー・ザット・ガール・ツアー。1987年。日本。