マドンナ・コンサート・スタイル28 ドラウンド・ワールド・ツアー3
- ジャン=ポール・ゴルチエによるパンクとスコティッシュ・ファッションの融合
- ジップ・ブラック・パンツ、ディースクエアード
- タータンニットのボンデージ・ストラップ
- ドッグカラー
- ぼろ加工ノースリーブトップとネットシャツ
- スワロフスキーで覆われたブレスレット
マドンナ・コンサート・スタイル29 ドラウンド・ワールド・ツアー4
- 映画『グリーン・デスティニー』(2000年)からインスパイアされたステージ演出
- 黒髪ウィッグに白化粧
- ジャン=ポール・ゴルチエの赤と黒のゲイシャ・キモノ(ハンドペイント)。約8メートルの長い振袖付。ダンスのために取り外し可能
- 下駄のようなレッドサンダル
マドンナ・コンサート・スタイル30 ドラウンド・ワールド・ツアー5
- ドルチエ&ガッバーナのファーコート
- マザーシャツ。バックには「ファッカー」とプリントされている。ドルチェ&ガッバーナ
- ブラックベルト
- バーガンディーのベルベット・フェドラ。ドルチェ&ガッバーナ
- タイト・ブラックジーンズ
ちょっとしたお遊びとして昔の曲を入れたかったの。「ホリデイ」はどこでやってもウケたみたい。それにこれまでに出した昔の曲の中で、あたしは成長しすぎてこれは歌えない、なんて思わずに歌える唯一の曲なのよ。
マドンナ
当初このワールドツアーは1999年に行われる予定でした。しかし、ガイ・リッチーとの結婚、映画『2番目に幸せなこと』の撮影によるスケジューリングの難しさにより延期されました。そして、マドンナはミレニアムを迎えるニューイヤー・イヴに最終日を迎えるツアーを行いたいと考えていました。結局は、その計画も延期され、ミレニアム・イヤーである2001年にワールド・ツアーは開催されました。
コンサートは、サイバーパンク、ゲイシャ、カウガール、スパニッシュ、ゲットーの5つの世界観に分けられたかなり凝ったものであり、リハーサルは多忙を極め、一日13時間。さらに楽器を演奏できなかったマドンナは、それを克服するためにギターを約1年前から毎日学び、コンサートにおいて初披露することになります。そんなマドンナに対して振付を担当したジェイミー・キングは、「彼女のどこにそんな時間があったの?」と驚いたと言われています。
このコンサートは、2001年に最も売れたコンサートの4位になりました(U2,イン・シンク、バックストリート・ボーイズに次いで)。このコンサートにより、マドンナはポップ・ミュージックの女王の座を戴冠したと言えるほど、視覚的にも一大スペクタクルとも言える大掛かりなショウでした。
40代を越えても、出産した後でも、これだけパワフルなコンサートが出来るマドンナ。そこに、ファッション&プロダクト・デザイナーとの創造性、さらには異文化とのフュージョンを取り入れ、ひとつの形を作り出すというパワフルな姿勢から、私たちが見習うべき部分は少なくないはずです。女性、ゲイ、40代以上の男女にとってのアイコンとして、このワールド・ツアーの成功により、マドンナはマドンナという言葉のすべてを自分のものにしたのでした。