誰もがジョアンナ・シムカスに夢中になるオープニング
この作品の美しさ。それは3人の大人が、子供のように無邪気になる瞬間が美しいところにあります。人生で一番の悲劇は何でしょうか?それはこういう美しさを持たない大人になることです。ファッション・アイコンが生まれる映画の鉄則なのですが、そこには必ず魅力的な男優陣が競演しているのです。
リノ・ヴァンチュラ(1919-1987)とアラン・ドロン(1935-)。男の魅力が詰まっています。男性にとってタイムレスな魅力です。アラン・ドロンがどの作品よりも輝いて見えます。一人の美女を前にして見せる男たちの無邪気な可愛らしさが、映画の中に閉じ込められています。かつ本当に日焼けしています。リノ・ヴァンチュラの中年男ぶりも、意識したチョイ悪ではない所が、本当に魅力的です。私が、プチプラ族以上に嫌悪感を感じるのは、チョイ悪オヤジ族です。あの成金テイストを見ていると、ファッションが生み出す陳腐さをいやと言うほど見せ付けられます。そして、この両族に共通しているのは、操り人形のような自分の無さなのです。
レティシア・コーデ1 コートの襟を立てて、上からスカーフを巻きつける。
- 白い柄つきのレッド・スカーフ
- 黒のピーコート
- ブルーのタートルネックのセーター
- モスグリーンのコーデュロイパンツ
- 靴はローファー
- バーバリーのマフラー
後のシーンで、この黒のピーコートは、フリンジつきのブルーのマフラー(もちろんコートの上に巻く)にブルージーンズのアンサンブルで再登場する。
フランソワ・ド・ルーベの「レティシア」のテーマ曲
ギザギザした男臭いテーマ曲の導入部から一転して、レティシアが自転車をひいて草の道を歩く中、哀愁を帯びた口笛が聞こえる。もうこの瞬間、この作品がなぜ同時代の人々に愛され続けているのかが、はっきり分かりました。漫画で言うなれば恐らく上村一夫の「同棲時代」のテイストなのでしょう。フォークがバックに流れて、Tシャツ、ジーパンになぜか下駄みたいな。生まれていない私が懐かしさを感じられる空気がそこにあります。
レティシア・コーデ2 オール・レッドにブルーのアイシャドー
- 赤のスカーフ
- ローゲージの赤のカーディガンに赤の薄いニット
- 少し明るめの赤のコーデュロイパンツ
レティシア・コーデ3
- バーバリーのベージュのステンカラーコート。内側はバーバリーチェック
- あずき色のカーディガンにひざ丈のブラウンのスカート、またはローゲージのグレー・ニットワンピ
- ベージュの厚手のパンストにブラウンのブーティ