ジャック・ポルジュ シャネル帝国を創った男

調香師スーパースター列伝
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調香師スーパースター列伝
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ジャック・ポルジュ

Jacques Polge 1943年6月14日、フランス・プロヴァンス地方の街リル・シュル・ラ・ソルグ生まれ。1978年から2015年まで、シャネルの専属調香師として、「ココ」(1984年)を皮切りに、「エゴイスト」(1990年)、「アリュール」(1996年)、「ココ マドモアゼル」(2001年)を生み出し、2003年には、ミレニアム世代の獲得に成功した「チャンス」を創造しました。

2007年には、シャネルのプレステージ・コレクションとして「レ ゼクスクルジフ ドゥ シャネル」をスタートさせ、2010年には11年ぶりのメンズ・フレグランス「ブルー ドゥ シャネル」を大ヒットさせました。

2013年9月には息子のオリヴィエ・ポルジュが合流し、2015年にオリヴィエが四代目シャネルの専属調香師を継承することになり、ジャックは引退しました。

私は詩を愛する者です。詩的な側面がなければ、現実はどうなるでしょうか?たとえ詩に興味がなくとも、詩は日常生活において重要な役割を果たしています。私は香りを愛する者であり、香りは詩の一形態です。言葉を発することはありませんが、多くのものを与えてくれます。

ジャック・ポルジュ

代表作

1932(シャネル)
アリュール (シャネル)
アリュール オム エディシオン ブランシュ(シャネル)
エゴイスト (シャネル)
ガーデニア(シャネル)
ココ (シャネル)
ココ マドモアゼル (シャネル)
チャンス オー タンドゥル (シャネル)
N°19プードレ (シャネル)
ブルー ドゥ シャネル (シャネル)
リヴ ゴーシュ (イヴ・サンローラン)

【シャネル香水聖典】嘘をつく香り。嘘が真実になる香り

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シャネルを復活させた3人の男たち

「N°5 オードゥ トワレ」のボトルを持つシャネルの三代目調香師に就任したばかりの若き日のジャック・ポルジュ。1981年4月 ©CHANEL

1981年 ©CHANEL

かつて世界三大調香師のひとりに数え上げられた男ジャック・ポルジュ。©CHANEL

別名「シャネル帝国を創った男」。更なる別名「太陽を盗んだ男」。

今では、貧富の差関係なく、世界中の女性の憧れの象徴に登り詰めたシャネルですが、1970年代後半シャネルは存亡の危機に立たされていました。

そんなシャネルを復活させたのは創始者であるガブリエル・ココ・シャネルのような女性ではなく、3人の男性でした。一人は、1974年にシャネルのCEOに就任したアラン・ヴェルタイマー(シャネル・ブランドの所有者ピエール・ヴェルタイマーの孫息子)であり、もう一人は、1982年にデザイナーに就任したカール・ラガーフェルドでした。

そして、最後のもう一人は、ジャック・ポルジュでした。シャネルのすごい所は、ファッションと同じレベルまでフレグランスを引き上げ、そこに、1924年から発売されているメイクアップ・ライン、1927年から発売されているスキンケア・ラインを強化したコスメティックという甲冑を身に纏ったところにあるのです。

今では、ファッション・ブランドでシャネルに匹敵するコスメラインを持つブランドはディオール以外存在しません。

ジャック・ポルジュは、シャネルの香水の「古めかしい」イメージを、「最も新しい」というイメージに変えました。それは1978年から2015年まで、ただシャネルのためだけに専属調香師としてシャネルの香りを創造した、そのスタンスが生み出した努力の賜物でした。

こうして今存在する多くのラグジュアリー・ブランドのフレグランス部門における目指すべき山は、シャネルただひとつとなり、エルメスをはじめとする、多くのブランドが専属調香師制度を導入するに至ったのでした。

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ジャック・ポルジュの生い立ち

森進一にも似た、歌がとても上手そうなルックス。©CHANEL

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私は、ただ新しいフレグランスを創造することには興味がありません。それは、古いものにとって変わり、また少し立てば、さらに新しいものがそれに取って代わるというサイクルを生み出すだけの状況になってしまうからです。私はシャネルは、歴史ある香りを生み出していくべきブランドであると自負しています。たとえ、若い人々に向けた香りであっても、それはタイムレスなものでなければならないと考えています。つまりは、ただ流行を捉えた若い人の香りを創造する事には興味がないと言うことです。

ジャック・ポルジュ

ジャック・ポルジュは、1943年6月14日にフランスのプロヴァンス地方の街リル・シュル・ラ・ソルグで生まれました。父親は、調香師ではなく医者でした。

何不自由なく育てられたジャックは、少年期には、夏のバカンスの家族旅行で、毎年カンヌの海で泳いでいました。そして、その途中で立ち寄るグラースの街に彼は夢中でした。ローズやジャスミン、ヴァイオレット、オレンジブロッサムの花畑の香りに魅了されていました。

子供の頃にジャックが、最も影響を受けた香りは、母親が身につけていたランバンのアルページュのボディクリームでした。そして、12歳から18歳まで偶然そのグラースに引越しすることになり益々香りに興味を持つようになりました。

その後、エクス=マルセイユ大学で、化学を専攻しなかったものの英語と文学の学位を取り、大学卒業後に、グラースでルール社(1991年にジボダンと統合された)に入社し、3年間「マ グリフ」の生みの親でもあるジャン・カールに師事しました。

そして、1969年にニューヨークの支社へと転勤し、1970年より調香師としてのキャリアをスタートすることになりました。この時の同僚が、後に「オピウム」を調香することになるジャン=ルイ・シュザックでした。ニューヨーク生活の経験がジャックに与えた影響は「爆発的でした」と回想しています。一流になる調香師のほとんどが、ニューヨーク生活を送っています。

やがてベトナム戦争における兵役のためにパリに戻ることになり、ルール社を辞め、ドラゴコに所属していた1978年に、シャネルから三代目専属調香師のオファーが飛び込んできたのでした。そして、まず最初に当時80歳になろうとしていた二代目専属調香師であるアンリ・ロベールと共に、六ヶ月間働くことになったのでした。

当初ジャックは、その当時シャネルでは、ほとんど新しい香りが生み出されていなかったので、すぐに辞めることになるだろうと考えていました。

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シャネル帝国の逆襲

「私はココ・シャネル本人と会ったことはない」

シャネルの最上級の原料をチェックするのも専属調香師の務めだ。©CHANEL

息子のオリヴィエが23歳の時、突然香水に熱中しはじめました。そして私と同じ道を志すようになったので、彼を思いとどまらせようとしたんです。でも、自分にそんな権利はないって気づいたんです。

でも彼を偉大な調香師に育てるなんて無理なんです。不可能なんです。でももちろん、今ではいつか彼もシャネルの調香師になってくれることを願っています。だって、香水を心から情熱的に愛する者にとって、それは世界で一番素晴らしいポジションですから。

ジャック・ポルジュ(2004年のインタビュー)

そんな懸念とは裏腹に、ジャック・ポルジュは、1981年にシャネル・デビュー作としてメンズ・フレグランスの「アンテウス」を発表します。

以後1984年にオリエンタル・ブームの集大成として「ココ」、1990年にメンズ・フレグランスに革命を起こした「エゴイスト」、1996年につける人によって香りが変わる「アリュール」、2001年に今ではキーラ・ナイトレイの香りとなった「ココ マドモアゼル」、2003年に21世紀のシャネルの香りを打ち出した「チャンス」、2007年にシャネルのプレステージ・コレクションとして「レ ゼクスクルジフ ドゥ シャネル」をスタートさせ、2010年には11年ぶりのメンズ・フレグランス「ブルー ドゥ シャネル」を創造したのでした。

そうです、ジャックは、着実にシャネル帝国の聖帝十字陵を積み上げていったのでした。そんな彼が絶え間なく継続していることが一つありました。それは定期的な「N°5」の品質チェックでした。「この香りを昔のままの姿で残すこともシャネルの専属調香師の役割なのです」。

2005年12月以降、クリストファー・シェルドレイクがシャネルに参加し、2013年には息子のオリヴィエ・ポルジュが合流し、2015年にオリヴィエが四代目シャネルの専属調香師を継承することになったのでした。

フレグランスは、常にファッションの後に続くべきだ。そして、詩とフレグランスは、姉妹であり、兄弟のようなものです。

ジャック・ポルジュ

ジャック・ポルジュは、現役時代、必ずシャネルのファッション・ショーに出席していました。それは、自分のブランドのファッションの流れを香りに反映させてこそのファッション・ブランドのフレグランスという意味からでした。