ホリデイ
Holiday マドンナの記念すべき初ヒット曲。そして2005年のインタビューにおいて、マドンナ自身が最も好きな曲と言っていた曲。
このうろつくような「ホリデイ・ダンス」から、マドンナのマドンナ伝説は始動したのでした。計算された動きを、軽やかなリズムに乗せて行うということは、つまり、男性を手玉に取るということと同義的であり、この曲から明確にマドンナは、青少年を性の目覚めに導く堕天使のイメージを構築していく、完全犯罪に取り掛かることになりました。
概要

日本で発売された「ホリデイ」シングル。700円です。

曲名:ホリデイ
原名:Holiday
リリース:1983年9月
最高順位:全米16位、全英2位
マドンナ始動する。

ヴィヴィアン・ウエストウッドの1983年春夏「パンカチュア(Punkature)」コレクションのトップスを愛用。

あたしには独特のスタイルのセンスがあると思うわ。みんな知らず知らずのうちにあたしの真似をしてるのよ。あたしのスタイルにはいろんな要素が混じってて、みんなのもそうなの。それって偶然か、でなきゃあっちがあたしの真似をしてるってことでしょ。一目瞭然よ。時々あたしの真似をしてる人を見かけて、キュートだって思うときがあるわ。わかる?でもそうは思えないときもあるの。
マドンナ
1983年7月にリリースされたマドンナのデビューアルバム『バーニング・アップ』に収録された彼女の記念すべき最初のヒット曲は、実は収録される予定だった別の曲の代わりとして、僅か一週間の制作期間で、土壇場で追加されたものでした(『ブラジル大作戦』のリッチー・ファミリーが歌う可能性もありました。)。
黒人の女性アーティスト向けに準備されていた曲だったのですが、1983年9月7日に第三弾シングルとしてリリースされ、結果的にマドンナにとって初のダンス・ソング・チャートNo.1にも輝きました(「ラッキースター」との両A面シングルとして)。公式のミュージックビデオは制作されませんでした。
1986年、オランダのラップ・デュオ、MCマイカーG&DJスヴェンによる「ホリデイ・ラップ」が世界的にヒット(アメリカを除く)しました。この曲はマドンナの「ホリデイ」をサンプリングし、クリフ・リチャードの「サマー・ホリデー」のコーラス部分をミックスした曲でした。
ちなみにB面の「I Know It」は、当時まだ新しかったシンセサイザーを使ったダンスポップでした。
マドンナ・ルック3 小悪魔スタイル
- 基本はマライヒのように片眼を隠す
- 肩出し、へそ出しブラックカットソー
- 膝丈のブラックのサルエルショートパンツ
- ブラックショートソックス
- ブラックショートブーツ。バックル付き
- ブレスレットの重ね付け
- シルバーチェーンベルト
- 十字架のデカイヤリング

マドンナにより、へそ出しスタイルが大流行しました。

一度目にすると忘れられない独特なマドンナのダンス。



オールブラック・スタイルの小悪魔マドンナ。

元祖サルエル・スタイル。
マドンナ・ルック4 グラディエーター・ダンススタイル
- 基本は頭にリボン等のアクセ
- 活動的なタンクトップを重ね着、もしくはモヘアのセーター
- 両手には、ブレスレットのアクセ特盛り
- スパッツに蛍光ソックス
- グラディエーター・ダンスシューズ

ローゲージのセーターにおいてもブレスレットの重ねづけ。





マドンナのアイコン・アイテムの一つ。それはタンクトップ。
マドンナ・ルック5 モヘアセーター
- 初期のマドンナは、色々なセーターを着こなしていました。
- そこに見事なアクセ盛りのバランス感覚。
- 下も重くならないように見事にカラーバランスを取っています



モヘアのセーターをさりげなくロールアップ。




モヘアのセーターをロールアップしてアクセ盛り。
マドンナ・ルック6 ローゲージ・セーター
1983年3月から4月にかけて、マドンナは、マーティン・スコセッシ監督の映画『最後の誘惑』のオーディションを受けました。マドンナは選ばれず、プロジェクトも中止され、1988年にウィレム・デフォーとバーバラ・ハーシーにより映画化されました。
しかし、この時、キャスティング・ディレクターの女性が、マドンナのカリスマ性に感銘を受け、彼女の息子であり駆け出しのフォトグラファーだったリチャード・コーマンに紹介して撮影されたのが以下の写真です。

マドンナとローゲージセーターの意外な組み合わせ。

マドンナは、本当に着こなしが上手です。



オフホワイトのローゲージ・セーター。

珍しい雰囲気のマドンナのスタイリングです。

このローゲージのセーター。カラーバランス等全てが良いです。




マドンナが英国人気を獲得した瞬間。
私たちは1984年1月の或る朝8時にヒースロー空港に到着した。飛行機の中で眠れなかったため、体調は最悪だった。ロンドンは寒くて、じめじめしていて、どんよりしていた。アールズコートの安宿にチェックインし、少し眠ろうとしたところ、車が迎えに来て、BBCスタジオへと連れて行ってくれた。
翌日、私たちはイギリスでナンバーワンの音楽番組『トップ・オブ・ザ・ポップス』に出演することになっていた。楽屋に入ると、待機するように言われた。私たち4人はとても緊張していました。クラブ風のセットか何かでパフォーマンスをするものと思っていたが、そうはならなかった。私たちはステージセットに案内されたが、そこには観客全員が私たちの周囲に立ち尽くしていた。
マドンナは濃いアイシャドウに濃い赤の口紅、巻き髪で、ハイウエストのレギンス、レッグウォーマー、そしてカラフルなTシャツを着ていた。彼女が「ホリデイ」を口パクで歌い、エリカと私はバックでいつもの振り付けを披露した。あまり反応のない観客の前でパフォーマンスをするのはとても居心地が悪く、結局、拍手もほとんどなかった。ショーが終わってほっとした。
その後、当時ロンドンで唯一まともな食事だったインド料理店へ行った。あのショーがいかに奇妙だったか、生歌を歌わず、叫んだり応援してくれたりする観客がいないことがどれほど不自然だったかについて話し合った。
クリストファー・チッコーネ(マドンナの弟で、バックダンサー)『Life with my Sister Madonna』
1983年にロンドンとイタリアでプロモーション活動するも上手くいかなかったマドンナは、1984年1月にイギリスで最も有名な音楽番組『トップ・オブ・ザ・ポップス』に出演します。
マドンナたちはしっくりこなかったこのパフォーマンスにより、イギリスでの人気も沸騰することになりました。
「ホリディ」TV&ライブ映像集
フランスのTV(1984)この衣装がとてもカワイイです。
ライブ・エイド(7/13/1985)JFKスタジアム、フィラデルフィア
ヴァージン・ツアー(1985)デトロイト、ミシガン
フー・ザット・ガール・ツアー(1987)日本
フー・ザット・ガール・ツアー(1987)イタリア
ブロンド・アンビション・ツアー(4/27/1990)横浜
ブロンド・アンビション・ツアー(4/27/1990)
ザ・ガーリー・ショー・ツアー(11/19/1993)シドニー
ドラウンド・ワールド・ ツアー(2001)ミシガン
