オードリー・ヘプバーンのすべて【1952】(3ページ)
1952年という一年は、オードリー・ヘプバーンが実質的に誕生した一年でした。それは正確には、ローマの初夏から始まる111日間の『ローマの休日』の撮影を指します。
そして、日本をはじめとする世界中の国々では、まだ誰も彼女の存在を知りませんでした。
オードリー・ヘプバーン出演作一覧
オードリー・ヘプバーン出演作一覧の続き
オードリーの出演第五弾『初恋』
ダンサーは技術的な多くのことを習慣で行うようになります。わたしたちはリラックスするときに決してだらしなくはなりません。わたしの場合でいえば、それはバレエの先生のマダム・ランバートが、弟子たちが腕を組んで肩を落としているのを見つけると、鞭で指の関節をぴしりと叩いたからです・・・ダンサーは、自分の姿勢が優雅でないときは、すぐにそれに気がつくように訓練されているのです。
オードリー・ヘプバーン
オードリー・ヘプバーンは、1930年のイギリス・ロンドンを舞台にしたイギリス映画『初恋(原題:秘密の人々)』によって、はじめて本格的な役柄を手にすることになります。内容は、題名から想像させるようなロマンティックなものではなく、シリアスなスパイ劇でした。
この作品は、イギリス本国で1952年2月(アメリカでは8月)に公開されているのですが、撮影は、オードリーが、「ジジ」出演のためニューヨークに渡航した1951年10月より少し前に撮影されたものとされています(私見では、1950年10月に撮影された可能性があると見ています)。オードリーが、映像の中で、唯一本格的なバレエを披露している作品です。
『初恋』あどけないオードリー。撮影当時22歳。
『初恋』本格的なダンスを披露するオードリー
あくまでも私見ですが、この作品は、1950年10月前後に撮影された可能性があります。しかし、そんなこと以上に、バレエダンサーとしてのオードリーを見ることが出来る希少価値の高い作品です。
モノクロ写真の神々しさ。
1951年に『初恋』撮影中のオードリー。
アメリカの<ヴァラエティ>誌は、脚本は「陳腐」だが、ヘプバーンは素晴らしいバレエ・シーンで「美と才能を融合させている」と評しました。若い現役のダンサーとしてのオードリーの最後の姿を垣間見せてくれる作品です。
このブラックレースを羽織るオードリーが、とても妖艶です。ナタリー・ポートマンに似た独特の雰囲気を、無名時代から既に兼ね備えていたことが良く分かります。
ちなみに、戦後のオードリーは、餓死しかけたこともあり、ヴェリー・レアのテンダーロイン・ステーキが大好物でした。