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シンディ・ローパー

シンディ・ローパー伝説5(3ページ)

シンディ・ローパー
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シンディ・ローパー略歴

  • 1953年6月22日 ニューヨーク市ブルックリンで生まれる。5歳の時、両親が離婚する。
  • 1970年 高校を退学し、愛犬スパークルと家出し、様々な職業を経験する。
  • 1978年 ブルー・エンジェルというグループを結成し、80年にアルバム・デビューするも売れず、解散。自己破産する。
  • 1983年 一枚目のソロ・デビュー・アルバム『シーズ・ソー・アンユージュアル』を発表し、全米で600万枚、全世界で1600万枚を売り上げる。ファースト・シングル「ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン」が全米No.2ヒットになる。
シンディ・ローパー略歴続き
2ndアルバム『トゥルー・カラーズ』の続き
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カワいすぎるバンドリーダー・ジャケット!

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「チェンジ・オブ・ハート」 1986年11月リリース。全米3位、全英67位

ロンドンのトラファルガー広場で、シンディ・ローパーが大道芸人のように踊り歌う姿が印象的なこの曲の、バックボーカルには、バングルスが参加しています。シンディが売れる前まで、クラブ・シンガーをしていた時に、絶えず言われていた中傷の言葉。「なぜそんなに動き回って歌うんだい?なぜじっと立ったまま歌えないのか?」。それが今では「なぜそんなに動き回って歌えるんだい?あなたは本当にすごい!」と言われるようになったのです。

彼女の魅力は、「止まらずに歌い続ける」「独特な動き」(21世紀のアメリカのシンガーだけでなく、日本のお笑い芸人にさえかなりの影響を与えている)にあるのです。だからこそ、彼女は、その個性的なパフォーマンスを光り輝かせるファッション、ヘアスタイル、メイクアップなど全てをセルフ・プロデュースする人なのです。

1986年9月10日の日本・武道館からスタートしたシンディ初のワールド・ツアー「トゥルー・カラーズ・ワールド・ツアー」(10カ国、1987年3月フランス・パリで終了)のオープニング・ソングはスクリーンの影でポーズを取るシンディが照らし出され、この曲が流れるという効果的な演出でした。

飛び跳ねるように踊りながら歌うのがシンディ・スタイル。

シンディ・ローパー・スタイル22 バンドリーダー・ジャケット
  • 真紅のポークパイハット
  • オフホワイトのバンドリーダージャケット
  • パープルに黒のポルカドットのビスチェ
  • 赤のタートルネック
  • オフホワイトと赤のフレアスカート
  • 黒の網タイツ
  • 赤のオープンフィンガー手袋
  • アンクル・ストラップ付き赤のパテントレザーバレエシューズ

シンディ・ローパー初の日本ツアーとなった1986年の「トゥルー・カラーズ・ツアー」において、最も印象的だったのもこのバンドリーダー・ジャケットでした。この当時、ミリタリー・ジャケットを女性が着こなすというのは、非常に珍しいことでした。

仮面舞踏会で着るような真紅のマントを身に着ける。

何気にカラフルでモードなファッション。

「私って、自分をアイザック・ニュートンに似ていると思うの」と言うシンディ。

シンディ・ローパー・スタイル23 マントスタイル
  • 真紅のマント
  • 黒のボーラーハット
  • シルクのカットソー、
  • 白のドロワーズ
  • 白のバレエシューズ

『トゥルー・カラーズ』のアルバム用ポートレイト。黄金の20年代のハリウッド風ドレスが印象的。

トゥルー・カラーズ・ツアーの、非常に可愛いミニスカート。

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「チェンジ・オブ・ハート」ライブ・パフォーマンス

トゥルー・カラーズ・ワールド・ツアー、武道館。1986年、日本。

MTVビデオ・アワード、1987年。

トゥルー・カラーズ・ワールド・ツアー。1987年、パリ、フランス。

ア・ナイト・トゥ・リメンバー・ワールド・ツアー。1989年、チリ。

パフスリーブとバルーンスカートという禁断の組み合わせ。

メビウスの輪のような柄のスカート。

髪の色もスタイルも、もう突き抜けています。

シンディ・ローパー・スタイル24 バルーンスカート
  • サイケデリック柄のパフスリーブ・ボレロ
  • 赤のバルーンスカートのミニドレス
  • 赤のガーターストッキング
  • シルバーのセパレートパンプス