ジャン=ポール・ゴルチエのコーンブラ
マリリン・モンローは最初にあこがれた映画スターよ。マリリンやブリジット・バルドーを見て、髪をブロンドにして先のとがったブラをつけたくなったの。
マドンナ
「オープン・ユア・ハート」でマドンナのコスチューム・デザインを初めて担当したジャン=ポール・ゴルチエ(1052-)。彼にとってマドンナとの出会いはなかば必然のようなものでした。子供の頃から、美容師の祖母の家で、テレビを見たり、熊のゆいぐるみに化粧をしたり、その毛を染めたりする少年時代。そんなある日、キャバレー「フォリー・ベルジュール」のショーをテレビで見て、その衣装の奇抜さと豪華さに魅了されることから、彼のファッションに対する興味は始まりました。
18歳のときに描いたデッサンをピエール・カルダンに認められ、彼の下で働くようになります。コルセットをファッションのデザインの中に取り入れていたゴルチエに注目していたマドンナは、1990年の「ブロンド・アンビション・ツアー」の衣装をゴルチエに任せることにしました。そして、誕生したのが、ファッション界において、賛否両論を生んだコーンブラとビスチェをミックスしたステージ衣装でした。
1990年4月13日に東京からスタートしたこのツアーは、「ライク・ア・プレイヤー」によるカトリック協会との対立の真っ只中で行われたワールドツアーでした(ローマ公演においては、ローマ教皇がコンサートのボイコットを訴えたため、2日の公演予定が1日になってしまう)。ショーの内容自体もセクシャルな部分が強調されており、ゴルチエのコスチュームは、水を得た魚のようにマドンナにフィットしていました。
そして、この時に、コスチュームと同じくらい話題になったのが、マドンナのヘアスタイルでした。ブロンドのポニーテールです。それはショートカットにエクステンションを付けたものでした。しかし、ヘッドセットマイクの邪魔になるので、日本、北米公演後のヨーロッパツアーからは、エクステを外し、ショートカーリーで行われました。
『エクスプレス・ユアセルフ』ライブ・パフォーマンス
MTVアワーズ、1989年。
ブロンド・アンビション・ツアー。1990年。
ブロンド・アンビション・ツアー。1990年、横浜。
ガーリーショー・ツアー、1993年、ロンドン。