バーニング・アップ
Burning Up マドンナの記念すべき第2弾シングルですが、ビルボードチャート100位内に入るヒットにはなりませんでした。しかし、この曲のシングルカバー撮影のために招聘したマリポールというフタイリスト兼ジュエリー・デザイナーが初期のマドンナのファッション・テイストを決定付ける役割を果たすことになったのでした。
ちなみにこの曲のミュージックビデオで沢山つけているラバーブレスレットは、タイプライターのベルトでした。そして、このスタイルは、マドンナのアイコニック・スタイルのひとつとなりました。
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ラバーブレスレットを沢山つけているマドンナとマリポール。
概要
曲名:バーニング・アップ
原名:Burning Up
リリース:1983年3月
最高順位:全米ダンスチャート第3位
肉体の元気溌剌さと退廃的な色気溢れる表情のアンバランスさ
デボラ・ハリーとクリッシー・ハインドにはすごく刺激を受けたわ。二人とも女性で、バンドの中心人物だったでしょ。詞を書いていたのは明らかに彼女たちだし、ふたりとも強烈なイメージを持ってたからすごく勇気づけられたの。
マドンナ
デビューしたての頃心底尊敬してたのは、デボラ・ハリーとクリッシー・ハインド。すごく強い人たちだと思ったわ。彼女たちの皮肉のセンスが好きだったけど、それって今のポップミュージックからは消えようとしているものじゃないかしら。
マドンナ
マドンナのトレードマークとなるラバー・ブレスレット。この頃は、タイプライター・ベルトを手に重ね付けしていました。跳ね感たっぷりのブロンドヘアーに濃いメイク。バランス感覚の良い軽快なダンスと、ストリート・テイストに〝見せる要素〟をミックスしたファッション・センス。
アルバム『バーニング・アップ』期のマドンナこそ、最も魅力的なマドンナのスタイリングと言う人々がいる理由は、創意工夫を楽しんでいるそのファッション感度の高さがより伝わりやすいからでしょう。
ニューヨークのストリートの香りがまだ漂っているこの時期のマドンナから、スタイリングの極意をいくつか学ぶことが出来ます。その中でも最も重要なことは、このスタイリングが光り輝く理由は、ダンスで鍛え上げた肉体による部分が多いと言うことです。
つまり肉体の見える部分をファッションの一部として生かしている点にあります。細すぎない肉体美です。マドンナのスタイリングが、極めて個性的に見える最大の理由は、その個性的な肉体の造詣によるのです。
そうです。彼女の恐ろしい所は、オードリー・ヘプバーンとマリリン・モンローの融合をその肉体により成し遂げた所にあります。それはつまり、オードリーのファッション感度とダンス能力と、マリリンのふくよかな肉体とブロンドヘアーの融合です。
このスーパースターは、極めて頭脳明晰な野心家が7年間の貧困生活の中で、叩き上げた「生きる芸術品」だったのです。
マドンナ・ルック2 ルーズソックス・ミックス
- 白のタンクトップをロールアップしてへそ出し
- 網目のレギンスにチェックのすけすけのスカート(共にブラック)
- ルーズソックス
- 黒のバックル付きシューズ
- たくさんのブレスレット
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マドンナ。1982年。すでに十字架をトレードマークにしています。
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1983年。ロンドンにて。わき毛は剃っています。
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マドンナとアディダス・スーパースター。
デビューアルバム『バーニング・アップ』(1983年7月リリース)
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身に包むファッションでガラリと雰囲気が変わるマドンナ。
![arbus_amy_madonna](https://cahiersdemode.com/wp-content/uploads/2016/11/Arbus_Amy_Madonna-e1480913391730.jpg)
染みだらけのロングコートを羽織るマドンナ。1982年。
どの曲もあまりパワフルじゃないわね。それにレコーディングの時はあたしイギリスにいたから、主導権を握れなかったの。・・・ディスコミュージックっていう鋳型から飛び出すことが自分にはとても重大なんだって気づいたのは、もうこのアルバムが仕上がる直前だった。もう少しヴァラエティに富んだアルバムにできたらよかったんだけど。
アルバム『バーニング・アップ』について語るマドンナ
「バーニング・アップ」TV&ライブ映像集