オードリー・ヘプバーンのすべて【1951】後編(3ページ)
フランスの人気ジャズバンドのリーダーであるレイ・ヴァンチュラがプロデューサーと出演を兼ねる『モンテカルロへ行こう』に、オードリーが出演することを決めたのは3つの理由からでした。その役は小さいのですが、出演料が高く、クリスチャン・ディオールのドレスを着ることが確約されており、さらにはじめてモンテカルロの太陽の下で一ヶ月間撮影のために過ごせるという特典があったからです。
オードリー・ヘプバーン出演作一覧
オードリー・ヘプバーン出演作一覧の続きオードリーの映画出演第四弾『モンテカルロへ行こう』
オードリー・ルック<1951年>4 「ローマの休日」スタイル
- 映画『モンテカルロへ行こう』
- フレンチスリーブのダークカラーシャツ
- 首元にシルクのスカーフ
- ラップスカート
- ベルト
- フラットサンダル
- 籐編みのかごバッグ
このスタイルこそが、翌年に撮影される『ローマの休日』で再現されるイタリアンボーイ・カット(=ヘップバーン・カット)と、ロマンティック・カジュアルの原型です。
クリスチャン・ディオールの登場。
オードリー・ルック<1951年>5 ロングコート
- 映画『モンテカルロへ行こう』
- クリスチャン・ディオール
- ヘッドドレス
- ロングコート
- ハイヒールパンプス
ディオールのイブニングドレス
オードリー・ルック<1951年>6 イブニングドレス
- 映画『モンテカルロへ行こう』
- クリスチャン・ディオール
- イブニングドレス
- ショール
- 白のロンググローブ
- イヤリングとネックレス
「ごらん!わたしのジジがここにいるわ!」
オードリー・ルック<1951年>7 イブニングガウン
- 映画『モンテカルロへ行こう』
- クリスチャン・ディオール
- イブニングガウン
- 一連パールのネックレス
1951年5月21日から10月3日にかけて『モンテカルロへ行こう』が撮影され、オードリー・ヘプバーンは、その間の一ヶ月間をフランスのリヴィエラで過ごしました。
1945年に出版されたシドニー=ガブリエル・コレット(1873-1954)の『ジジ』は、一大ベストセラーになりました。そして、ブロードウェイで上演するために200人もの世界中の女優が面接され、イタリア人のピア・アンジェリかフランス人のレスリー・キャロンの二人に候補は絞られました。
そんな1951年の夏、コレットは、モナコのレーニエ3世(のちにグレース・ケリーと結婚)の賓客としてオテル・ド・パリに滞在していました。車椅子でホテルのロビーを通り抜けようとした時、本作の俳優や技師の一団と撮影機材が彼女の通り道をふさいでしまいました。
そして、何人かの出演者がコレットに挨拶しに来たとき、コレットには目もくれずに、片隅で、2人のミュージシャンの共演者と、踊るように陽気に浮かれ騒ぐ美少女の姿に、コレットの目は釘付けになったのでした。
そして、彼女は言いました。「ごらん!わたしのジジがいるわ!」と。