究極のフレグランスガイド!各ブランドの聖典ページ一覧にすすむ
その他のブランド

【アンソロジー】セ ロベル|それは反逆者です(ジャン=クロード・エレナ/ルシアン・フェレーロ)

その他のブランド
©Anthologie
この記事は約6分で読めます。
当サイトではアフィリエイト広告を利用しています

セ ロベル|それは反逆者です

原名:C’est.Rebelle
種類:オード・パルファム
ブランド:アンソロジー
調香師:ジャン=クロード・エレナ、ルシアン・フェレーロ
発表年:2023年
対象性別:ユニセックス
価格:30ml/16,500円、100ml/27,500円
販売代理店ホームページ:NOSE SHOP

スポンサーリンク

ジャン=クロード・エレナ×ルシアン・フェレーロ

©KAON

私はエルメスを辞めた後、変化について考えていました。ある意味、より多くの原料を使い、もっと古典的な香水の作り方に戻ろうと考えました。しかし、私にはもう無理だという結論に達しました。

どんどんシンプルになっていくのですから。私は今、かつてないほどシンプルになった。減らして、減らして、減らして…。香水を作り始めた頃は、1.200種類の材料を使っていた。2年後、400に減らした。その後、200の原料に減らした。今では110の材料で仕事をしています。

ジャン=クロード・エレナ

1968年に、ジャン=クロード・エレナ(1947-)は、ジボダンがジュネーブに新設した調香師養成学校に入学しました。この時、最終選考に共に残った3人のうちのひとりが、ルシアン・フェレーロ(1945-)でした。

エレナは、3年間のコースを終えることなく、9ヵ月後には、「こんな授業は役に立たない」と直訴し、ジボダン社の調香師として雇用されながら、トレーニングを受けることになりました。一方で、ルシアンは真面目にコースを修了し、ジボダンがパリに新設した高級香水開発部門で調香師として働きました。

しかし1976年にエレナと共にジボダンを離れ、共にグラースの香料会社ローティエで働き、後に単独で南仏グラースの香料会社エクスプレシオン・パフュメ社で働くことになりました。同期のエレナが、エルメスの調香師として、脚光を浴びる中、ルシアンは、ずっと影の存在に甘んじていました。

彼は、1974年にリュバンのために調香した「エル ドゥ リュバン」以外、特筆すべき代表作を持たない調香師なのです。そんな彼が一念発起して2019年に、自分の名を冠したニッチ・フレグランス・ブランドを立ち上げました。しかしパンデミックの影響を受け、早くも存亡の危機に立たされていました。

そんな時、約40年ぶりに、エレナと共に新しい香水を生み出そうという話になりました。そして2023年にブランド名を「アンソロジー」に変えました(日本には、NOSE SHOP様により、2023年10月28日に日本初上陸しました。)。

二人はエドモン・ルドニツカが1946年に設立したアール エ パルファン(Art et Parfum)内にあるアコーエパルファン(Accords et Parfums)と共同で作成したオレンジ・フラワー、ジャスミン、ローズのコンクリートから抽出した3つのアルコキシドにより、往年のフレグランスの優雅さと魅力を取り戻す二つの香りを同年発表しました。

スポンサーリンク

実は二人は1978年に、「ミュール エ ムスク」を共に作りました。

©L’Artisan Parfumeur

私はとても利己的なんです。私は、自分がとても楽しめること、喜びを与えてくれることをやり続けるつもりです。調香師という仕事は、料理人と同じだよ。料理が好きなら、友達のために料理をするのが嬉しいなら、そのためにすべてを捧げる。

私も同じです。私は自分の創造物を分かち合うのが好きなんだ。これは人生を歩む上で良い方法だと思う。

ジャン=クロード・エレナ

1973年に、ジャン=クロード・エレナはジボダンのニューヨーク支社に移り、そして、1976年に、ラグジュアリー・ジュエリーブランド史上初のフレグランスをヴァンクリーフ&アーペルのために調香しました。このファーストと名付けられた香りと共に彼のキャリアがはじまることになります。

しかし、1970年代から80年代にかけて、市場調査を重視した商業主義にどっぷりつかったフレグランス業界で、その姿勢に反対を唱えていたエレナは非常に浮いた存在になってゆきます。

そんな彼の考えに賛同したのが、1968年からの盟友ルシアン・フェレーロとJean-Claude Gigodotでした。1976年に、共にジボダンを離れ、グラースの潰れかけの香料会社ローティエで共に働き、1978年にジャン・ラポルトと共に3人で、ラルチザンの最初の香り「ミュール エ ムスク」を生み出し、ニッチ・フレグランスの先鞭をつけたのでした。

スポンサーリンク

ランボー、永遠、輝きを失わないレモンジンジャーの香り。

©Anthologie

©Anthologie

そんな21世紀のニッチ・フレグランス・ブームの流れを生み出した反逆精神を反映させ、二人は、2023年に二つの〝反逆の挽歌〟を生み出しました。そのうちのひとつが「セ ロベル|それは反逆者です」です(もうひとつは「セ ミューティン|これは反逆です」)。

1978年に「ミュール エ ムスク」を生み出し、ニッチ・フレグランスという存在を世に示し、フランス香水革命を起こした時、二人はまだ30代前半でした。そんな香水界の若き反逆者たちが、永遠の若さを、シトラス(レモン×ビターオレンジ)に投影したのがこの香りです。

アントワン・シリスで働いていた頃のジャン=クロード・エレナ ©DR

若き日に、調香師という職業が、大企業の中で、名もなきゴーストのような存在として当たり前のものとなってきつつあったこの頃、二人が、反逆の狼煙をあげた情熱は、今もまったく失われていません。

輝きを失わないレモンジンジャー〟の香りは、真夏の太陽から飛び出してきたような弾けるレモンとビターオレンジに、摺り上げられたジンジャーと甘いシナモンが流れ落ちていく水しぶきのように、ひとまとめになりながら、素肌に満ち広がるようにしてはじまります。

どうやらスパイスはコリアンダーやピンクペッパーなど挙げればきりがないほどふんだんにブレンドされているようです。柑橘の酸っぱさと苦さ、スパイスの甘辛さが、無邪気にぶつかり合い、泡立ち合い、光をはじく盾のように素肌に軽やかなピリピリ感を与え続けてくれるのです。

ここらへんで、突如、魔導士による呪文のように立ち上るパチョリとベチバーが、ワインのような辛さですべてを浸してゆきます。しかし、輝きは依然として全く失われないのが、この香りの美しさです。

やがて心の中まで太陽がいっぱいになっていくようなレモンジンジャーの軽やかな爽快感に満たされなから、いつまでも〝若い季節〟を素肌に焼き付けるように、温かいジンジャークッキーとアンバーワインの余韻に包まれていくのです。

まさに素肌の上で詠まれるアルチュール・ランボーの『永遠』です。「とうとう見つかった。何が?永遠が、太陽とひとつになった海」。

スポンサーリンク

香水データ

香水名:セ ロベル|それは反逆者です
原名:C’est.Rebelle
種類:オード・パルファム
ブランド:アンソロジー
調香師:ジャン=クロード・エレナ、ルシアン・フェレーロ
発表年:2023年
対象性別:ユニセックス
価格:30ml/16,500円、100ml/27,500円
販売代理店ホームページ:NOSE SHOP


トップノート:ビターオレンジ、スリランカ産シナモン、ブルージンジャー
ミドルノート:ピュア ピンクピンクペッパー、コリアンダー、ローズゼラニウム、アンブロセナイド®
ラストノート:ハイチ産ベチバー、インドネシア産パチョリ、アンブレットリド、アンバーエクストリーム