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山田風太郎

深作欣二

【魔界転生】こんな天草四郎様となら、どこまでも堕ちてゆきたい。

『魔界転生』が公開された1981年6月の2ヶ月前の4月に、ファッションの歴史を二人の日本人が揺り動かす衝撃的な出来事がありました。はじめてパリ・ファッション・ウィークに川久保玲のコム デ ギャルソンとヨウジヤマモトがデビューしました。
深作欣二

『魔界転生』Vol.3|沢田研二と千葉真一と若山富三郎

『復活の日』(1980)に続く角川春樹プロデュース作品である『魔界転生』は、当初、後に『極道の妻たち』を撮ることになる五社英雄が監督する予定でした。しかし、銃刀法違反で捕まり、テレビ・映画界から追放され、松田優作で『海燕ジョーの奇跡』を撮る話が流れた深作欣二が監督することになりました。
深作欣二

『魔界転生』Vol.2|佳那晃子様の「ごろうじませ、忠興様」

この作品においてとても重要な役割を果たした人。それは人形作家(人形浄瑠璃師)である辻村ジュサブロー(1933-2023)の衣装でした。この方の参加なくして山田風太郎の世界観の映像化は成しえなかったでしょう。
深作欣二

『魔界転生』Vol.1|細川ガラシャ=佳那晃子と魔界に堕ちたい

1981年に公開された深作欣二監督の『魔界転生』において、特に印象的なのは、佳那晃子様の日本女性が持つ情念を一身に背負うような、妖しくも哀しい和美人=ガラシャ夫人の歴史的名演でした。それは『乱』の原田美枝子に相通ずるものがあります。
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