元祖カーチェイス&ポリスムービー
『ブリット』は、スティーブ・マックイーン(1930-1980)のファッション・アイコンとしての不動の地位を確立した最も重要な作品です。そして、この作品から、本格的な「ポリスムービー」と「カーチェイスムービー」が始まりました。全ては、マックイーンが「とんでもなくリアルなポリスムービーを作ってやろう」という意気込みから始まったのです。
映画もそうなのですが、ファッションにおいても、ある革新的なムーブメントが動く原動力は、機械的な集団からではなく、結局は一人の人間の不屈の精神からなのです。この作品を制作したマックイーンのソーラー・プロダクションは、膨大な経費により、倒産の危機に立たされました。
結果的に映画の大ヒットにより、窮地を脱するのですが、すべてにおいて妥協なきものづくりの姿勢が生み出すもの。それは「永遠」なるものなのです。
フランク・ブリット スタイル4
タートルネック
- スコティッシュ・カシミヤのネイビーブルーのタートルネック
- ブラウン・ツイードのジャケット。シープスキンのエルボーパッチ付き
- 黒のチャコールグレーのスラックス
- アクアスキュータムのベージュのステンカラーのレインコート。5つボタン
- チャッカ・ブーツ。ハットンの通称〝プレイボーイ・チャッカ〟後にサンダースより、ブリット仕様のチャッカブーツが発売される
デニムオンデニムの二人
アルカトラズ島が見えるサンフランシスコの坂の上で、トライアンフに乗るスティーヴ・マックイーンとジャクリーン・ビセットのオフショットが凄まじくクールです。
二人ともデニムオンデニムなのですが、マックイーンは首元までしっかりと防寒しています。シューズは作中にも着用しているチャッカブーツです。マックイーンのファッションの多くに登場するシューズです。
セオドア・ヴァン・ランクル
彼女こそ1967年に『俺たちに明日はない』で、「ボニー・ルック」という1930年代のレトロ・モード(ベレー帽の復権)を流行させた人であり、ボニーを演じたフェイ・ダナウェイとスティーブ・マックイーンが競演した翌年の『華麗なる賭け』(1968)においても衣装を担当しました。
そして、本作でも、男性がタートルネックのセーターを着る流行を作りました。1974年には『ゴッドファーザーPART2』の衣装を担当することになりました。
マックイーンとシャロン・テート
ジャクリーン・ビセットの大親友の一人の女性の名をシャロン・テート(1943-1969)と言います。
この60年代の悲劇を一身に背負うことになる新人女優は、無残にも、ヒッピー文化が生み出したモンスターであるチャールズ・マンソン達により1969年に殺害されるのです。この時、シャロン・テートと一緒に殺害されたのが、ハリウッドで人気のヘア・ドレッサー、ジェイ・セブリング(1933-1969)でした。
ブリットのモデルは、デイブ トスキ刑事
9分42秒のカーチェイスの撮影に3週間かけたこの作品が、映画史上はじめて本格的なカーチェイスが登場した作品だと言われています。マックイーンのハイランドグリーンのフォード・ムスタング390GTと敵のダッチ・チャージャーR/Tのカーチェイスの生み出す臨場感。
そこに、最後の調味料として、1968年から74年までアメリカを騒がせたゾディアック事件を担当したサンフランシスコ市警の主任デイブ・トスキ(1931-)のファッション・テイストを引用したマックイーンのブリット・ファッション。この作品から刑事がショルダー・ホルスターをつけるイメージが定着したのでした。
そして、そのスタイルは、アレキサンダー・マックイーンによるハーネス・シャツへと進化を遂げるのでした。
真のオトコの魅力とは?
マックイーンはなぜ21世紀に入っても、男性のファッション・アイコンの先頭に位置するのか?それは間違いなく現在に〝男が憧れるオトコ〟と呼べる男が減りつつあるからではないでしょうか?オトコを演じる映画が減り、21世紀に入り、男性のファッション・アイコンと呼べる作品がほとんど存在しないのも、そんなオトコが減ったからでしょう。
メンズ・ファッションには、洗練の前に、ロマンが背景になければなりません。
最後に、この作品で、ブリットの恋人キャシーを演じたジャクリーン・ビセットが、後日答えたインタビューの答えでしめましょう。「あなたにとって魅力的な男性は?」「少なくともお金ではありません。ルックスでもないです。目の輝きです」。
作品データ
作品名:ブリット Bullitt (1968)
監督:ピーター・イェーツ
衣装:セオドア・ヴァン・ランクル
出演者:スティーブ・マックイーン/ジャクリーン・ビセット/ロバート・ヴォーン