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ロバート・デ・ニーロ

『タクシー・ドライバー』Vol.1|ロバート・デ・ニーロとタンカースジャケット

ロバート・デ・ニーロ
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「トラヴィスはオレなんだ!」

10代から20代の男性にとって、ある種の映画には、その映画を見た後、その主人公が乗り移るように、強い影響を与えることがあります。特に70年代から80年代の映画にはその力があり、『ドラゴンへの道』『仁義なき戦い』『蘇る金狼』『ロッキー』『プロジェクトA』などがその代表的な作品と言えます。

男が男に惚れる映画と言えば聞こえは良いのですが、当時、同世代の女性の立場から見ると「絶対にモテないだろうな」と思わせる映画。そんな作品の代表格がこの『タクシー・ドライバー』なのです。

まず間違いなくこの作品を見た後、鏡を見るたびに「You talkin’ to me?(オレになんかようか?)」「would not take it anymore(もう我慢できねえ)」なんて言ってみたくなる作品。そして、恐らく、今の10代の日本人男性の心を密かに鷲掴みにしてしまいそうなパワーを持つ映画なのです。以下『タクシー・ドライバー』を見ると、真似したくなることを列挙してみましょう。

  1. 5月10日から日記をつける
  2. ミリタリー・ジャケットを着る
  3. ローヤルクラウン・コーラを探す
  4. 高嶺の花に「君ほどの美人ははじめてだ」と声をかける
  5. 手をパンっと叩く腕立て伏せと腹筋、懸垂をはじめる
  6. ガスコンロの火に握り拳をかざす
  7. 「You talkin’ to me?(オレになんかようか?)」と鏡の自分に独り言
  8. モヒカン刈りにする
  9. 自分だけのアイリスを探す

彼女とイチャイチャしている同級生を尻目に〝彼女なんかいらない〟と嘯きながらも実は心の底では、そんな自分を理解してくれるアイリスを探してしまう男たちが、それを見て、マネても、決してモテない映画。『タクシー・ドライバー』はそんな愛すべき映画の1つです。

そして、恐らく世界中の女性35億人中1000人くらいしか受け付けない――勿論、私はそのうちの一人なのですが――映画でしょう。

松田優作も『野獣死すべし』でオマージュを捧げたシーン。

デ・ニーロの肉体が凄いです。そして、このトレーニングもまた謎過ぎてとにかく凄い。

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モテようとする男性ほど、退屈な人々はいない

トラヴィスが、パンクロッカーに与えた影響は、破壊的でした。

意外に思われるかもしれませんが、ファッション感度の高い男性は、モテそうなオシャレな男性のファッションを参考にしません。むしろ、モテなさそうな男性のテイストを自分流に料理し、ハイセンスに変えてしまうのです。

これはファッション感度の高い女性にも適応されるのですが、〝モテるファッション〟というのは、モテることに全神経を集中しているので、流行にのっかかる感じで、退屈極まりないのです。

だからこそファッション感度の高い男性たちは、21世紀に入っても尚、トラヴィス・ビックル的なものを求めるのです(そして、その先には「バッファロー’66」がいます)。

ファッション&アパレル業界で働く男性のほとんどが実践していること。それは、ひとりで映画鑑賞する習慣があるということです。つまりは、女性が興味のない男性のためのファッションムービーを見るということです。

これは逆もまた同じであり、ファッション&アパレル業界で働く女性は、「ローマの休日」や「泥棒成金」「昼顔」などの、男性が一緒に見たがらない、女性のためのファッションムービーを見てファッション感度をブラッシュアップするのです。

しかし、最近そんな流れが変わりつつあります。ノージェンダー時代の到来により、女性も自分のファッションに、メンズ・アイコンのテイストを取り入れていくクロスジェンダー時代に突入しつつあるのです。つまり今では「トラヴィスは、私だ!」と考える女性も出はじめているのです。

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本当にタクシー・ドライバーになったデ・ニーロ

デ・ニーロが役作りのために本物のタクシー・ドライバーになった時のライセンス。

ふだんは空っぽだが、役を与えられればいっぱいになる容器――そんな風に評される俳優がいるものだ。しかしロバート・デ・ニーロは違う。彼は何も詰め込まず、ふだんの空虚さをそのまま使い、人間の混沌の状態として演じ切ってしまう。この種の危険な賭けをしたことがある俳優はマーロン・ブランドだけだった。

ポーリン・ケイル(1976年2月9日)

ロバート・デ・ニーロ(1943-)という役作りのためには、その役柄にそった体型・容姿をリサーチし、カメレオンのように変身し、その役に入り込むためにはライフスタイルを変えることさえいとわない。そして、この役柄ならこんな衣装を着るはずだということまで事細かに分析するスタイルが、デ・ニーロ・アプローチと呼ばれ、役者にとっての1つの憧れのスタイルになりました。

本作においても、実際に10日間、日に15時間ニューヨークで、タクシー・ドライバーを勤め、〝トラヴィスの研究〟を行い、精神病の勉強もしました。しかも、誰かが手配してタクシー・ドライバーになったわけではなく、全て自分で手配してこっそり行ったのでした。

ドライバーをしていて、ただ二回だけお客様にデ・ニーロと気づかれました。「あんたデ・ニーロじゃないか。去年オスカーを取ったばかりなのに、もうこんな所でタクシーを運転してるなんて。安定した仕事ってのはなかなか見つからないもんだね」とその時、同情されたのでした(スコセッシもデ・ニーロのタクシーに二晩同乗した)。

デ・ニーロは、僅かな撮影期間で5倍の出演料を手にすることが出来る『遠すぎた橋』(1977年)のオファーを蹴り、トラヴィス役に全神経を集中したのでした。

ロバートは、自分が演じるキャラクターに変身するために、撮影がはじまるかなり前に、撮影用の衣装を決めておきたいと言って来ました。そして、私がチェックのシャツとアーミージャケットを見つけた後、かっさらうようにそれを持って帰り、以後、ずっとトラヴィスの服を着て生活していたのでした。

何よりもびっくりしたのは、いざ撮影がはじまり、撮影が終わってもその服を着て帰宅し、さらには、撮影のない日に街でばったり会った時も、そのトラヴィスの服を着ていたことです。

ルース・モーリー

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どん底の中から生み出されたものが持つ力

70年代半ばのニューヨークはすべてが腐り切っていました。

あの脚本は本物だ。はらわたから出た脚本なんだ。1973年のことだ。僕はロサンゼルスでひどく荒んだ生活を送っていた。車の中で寝泊りし、夜中にあちこちドライブしたり、酒を浴びるように飲んだりしていた。

夜はオールナイトのポルノ映画館へ行き、昼間はどこかで酔い潰れていた。ある日、胃にひどい痛みを感じて救急病院へ行くと、潰瘍が出来ていたことがわかった。病院に入院することになって、看護婦と話をしていたとき、ふと、それまでの二~三週間、誰とも口をきいてなかったことに気づいたんだ。

そして、はじめての脚本を書いたんだ。どうやったら映画が売れるとかを一切無視して、本当に書きたかったから書いたものなんだ。

ポール・シュレイダー

あろうことかカンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞した、この熱に浮かされたような異常な物語を作り上げたのは、本作の脚本も担当したポール・シュレイダー(1946-)でした。小津安二郎や三島由紀夫を崇拝するこの男の脚本家としてのデビュー作は、高倉健とロバート・ミッチャムが共演した『ザ・ヤクザ』(1974)でした(『タクシー・ドライバー』の脚本はその前に書き上げていた)。

マーティン・スコセッシ(左)とポール・シュレイダー(真ん中)。麻薬捜査官のようなファッションです。

この三人が『タクシー・ドライバー』を作り上げたのでした。

私の生活はあの物語を地で行っていた。下水道を走るネズミのように、町の中でもがいていた。周りは人で溢れているのに、友達はいない。都会の孤独だ。

ポール・シュレイダー

「タクシーは動く密室で、孤独のメタファーである。そして、金属製の棺桶でもある」とトラヴィスについて説明するシュレイダー自身も、70年代前半まで、脚本が一本も売れず、妻にも逃げられ、恋人にも捨てられ、酒とドラッグに溺れ、八方塞りで、夜も寝つけずにポルノ映画館で過ごしていたのでした。

そんな荒んだ生活の中で、机の上に銃を置きながら、最後の決意で、家がないので、昔の恋人に泣きつき、暖房もガスもないその部屋で10日で書き上げたのが本作でした(ジャン=ポール・サルトルの小説「嘔吐」からインスパイアされた)。

世間に溶け込もうとしながら入り口を見つけられない男の話を、同じくどん底の環境の中から生み出したからこそ、その人間のどん底の状態=〝もはや暴力だけが、彼にとってのカタルシスそのものである〟を伝えるストーリーは、時代、国籍を越えて愛され続けているのです。

そして、この作品に関するTシャツ、ポスターをはじめとする全てのアイテムが、今ではファッションとしてタイムレスな輝きを放ち続けているのです。

ここにファッションとは何かという本質に対する答えが隠されています。ファッションとは、今は失われたものをライフスタイルに取り込む喜びなのです。

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トラヴィスのファッション1

タンカースジャケット
  • タンカースジャケット。戦車乗りのために作られたジャケット。MA-1フライトジャケットによく似ている。キングコング部隊(架空の部隊)のワッペン付き。裏地はキルティング仕様。興味深いのは背中に入っている「BICKLE.T」のプリントです
  • 赤茶系のネルシャツで合わせている
  • コーデュロイパンツ、またはインディゴジーンズ
  • カウボーイブーツ(ポール・シュレイダーから進呈されたもの)
  • 派手なバックルの茶色のレザーベルト

5月10日からはじまるこの物語は、最初と最後に同じ情景と音楽が流れることが示しているように、物語が輪廻転生してゆくのです。ちなみにポール・シュレイダーは「次はおそらくトラヴィスが幸運ではないだろう」と嘯いています。

そんなこの物語のトラヴィスが最初に着ている服は、タンカースジャケットです。1973年に除隊したトラヴィスが、ベトナム戦争で着ていたものではなく、第二次世界大戦のミリタリージャケットを着ています(ちなみにこのタンカースは、本来、左胸についているアメリカ海兵隊武装偵察部隊の布パッチを逆の位置につけており、レプリカであることを教えてくれています)。

ちなみに「キングコング部隊」のワッペンの意味は、トラヴィスのアイリス救出作戦と、1933年の映画『キング・コング』の フェイ・レイ救出作戦を重ね合わせています。

ボサボサの頭で登場するトラヴィス。

タンカースジャケット。正式名:ウィンター・コンバット・ジャケット。

タンカースは1941年にアメリカ軍の機甲師団のために作られたジャケットです(反転写真)。

キングコング部隊(架空の部隊)のワッペン。

このカラテ・ポーズはデ・ニーロのアドリブでした。

2014年の『フューリー』でブラッド・ピットが着ていたタンカースジャケット。

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トラヴィスのシャツ①

トラヴィスは本作中、5種類のネルシャツと1種類のウエスタンシャツを着ています。以下ここに列挙してゆきます。

一番最初に着ている茶色のチェックネルシャツ。

食料品店で黒人の泥棒を射殺するシーンのネルシャツも同じものです。

トラヴィスの登場シーンと、トラヴィスが覚醒するシーンに着ているネルシャツは同じものです。

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トラヴィスのシャツ②

不眠症で、仕事上がりにポルノ映画を見に行く時に着ていた赤色のネルシャツ。

トラヴィスは、まめに日記をつける人なのです。

楽しそうに踊る同世代の若者をテレビの中に見て、テレビを蹴飛ばしてしまうトラヴィス。

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トラヴィスのシャツ③

不眠症だが、ベッドでよく寝ている男トラヴィスが着ているベージュのネルシャツ。

ホルスターをつけて日記を書くトラヴィス。

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トラヴィスのシャツ④

茶色のチェックネルシャツ。アイリスと語り合うシーンで着ています。

大統領候補暗殺を計画するようになってから、トラヴィスはサングラスを着用するようになります。

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トラヴィスのシャツ⑤

ひたすら日記を書くトラヴィスが着ている赤のチェックネルシャツ。

娼婦の仮面を脱いだアイリスと朝食をとるトラヴィス。

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トラヴィスのシャツ⑥

白のウエスタンシャツ=ヒットマンシャツ。

小銃を隠し持つために、片方の袖だけ切り落とす。

ウエスタンシャツとジーンズがよく分かる写真。

カウボーイブーツとシャツの王道コーデ。

作品データ

作品名:タクシー・ドライバー Taxi Driver (1976)
監督:マーティン・スコセッシ
衣装:ルース・モーリー
出演者:ロバート・デ・ニーロ/ジョディ・フォスター/シビル・シェパード/ハーヴェイ・カイテル