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香水を愛するひとびとのまいにちを豊かにしたい!そんなカイエデモードの記事を楽しんで頂いているみんなに読んでもらえたら幸いです。|2026年3月21日

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オリヴィエ・ポルジュ シャネルの4代目専属調香師

調香師スーパースター列伝
©CHANEL
調香師スーパースター列伝
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オリヴィエ・ポルジュ

Olivier Polge 1974年7月30日、フランス・グラース生まれ。調香師界においてサラブレットと呼ばれる人は、一人しかいない。37年間シャネルの香りを創り続けてきたシャネルの3代目専属調香師ジャック・ポルジュを父親に持つオリヴィエ・ポルジュその人である。

グラースにあるシャラボで3年間トレーニング・コースを専攻し、1998年にニューヨークのIFF(インターナショナル・フレバー・アンド・フレグランス社)に研修調香師として入社する。そしてカルロス・ベナイムに師事し、調香師として独り立ち出来るように経験値を積み上げていく。

以後16年間IFFで活躍した彼の最初の成功は、2005年の「ディオールオム」からでした。数々のヒット作を生み出した後、2015年2月より、シャネルの4代目専属調香師に就任する。シャネルは、香水の開発と製造をすべて自社で行う数少ないファッションブランドの一つである。

実生活では3人の娘と1人の息子を持つ父親である。

父は香水について話すとき、香水には常に神秘的な要素がなければならないと言っていました。私たちは常にその神秘性を求めているのだと思います。結局のところ、私たちが伝えたいのは謎なのです。

オリヴィエ・ポルジュ(以下、すべての引用は彼のお言葉)

代表作

オ パフメ オーテルージュ(ブルガリ)
ガブリエル シャネル(シャネル)
キュイル ベルーガ(ゲラン)
コメット(シャネル)
ザ ワン フォーメン(ドルチェ&ガッバーナ)
ジミー チュウ オード パルファム(ジミー・チュウ)
ディオールオム(クリスチャン・ディオール)
N°5(No.5) ロー(シャネル)
フローラボタニカ(バレンシアガ)
フラワーボム(ヴィクター&ロルフ)
ミッドナイト イン パリ(ヴァン クリーフ&アーペル)
ラヴィエベル(ランコム)

【シャネル香水聖典】嘘をつく香り。嘘が真実になる香り

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調香師界のサラブレット

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私は食べたくなるような香りが好きではない。そして、良い香りの食べ物が好きでもない。そんな私が最も愛している香料は、アイリスです。なぜならそれはフローラルであり、ウッディーであり、パウダリーだからです。アイリスが香りの中に存在すると、そこから香りの選択肢が段違いに広がるのです。

調香師界においてサラブレットと呼ばれる人は、一人しかいない。37年間シャネルの香りを創り続けてきたシャネルの3代目専属調香師ジャック・ポルジュを父親に持ち、2015年2月より、自らもシャネルの4代目専属調香師に就任したオリヴィエ・ポルジュその人です。

オリヴィエは、1974年にフランス・グラースで生まれました。彼が4歳の時に、父ジャック・ポルジュが、シャネルの3代目専属調香師に就任しました。グラース出身の母も調香師の訓練を受けており、父と母は、グラースでルール社で調香師としての訓練を受けていた時に出会いました。

父の仕事の都合で、パリで育ったのですが、彼の最初の香りの記憶は、南フランスにある祖父母の家で過ごした幼少期の休暇と結びついています。家の裏には丘があり、タイム、ラベンダー、シスタスといった地中海原産の植物が生い茂っていて、夏のハーブの香りを運んでいました。

「私は特に子供の頃から、フレグランスに興味があるわけではありませんでした。私の10代の興味は、クラシック音楽とピアノでした」というオリヴィエは、両親が収集していた絵画コレクションから影響を受け、ルーブル学院において、二年間、美術史を専攻するようになりました(ピアノは今でも毎日演奏しているという)。ちなみに母は父が作った「ココ」をずっと愛用していたという。

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調香師として、父ジャック・ポルジュとは全く別の道を進む。

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私が最初に身につけたフレグランスは「エゴイスト」でした。「ボワ ノワール」と呼ばれていた発売前から使っていました。この香りは私にとてつもない活力を与えてくれると感じていました。

そんな彼の運命を変える出来事が起こったのは、1994年の夏休みのことでした。父に頼み、一ヶ月間にわたり、父が働くヌイイ=シュル=セーヌのシャネルのパルファム研究所でインターンシップを受けることになりました。「この経験が、私に香りの原材料と触れ合う喜びと、香りを創造する悦びを教えてくれました」。

そしてクリスマス前に、調香師になりたいと父に打ち明けたのですが、最初は大反対されました。しかし息子の意志が強いことを知り、数日後には賛成してくれたので、大学を辞めることになりました。

そして現場で技術を習得するよう強く求め、グラースにあるシャラボを紹介し、そこで3年間トレーニング・コースを専攻し、その後2年間、ジュネーブのACM Parfumsで研修を受け、調香技術を磨きました。そして1998年に父のいるシャネルではなく、ニューヨークのIFF(インターナショナル・フレバー・アンド・フレグランス社)に研修調香師として入社することになりました(2003年にパリのIFFに移動)。

カルロス・ベナイムの下で働き、調香師として独り立ち出来るように経験値を積み上げていきました。はじめてのプロジェクトは「エンポリオ アルマーニ ホワイト フォーメン」(2001)でした。

その後ソフィア・グロスマンとの仕事の経験など、以後16年間IFFで活躍することになります。そんなオリヴィエにとっての最初の成功は2005年の「ディオールオム」でした。

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シャネル王国の貴公子

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調香師とは一般人が嗅ぎ分けることの出来ない香りを嗅ぎ分けることが出来る人なのではなく、感覚に左右されずに香りを捉えることが出来る人のことを指します。つまり、調香師とは、香料を、作曲家にとっての音符のように捉えることの出来る人々のことを言うのです。

オリヴィエ・ポルジュが、はじめて身に着けたフレグランスは、「エゴイスト」でした。そのきっかけは、煙草の匂いを隠すためでした。そのような動機でシャネルの香りを身に纏っていた少年が、2013年9月にシャネルの4代目専属調香師に就任することが内定したのでした。

そして、1年半もの間、父ジャック・ポルジュとクリストファー・シェルドレイクと共に、75名のスタッフが働く香水研究所において、後継者としてのトレーニングに励んだのでした。最初の1年間は、香水を一本も作らず、代わりにシャネルの香りを作る人々の仕事ぶりを観察するように父に言われました。

父子共にとてもシャイで寡黙なので、この時まで、「家では、香水よりも絵画について話すことの方が多かったんです」というほどほとんど会話のない父子関係でした。しかし、シャネルが二人の失われていた絆を復活させたのでした。

2015年2月にオリヴィエは無事に4代目調香師に就任し、6歳の時にはじめて訪れたオフィスのかつて座っていた椅子に座ることになるのでした。6月に発表した「チャンス オー ヴィーヴ」をもって、彼の4代目お披露目の作品となりました。

シャネルの香りを特徴づけるものそれは、香りを創造し、構想する方法にあります。私たちは常に構築的なアプローチをとっており、単一の香料にこだわることはありません。私たちは常に抽象的な香りについて語り、決して写実的な表現は用いません。

シャネルというブランドを一言で表現するならばそれは〝創造性〟です」と言うオリヴィエにとって、シャネルが培ってきた伝統を大切にしながら、真の創造性を発揮していかなければならないというプレッシャーの中、今も懸命に創作に励んでおられるのです。

ちなみに彼の調香の特徴は、どの香りの調香においても平均的に70~80種類の原料を使用していますが、そのうち10種類が残りの香りの土台を本当に決めていくようにしているという。

朝のコーヒーの香りが大好きです。フランスでは、コーヒーの香りに加えて焼きたてのパンの香りが漂うことが多く、家中に温かい雰囲気が広がります。ささやかな喜びですが、いつも私を良い気分にしてくれます。シャネルの香水について言えば、私は「N°19」にとても惹かれます。とても温かく、心地よい香りです。