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マドンナ伝説4(3ページ)

マドンナ
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マリリン・モンローに挑んだマドンナ

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「マテリアル・ガール」 1985年1月リリース。全米2位、全英3位

音楽を作る上でひらめきを与えてくれるのは、人生においてあたしの好奇心を刺激したり、あたしを幸せにしてくれたりするようなことよ・・・毎日日記を書くようにしてるわ。思ったことや、何かで読んで印象に残ったことを走り書きするのよ・・・ひらめきはいたるところにあるわ。すごくいい本や映画、誰かの目の表情、通りを歩いてる子どもやお年寄り。パーティに行ったときのあたしの楽しみが何か分かる?その家の執事や管理人やなんかと話すことよ。あんな愉快な人達はいないわ。ひらめきを与えてくれるの。

マドンナ

マリリン・モンローの代表作の一つ『紳士は金髪がお好き』(1953)の中で、モンローが「ダイアモンドは女の親友」を歌うシーンをオマージュしたビデオクリップ(キース・キャラダインが共演)は、当時衝撃的であり、マドンナの中にいるマリリン・モンロー=セックス・シンボル性を明確にしました。これは一つの挑戦であり、賭けでした。誰よりも速く、何かを掴もうとする人であるマドンナは、人間の位置からシンボルへと駆け上がる決意をしたのでした。

「私は誰からも作り出されない。私は私である」。マドンナの凄いところは、マリリン・モンローというセックス・シンボルに仕立て上げられ、そのイメージの犠牲者になった象徴を模倣しつつも、新時代の「ガールズパワー」を体現した所にあります。音楽と映像とファッションを見事に融合し、その先にある「個性」を示したのでした。このアプローチは、集団で踊らされる日本のアイドル達とは、比べうるもなく精神性と独自性に満ち溢れたものでした。これが、マドンナという存在が、タイムレスな輝きをもたらす理由なのです。

そして、2014年のMTVビデオミュージックアワードにてテイラー・スウィフトによってパフォーマンスされた「シェイク・イット・オフ」。このパフォーマンスこそ、マリリン・モンローに挑んだマドンナの「ガールズパワー」イメージのネクストステージを、いいや、ただ単にマドンナのイメージを追及したものでした。それは残念ながら、最近のポップスターに見られる内面性の薄さを象徴するものでした。

「それはたしかに圧倒的である。でも量産された圧倒性。どこまでも決まり過ぎている退屈感に満ちている」。スターにはヌケ感が必要であり、歌の上手いスーパーモデルよりも、歌の上手い等身大の女性の方が、人々の心の中に入り込みやすい。それはまさにナタリー・ポートマンや深田恭子のような等身大のスタイルの女性に感情移入しやすいのと同じです。結局のところ、1万人に1人の人間から感じるものよりも、100人に1人の人間から感じるものの方が、居心地が良く、それが才能と組み合わさると、人々の共感を生み出しやすいと言うことなのです。そして、マドンナ自身も本作の撮影中に強烈な才能と出会ってしまったのでした。それは将来の夫となるショーン・ペンです。

ちなみに本作のアイコニックなピンクドレスをデザインしたのは、後に『ターミネーター2』(1991)や『アサシン』(1993)、『トゥルー・ライズ』(1994)等の衣装を担当するデザイナー、マーリーン・スチュワートです。ちなみにマドンナの「ヴォーグ」「エクスプレス・ユアセルフ」「ライク・ア・プレイヤー」の衣装も担当しています。

50年代のハリウッドの世界観に飲み込まれないマドンナの強烈な存在感。

彼女は、この瞬間、ハリウッドシンボルになりました!

マドンナ・スタイル9 マテリアル・ガール・ガウン
  • ピンク・サテン・ストラップレス・ドレス(1976年製作のTV映画『グッバイ、ノーマ・ジーン』のために作られたドレスを借り受けた)、バックスリット、バックに大きなボウ
  • 同色のロンググローブ
  • ブラック・ハイヒールパンプス
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『マテリアル・ガール』ライブ・パフォーマンス

ヴァージン・ツアー、1985年。

ブロンド・アンビション・ツアー、1990年。横浜。

リインベンション・ツアー、2004年9月。リスボン。

レベル・ハート・ツアー。2016年。