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黒澤明

『隠し砦の三悪人』 日本の美18(3ページ)

黒澤明
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黒澤明が創造した四大美女

黒澤映画では、ほとんどの演技が画面の両端、しかもそのギリギリの位置で行われる。

雪姫に助けられる百姓の娘を演じた樋口年子も素晴らしい。

16歳の若姫が、一日の逃避行で、将たる器に成長する説得力に満ち溢れています。

命に何の代わりがあろうぞ!お主は姫の心まで唖にするつもりか!

雪姫が、六郎太に言い放つセリフ

黒澤明によって生み出された4人の魅力的な女性がいます。一人目は、『羅生門』で京マチ子が演じた真砂。二人目は、『蜘蛛巣城』(1957)で山田五十鈴が演じた鷲津浅茅。三人目は、『』で原田美枝子が演じた楓の方。そして、四人目は、本作における上原美佐が演じた雪姫です。そして、この四作品だけは、あらゆる女性にとって、タイムレスな魅力に包まれた黒澤映画なのです。

雪姫の演出は、能の音楽と結び付けられています。それは彼女が登場する最初のシーンから、敵の手に落ちたら自害するように六郎太に懐剣を与えられたときも、正装した雪姫が、二人の百姓に一枚の黄金は渡し、「仲良う分けるのじゃ、喧嘩はならぬぞ」と言い放つときといった風に、一貫して能管の調べが効果的に使用されています。

「姫の身には耐え難いこれまでの苦難」真壁六郎太

「違うぞ!六郎太!姫は楽しかった。この数日の楽しさは、城の中では味わえぬ。装わぬ人の世を。人の美しさを、人の醜さをこの目でしかと見た。六郎太!礼を言うぞ!これで姫は悔いなく死ねる!」雪姫

囚われの身になった時の土蔵で拘束されている雪姫と六郎太と百姓娘と田所兵衛のシーンが実に素晴らしいです。綿密なリハーサルがあればこそ生み出せる無駄なカット割のないシーン。それは長時間ひとつの画面の中で切れ目なくくりひろげられることによってのみ生み出せる濃密な空気なのです。このシーンがあればこそ、兵衛が「あっぱれ、将に将たる器!」と16歳の雪姫に対して言い放っても、もはや誰も異論を唱えようのない圧倒的な説得力が生み出されるのです。

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レディーファーストの美学

姫装束に身を固める雪姫。左右に控える六郎太と兵衛。

3人の衣装のバランスが圧巻です。そして、天女のような雪姫・・・

垂髪に天上眉もとても似合っています。

雪姫ルック2 天上眉
  • 白色かペールカラーの小袖
  • 打掛腰巻

人の情けを生かすも殺すも己の器量次第じゃ!また家来も家来なら主も主じゃ!

雪姫が田所兵衛に言い放った台詞

そして、最期に見違えるばかりに華やかな打掛腰巻姿の雪姫が登場します。「男ぶりが一段とあがったぞ!」と、鎧兜姿の真壁六郎太に言い放つ雪姫。照れる六郎太を見て、扇子を打ち豪快に笑う田所兵衛(雪姫に寝返る)。よく考えてみると、この作品は、雪姫のために命を賭けた六郎太の、日本映画としては珍しいレディーファーストの在り方を問うた作品だったのです。

この姫がもしおしとやかな姫であったならば、ただ日本的な女性が男性に守られているだけの作品になるのですが、この雪姫は男勝りの、男性上位など屁とも思わないモダンガールなのです。だからこそ、身売りされた同世代の女性の苦境を見て放っておけず、秋月家再興のために自身で金塊を担ぎ歩くのです。

そんな雪姫が、小刻みに鳴る小鼓と笛の助奏に、朗々と調子を取る大太鼓と共に、二人の男の中の男を従えて能を舞うが如く、白州で土下座する二人の百姓に向かって前進するのです。そこには、恋愛感情の入り込む隙はありません。姫と姫のために忠義を尽くす家臣と百姓がいるだけです。その階級社会の背景をしっかりと弁えているからこそ、物語は躍動するのです。

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そして、上原美佐は、永遠の姫アイコンになった

スタッフから演技指導を受ける上原美佐。

撮影中におにぎりを食べる三船敏郎と上原美佐。

私服の三船敏郎と志村喬と上原美佐。

乗馬の練習をする上原美佐。

黒澤明とゴルフをする上原美佐。


この作品は、当初、1958年5月から100日かけて撮影する予定(9000万円の予算)でした。しかし、10日間の御殿場ロケの予定が3回に渡る台風の上陸などの天候不良が重なり、撮影日数は合計200日に超過してしまい、制作費も1億5000万円かかってしまいました。

黒澤明の映画は、その役柄の衣裳を着てリハーサルに入ります。そして、それを着て生活するように求められる俳優もいます。セットはその時代にすんなり入り込めるようにカメラで写し出されない角度まで丹念に作りこまれています。更に出演者は皆、黒澤映画に出ているときは、他の作品には出演できず、皆で合宿して、撮影に臨みます。だから、今でも、この作品には真実味があるのです。

それが、今、映画が生まれる環境と、黒澤映画の生まれる環境の明確な違いです。2008年に本作はリメイクされたのですが、この作品に関しては、ファッション史的にも映画史的にも何ら語るに値しない黒澤映画を冒涜した作品でした。その時、姫を演じた女優の安っぽい芝居を見ていると、頭の片隅には、その女優の出演したテレビCMなんかが絶えずちらつくのです。

さて、最近の映画からファッション・アイコン的な映画が生まれないのは、なぜでしょうか?それはそれを着る人に、強いパーソナリティーがなく、スタイリストにもそんなものは存在しないからです。まさにユニクロのチラシのような映画がそこにあるだけなのです。

時代劇を演じるということは、その時代を生きることです。それが出来た1950年代の日本映画だったからこそ、この作品は芸術なのです。雪姫を演じた上原美佐は、デビュー作で、黒澤明に演出されたことによって、映画を芸術の領域に高める真髄を見せつけられ、その後数人の監督の下で働き、感じたのでしょう。私は雪姫を演じるためにこの世界に入ったのだと。そして、そうだからこそ、彼女は、日本映画界から清く引退したのでしょう。