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ジーン・セバーグ

『勝手にしやがれ』Vol.2|ファム・アンファンなジーン・セバーグ

ジーン・セバーグ
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ジーン・セバーグというハリウッド女優の卵

勝手にしやがれ』は、ヌーヴェルヴァーグを知るためにもっとも重要な作品なのですが、それだけではなく、ジーン・セバーグ(1938-1979)とジャン=ポール・ベルモンド(1933-2021)の二人が、いまだかつてなんびとたりとも、そのような魅力を映画の中で見せたことがなかった、若さの躍動が生み出すパワーを映像の中で示した作品でもありました。

アメリカ合衆国の中西部にあるアイオワ州マーシャルタウンに生まれたジーン・セバーグは、スウェーデンからの移民でセバーグ・ファーマシーを経営する薬剤師の父の下、敬虔なクリスチャンの中流階級の家庭で育ちました。

12歳のとき『男たち』(1950)という映画で下半身不随の帰還兵を演じた俳優に魅了され、私も俳優にならなくちゃ!と考えるようになったのでした。この俳優の名をマーロン・ブランドと申します。

この保守的な町で、セバーグは黒人が差別されていることに立ち上がり、僅か14歳でNAACP(全国有色人種向上委員会)の会員になりました。そして、彼女はこの頃に、フランス語をなんと個人授業でマスターしたのでした(さらに、『悲しみよこんにちは』の撮影の前に、ミレーヌ・ドモンジョの家に一ヶ月ホームステイしてフランス語に磨きをかけていた)。

そんな彼女が、高校の演劇部で演じたのが『麗しのサブリナ』のサブリナ役でした。そして、その1年後に、彼女は、『風と共に去りぬ』以来の一大オーディション(18000人の中から選ばれた)が行われたオットー・プレミンジャーの『聖女ジャンヌ・ダーク』に出演し、翌年『悲しみよこんにちは』に出演し、ハリウッド女優の卵として注目されるようになったのでした。

その後すぐにフランス人の弁護士と結婚し、本作で、実際にパリに住むアメリカ人として、等身大の女性を演じる機会に恵まれたのでした。つまり、この作品で〝フレンチカジュアルの教科書〟と言われている部分のすべては、スタイリストなぞ存在しない撮影環境の中でジーン・セバーグ自身の感性により生み出されたものでした。

映画の最初にフランスを象徴するケリー・バッグが登場します。

そして、終盤には、モンテーニュ通り30番地にあるディオール店舗が登場します。

ちなみに『聖女ジャンヌ・ダーク』の撮影はロンドンで行われたため、1956年11月にセバーグは、ジャンヌ・ダルクの史跡巡りをすることが出来ました。そして、彼女は生まれてはじめて憧れのパリの地を踏むことになったのでした。

その時、セバーグはいの一番にモンテーニュ通り30番地にあるディオールを訪れ、ディオールのドレスを購入しました。

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若さとは反逆なのです。

ゴダール監督と主演の2人が打ち合わせしている写真。セリフは、当日、監督が口頭で役者達に伝えていた。

一日の撮影スケジュールを当日の朝伝えるゴダール。

セリフを書いた紙をベルモンドに渡し、イメージを伝えるゴダール。

カメラマンの目から見て、彼女の肌には驚かされたよ。スッピンの彼女の顔は、正直言ってよくないんだ。初対面では〝マズイ〟と思ったが、ひとたびメイクした彼女を撮ってみると、稀な被写体だと分かった。フォトジェニックなんだ。レンズを通すと美しい。照明が悪くても、光を集めやすい顔のつくりで肌のキメの問題も吹っ飛んでしまうんだ。

ラウル・クターク

この作品が撮影された当時、ジーン・セバーグは『聖女ジャンヌ・ダーク』と『悲しみよこんにちは』でハリウッド女優の卵として注目されていたものの、興行的大失敗を経験していました。

ゴダールがビックリした『悲しみよこんにちは』のカメラ目線のシーン。

しかし、ジャン=リュック・ゴダールは、『悲しみよこんにちは』のセバーグのダンスシーンを見て、カメラ目線になるシーンに感動していたのでした。そして、彼女のファム・アンファン(少年っぽい女の子)な魅力に強く惹かれました。

ジャン=ジャックは毎朝、学生が持っているようなノートをちぎった束をポケットいっぱいに詰めて現場に来るのよ。そこに書かれているのは前の晩に彼が考えたことなの。彼は恐れていたわ。自分が作っている映画が、長篇と呼べるような尺にはならないんじゃないかって。

ジーン・セバーグ

ジャン=ポール・ベルモンドは一ヶ月の撮影が終わった時、この作品は大失敗で映画公開されないだろうと考えていました。

撮影の時、完成した脚本は存在せず、ゴダールは、シークエンスとセリフについての膨大なメモを未整理のまま握り締め撮影を行っていました。そのため主役の2人は、次の日の予定が全く分からず撮影に参加していたので、演技の準備が出来ないまま、ありのままで撮影にのぞむしかなかったのでした。

このゴダールの美学が、新時代のファッションの美学をも生み出していったのでした。それは「頑張りすぎずに、ありのままの自分でいること」でした。

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そして、もう一度。若さとは反逆なのです。

車椅子に乗るカメラマンを引くゴダール監督。すごい撮影風景です。

私が今までしてきた事がない即興の演技ばかりだったけど、ベルモンドも私も、予想していたよりいい演技だと思うことが何度もあったわ。

ほんの二年前にハリウッド映画に出演していた時と、この差は何?トイレで着替えたり、脚本がないなんてあまりにも酷い環境じゃない、と思ったけど、実はこのやり方を楽しんでいる自分がいることにも気づいたの。

監督を満足させるために、百人ものプロデューサーやスタッフがイライラしながら私のセリフを待っている中で演技するよりも、このほうがずっと集中しやすいの。

ジーン・セバーグ

われわれは、法律上は禁じられていたにもかかわらず、あえて街頭へ出て撮影したりしました。当時のわれわれには、完全に無邪気な・・・というか、なかば気が違ったようなところがありました。

ジャン=リュック・ゴダール

それにしても、お世辞にも綺麗な映像とは云い難い、この作品からほとばしる生命力を感じるのはなぜでしょうか?パリ市内撮影はほぼゲリラ的に撮影されたので、行き交う人々が興味深げにカメラを見ています。

上記の写真のように、カメラマンは車椅子の上に座り、それをゴダール監督が動かし、野外の移動撮影を行っていたので、すごいモノに遭遇してびっくりしている人々の生の表情がカメラにたくさん映っています。

これはゴダールが、ロベルト・ロッセリーニの『イタリア旅行』を見て「男と女とクルマさえあれば、映画なんて始められる」という信念に基づいた撮影なのです。

カメラマンのラウール・クタール以外はゴダールもベルモンドも20代で、ジーンに至っては19歳でした。今の映画はどんな低予算の映画でさえも、この作品より遥かに美しい映像となります。しかし、この作品に敵う作品はなかなか生まれません。

「恥ずかしいな」と思いながらも、若さという奇跡の季節が持ちえる図太さにより、野外で車椅子を引く監督の前で、熱演した2人の姿に感動を覚えずにはいられません。

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そこには等身大のジーン・セバーグがいた

ゴダールは、もっとベリーショートにして欲しかったらしい。

「目をそらすまで見つめるわ」と訊ねるパトリシア。しかし、「人生最大の野心は?」とは彼には訊ねなかった。

パトリシアのアパートメントには、色々な絵画のポスターが貼られています。絵画のポスターを飾り、クラシック音楽を聴き、ウィリアム・フォークナー(実際にジーン・セバーグはフォークナーとヘミングウェイを愛読していた)を読むジャーナリスト志望の女子大生パトリシアのスタイルの魅力とは何か、それは捉えどころのない〝きまぐれな精神〟にあるのです。

彼女は、決してパリモードに対して興味がないわけではなく(のちにディオールの前を車で駆け抜けるときに、ディオールが欲しいわと言ったりもする)、パリの生活の中で、シーン、シーンに合わせたファッションを楽しんでいるのです。

新聞社から出たときにボーダーワンピースに着替えたパトリシアがミシェルの前で嬉しそうにくるりと一回転してみせる姿は、まさにパリモードをストリートで体現する喜びを表現した象徴的なシーンと言えます。

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パトリシアのファッション4

トムボーイスタイル
  • トリプルストライプのニットタンクトップ
  • 白のショートパンツ
  • ミシェルのソフト帽
ピクシーカットと少年のような体型により、どこか妖精のようなムードを漂わせています。そんな彼女が、煙草をふかし、ミシェルのソフト帽をかぶるのです。

「女は8日後にすることを、8秒後だと嫌がる。8秒も8日も変わらんのに・・・8世紀でも同じことだ」ミシェル

セシル・カットにソフト帽にショートパンツの素晴らしいアンサンブル。

ジーン・セバーグを象徴する写真です。

ラベンダーのコロンをつけるパトリシア。

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ビンタする。セックスする。本質は同じ。

「ウィリアム・フォークナー知ってる?」「寝た男か?」

〝2人で眠る〟と言うけれど、眠っているときは1人よ。

パトリシアの台詞

一緒にイタリアに行こうと言うミシェル。パトリシアが大学生であり、ジャーナリストを目指していることには全く興味がありません。彼はどこまでも自己中心的です。そして、パトリシアにとって、ミシェルは、すでに過去の人なのです。先の見えた人。だからこそ、その生態を終わりまでじっくりと観察したいのです。

ミシェルにお尻を触られ、ビンタする印象深いシーン(2回ある)があります。身体と身体が交わり合うことに喜びがあるというならば、明らかに、ミシェルは、パトリシアに叩かれ、喜びを感じているのです。

ベッドの上で、ミシェルとパトリシアの会話は噛み合わず、ただ疲れてセックスをしたような雰囲気を感じさせます。一人は絶望からの疲労感、もう一人は、希望からの疲労感に包まれ、一緒に休息しただけの話。これが、恋愛の面白さです。

男にビンタして、セックスもする。そんな巴里のアメリカ人女性がパリ市街を闊歩するファッションセンスに、世界中の女性たちは、今までの映画の中では感じることの出来なかった何かを感じたのでした。

彼女が『悲しみよこんにちは』と本作の僅か2作品をもって、スタイルアイコンとして不滅の輝きを放つのも、セシルカットと、フランス人形のような無邪気さと、アメリカ人女性の自由奔放な開放感が奇跡的に同居していたからでした。

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20点満点中15点のオンナ

ミシェルのストライプのカッターシャツを着るパトリシア。

上のシーンで壁に貼っている自分の写真は、映画用に撮影されたものではなく、当時の夫フランソワ・モレイユが撮影してくれた写真です。同じ時に撮影されたこの写真も素敵です。

全編に流れるマーシャル・ソラール(1927-)のジャズが本当に素晴らしいです。時代の空気と音楽は常に密接です。ベッドに持ち込むスマホもテレビも存在しない時代なので、パトリシアとミシェルの2人は他愛もない会話を投げかけあうことが出来ます。「足の指を見せろ。女は足の指が大切だよ」なんて軽口を叩く気にもなれます。

思えば、私たちは遠く離れた人(それほど大切でもない人)との交信にどれほど貴重な時間をすり減らしている事でしょうか?ファッションは音楽に反応します。しかし、常に日常は機械音と騒音に包まれてしまう。昔の音楽に包まれたい。その音の先にあるファッションに身を包みたい。

音をかき消す音に溢れている現在は、ファッションの上にファッションを重ねている空虚さに満ちています。『勝手にしやがれ』を見ていると、こんなパリだから、映画が生まれ、愛が生まれ、ファッションが生まれたんだと強く感じさせられます。

「20点満点中15点のオンナ」という台詞の面白さ。それはフレンチカジュアルの目指すところでもあるのです。「完璧じゃないから完璧なんだ!」ということなのです。

作品データ

作品名:勝手にしやがれ À bout de souffle (1960)
監督:ジャン=リュック・ゴダール
衣装:クレジットなし
出演者:ジーン・セバーグ/ジャン=ポール・ベルモンド