別の惑星を見ているような、和と洋が魅力的に折衷した映像に浸る喜び
たくさんの情報の波に溺れて、疲労困憊の21世紀を生きる私たちにとって、「時代を超越した日本人の不滅の所作と佇まい」を見ることが出来るのが、小津安二郎監督の名作が、あらためて世界中の人々の注目を浴びている理由と言えます。
その中でも、原節子様が主演の紀子三部作は、日本人女性を魅了する所作が詰まっている宝箱として、人気が高いです。
そのうちのひとつ『麦秋』の中にも、例えば、「そうさ!ぶつよ!ブン殴りますよ!」という淡島千景様のセリフから始まる、節子様とのおっかけっこ、その後に、二人とも、少女のように、後ろ手で立ち尽くすシーンがあるのですが、このように女性が可憐に見えるポーズがこの作品には散りばめられているのです。
着物と洋服、料亭と洋服、ビールと天ぷら、日本家屋に銀座のケーキ、銀座の喫茶店に和装など、あげればきりのないほど、この作品の中には、和と洋の絶妙な折衷を見ることが出来ます。
実に不思議な感覚なのですが、私たちは、今では小津安二郎の映画を見て、(当時現実的ではなかった)古き良き日本の文化を感じ取り、子どもが子どもらしいなぁと感じたり、「ただいま」と誰かが帰ってくるだけでワクワクしたり、食事する時の動きに安らぎを感じたりと、まるで別の惑星の何かを見ているようでありながら、不思議なことに、なぜか心が癒されていくのです。
本当に老舗料亭の娘だった三宅邦子様
紀子(原節子) : 分かっちゃいるのね、お兄さん。感心に。
史子(三宅邦子) : 分かってないのかと、思ってた。
康一 : 飯を食うのもいいが、とにかく、終戦後、女がエチケットを悪用して、ますます図々しくなって来つつある事は確かだね。
紀子 : そんなことない。これでやっと普通になって来たの。今まで男が図々しすぎたのよ。
銀座近くの料亭〝多き川〟で三人が天麩羅を食べているときの会話です。その時の三宅邦子(1916-1992)様の花柄の着物と、1930年代のハリウッド・ディーバのようなヘアスタイルがとても美しいです。
天保年間創業の老舗料亭に生まれた彼女は、晩年にいつも以下のように言っていたと、現存する料亭〝ふな又〟のホームページに引用されています。
「小津先生は演技に厳しい人でしたが、私にはあまり小言をおっしゃらなかった。呼吸がわかっていた為かも知れません。先生をはじめ、笠智衆さん、原節子さんと親しくさせて頂いたのが、私の後半生の支えでした。人生は出会いだと、歳を重ねるごとに思います。」
この映画は勇ちゃんを待つ映画です。
この映画の最高キャラそれは「勇ちゃん」です。間違いなく彼こそが、クレヨンしんちゃんの原型だと私は勝手に考えています。この映画は勇ちゃんを待つ映画です。もそ~っとしているんですが、この子とオルゴール風の「埴生の宿」が、この映画に幻想的な雰囲気を生み出しています。
特に、あの有名な集合写真を撮ったシーンの後に、カメラマン越しにちらっと見える勇ちゃんスマイルなんかは、明るい可愛らしい少年の聡明さが隠しきれません。
しかし、このコの最後のセリフが圧巻です。「勇ちゃんどこ行くの」と聞かれ、「ウンコ」なのです。昔の映画に出てくる子どもは、女性の母性を引き出す鏡とも言えるでしょう。
特に大好きな勇ちゃんのシーンは、この二つです。
1.冒頭のシーンの一言。「洗ったよ。嘘だと思ったらタオル濡れてるよ」と言いつつ実は洗っていない。
2.「ホラ おじいさん好きか?」「大好きならもっとやるぞ」「大好き」そして、もらうだけもらって、去り際に「キライダヨ~」、さらにも一度戻ってもう一言「大嫌いだよ~っ!!」。そして、その後に鼻をフンッとあげる仕草の可愛いこと。
こういう子どもの姿が撮影できるからこそ、小津安二郎監督は、世界の小津なのでしょう。大人と子どもが見事に調和が取れている。そんな世界観を描き出せるからこそ、この方の作品は、古き日本のファンタジーなのです。そこから退屈さを感じる人は、その人自身が、退屈に包まれている人に違いありません。若い人にこそ、この作品の「失われた日本の魅力」がよく理解できるはずでしょう。
間宮紀子のファッション2
カジュアルなカーディガン
- ゆったりしたカーディガン
- 同色のニット
- タータンチェックのロングスカート
- ソックスにグラディエーターサンダル
余白の美学
全てを見せずに余白を残す。紀子が結婚を決めた相手との馴れ初めをクドクドと説明はしません。これが省略の美学=余白の美学です。会話も映像も全てがシンプル=洗練されています。
小津安二郎監督の映画が、年を経るごとに新しくなるのは、現代では失われた様式美が、簡単にアクセス出来る彼の映画を通して、再認識しやすくなっているからでしょう。その世界には、テレビもなければ、携帯電話もパソコンもありません。それらがそもそも存在しない時代だったからこそ、映像の中から雑音と感じられるものが削ぎ落とされている新鮮な空間があるのです。
例えば、こう考えてみてください。勇ちゃんが、テレビを見ていて、紀子が、スマホをいじくっていて、佐竹さん(佐野周二演じる)が、パソコンを操作している。そんな『麦秋』を。
人と人との間にあるもの。これらが映像の中で増えれば増えるほど、映画は刺激的な要素のみが求められ、本質的なものから、遠ざかります。
一方で『麦秋』を見た人からこういう感想が生み出される可能性もあります。「あまりにも今の生活からかけ離れているのでピンとこない」。しかし、それはごく単純に「クロード・モネの絵を見てもピンとこない」と言っているのと同じなのです。
感性を磨く努力をしない人に限って、「私の感性には響かなかった」と言います。しかし、時代を越えて残るものには、何かしら素晴らしいものが存在するはずです。そんな謙虚な姿勢が無い人は、ただ新しい流行ばかりをなぞる人になります。
ファッションも全く同じです。余白の美学を知るファッションが、これからは求められます。それは、テクノロジーの恩恵にあずかりながら、テクノロジーに支配されない生き方と共通します。美しい女性には余白があります。そして、美しい女性は、アナログなのです。スマホをせわしなく電車でいじっている女性よりも、読書している女性のほうが、断然カッコいいのはそういった理由からなのです。
田村アヤのファッション2
3色使いのリブ編みニット
- 白×濃い色×うすい色のトリプルカラーのリブ編みのローゲージニット、ロングスリーブ、ボートネック、後ろにジップ
- タータンチェックのロングスカート
- 白の靴下
井川邦子さんが着るニュールック・スタイル
井川邦子(1923-2012)さんが着る程よくウエストラインが強調されるいかにも上流奥様風ファッション(グラフチェック)。Vネックの首もとのピンスタライプのアクセントが颯爽としています。クラッチ&白手袋。古き良き時代のアンサンブルです。
作品データ
作品名:麦秋 (1951)
監督:小津安二郎
衣装:斎藤耐三
出演者:原節子/淡島千景/笠智衆/三宅邦子/杉村春子