エディター・プロフィール:圭子・スカイウォーカー
生年月日不明。性別不明。国籍日本。見た目は30代前半、身長170cmくらい。藤圭子にすごく似ている。ラグジュアリー・ファッションに対する情報の幅の広さから、恐らく現役の関係者と推測される。本人とのやり取りはメールと電話と二度っきりの会見のみ。口癖「ファッション誌はあてにならないので読まないわ」。大好きなものは「ダイアン・アーバスの写真とニーナ・シモン」、最も嫌いなものは、「SNSに夢中な女子と、プチプラ自慢する人たち」とのこと。(長谷紅記) |
6.プラダ
前シーズン記事 2018年春夏おすすめラグジュアリーバッグPART1<プラダ>
ブラッド・ピットは『ファイト・クラブ』の中で、スペースモンキー達に試練を与えたの。「赤の他人に喧嘩をふっかけるんだ!そして、喧嘩を売って負けるんだ!」と。プラダが来りて笛を吹く。プラダこそが、ダサいをカッコいいに転換するファッションを数多く生み出してきたラグジュアリー・ブランドの元祖なのよ。 |
2018年プラダの冬は、「猿とバナナ」によってやって来たの。モンキー・プラダ・コレクション。プラダの三角ロゴにぶら下がるモンキー姿の哀愁溢れるシルエット。一見すると、なぜわざわざ数十万円ものお金を出してこんなプリントバッグを購入する必要があるんだ?と考えるのがまともな神経の持ち主よ。
だったら、どんなシーンでも使えそうなバッグを持っている方が合理的よね。しかし、ラグジュアリー・ストリート旋風が、そんな常識を吹き飛ばしているの。どこかに緩いスタイルを入れることこそが、ラグジュアリー・ストリートの真髄であり、バッグは、最もそういう用途に使い勝手のよいアイテムなの。
プラダというブランドの素晴らしい所は、緩いスタイルのバッグを生み出しつつも、手堅くトータルバランスに優れているバッグも生みだせるところにあるの。
1958年、創業者マリオ・プラダが他界して、その娘ルイーザがプラダを引き継いだの。しかし、60年代~70年代の急激なファッションの変化についていけず、倒産寸前の状態になっていくの。そんな時、プラダに救世主として現れたのが、ルイーザの娘マリア・ビアンキなの。
ミラノ大学で政治学科の博士号を持つ彼女は1978年、プラダを引き継ぎ、夫のパトリッツィオ・ベルテッリ(彼こそがプラダの影の総帥)と共に、今までのブランド・イメージだったレザーに力を入れるのではなく、なんと工業用ナイロン製防水生地「ポコノ」を用いてバックパックを製作したの。 このバックパックは1985年に発表され、1980年代に一大センセーションを巻き起こすことになり、その頃から使用されるようになった三角プレートのシンボルロゴと共に、プラダ復興の象徴となったの。そう!マリア・ビアンキこそ、後に改名したミウッチャ・プラダその人なのよ! |
『プラダを着たモンキー』シリーズ ★★★★★
プラダの真骨頂とも言えるのが、ダサいをカッコいい(もしくはカワイイ)に転換させるバッグを生み出せるところにあるの。
それは大人の遊び心をくすぐるわけなんだけど、プラダのポップセンスの素っ頓狂さは、ラグジュアリー・ストリートとの相性はもちろんのこと、カジュアルでも、下手をしたらビジネスシーンにおいても使えるところにあるの。この「プラダを着たモンキー」バッグもまさにそれ。
このバッグの意図は、バッグを所有する人の周りに集う人々を朗らかにするところにあるの。宇宙から派遣されたプラダを着たスペースモンキー。そう、君の指名は、世界中の人間たちに幸せを運ぶことにあるのだ。三角プラダにダンクシュートするかのようにぶら下るモンキーのシルエット。このバッグのポップアート・センスは只者ではない。
以下、一挙にシリーズを紹介。