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【ブロンディ】夢見るNo.1|革ジャンとミリタリールック

ブロンディ
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夢見るNo.1

The Tide Is High ブロンディを語るとき忘れてはならないのが、この曲「夢見るNo.1 」です。1974年に全米No.1ヒットに輝いたエリック・クラプトンの「アイ・ショット・ザ・シェリフ」(エリック!麻薬中毒から奇跡の復活を遂げる!)が、史上初めての全米No.1レゲエだとしたら、この曲に続く快挙をブロンディが成し遂げたことになります。

「どんなに大きな波が来ようとも、私はあなたのNo.1になるんだからね!」というとても可愛い歌詞です。バハマやマイアミ、タヒチ辺りのラグジュアリー・リゾートではかなりヘビーローテーションでこの曲が流されています。「コール・ミー」の大旋風覚めやらぬ1980年に発表されたフィフス・アルバム『オートアメリカン』(全米7位、全英1位)からのファースト・シングルでした。

しかし、何よりも恐ろしいのは、ロンドンで友人が詰め込んだテープの中からデボラ・ハリーがこの曲のカヴァーにこだわったという事実です。デボラ・ハリーという女性の反逆精神。彼女の新しいことにチャレンジする精神力の強さこそが、ロック・スピリットなのです。

概要


曲名:夢見るNo.1
原名:The Tide Is High
リリース:1980年
最高順位:全米1位、全英1位

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アメリカの坂本冬美

デボラ・ハリーとブロンディのすごい所は、パンクバンドとして始まったキャリアには飽き足らずに、オールディーズ、ロック、ディスコ、レゲエ、ラップと、新しい曲調に貪欲に挑戦したところにありました。であるにも関わらず、ガールズパワーを前面に見せずに、ヘラヘラと笑みを浮かべながら、不意に坂本冬美(or 和田アキ子)並にコブシを効かせるデボラの捉えどころのなさにしてやられるのです。

そして、盟友クリス・シュタインの重病を看病する為に引退(1982年。キャリアの全盛期に)するという、他のバンドではなかなか考えられない浪花節なのです。

彼女はシンガーである以上に愛を選ぶ女性であり、それが私たちの胸を打つのです。

この曲は、ジョン・レノンの最後の年(1980年)に、かなりお気に入りだった曲でした。元々は、ジャマイカのレゲエバンドのパラゴンズが1967年に発表した曲でした。

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ブロンディ・ルック23 ミリタリールック

大人の女性にとってのミリタリールックとは、カッコよくよりもカワいくを演出する絶好のアイテムなのです。以下の写真は、1977年にロンドンで撮影されたものなので、デボラ・ハリーは32歳でした。

まず最初にこの迷彩ボタンダウンシャツを今売り出せばかなり売れることでしょう。ポイントは何よりもエポレットです。そして、長袖であり両胸にポケットがついているタイムレスなデザイン性です。このシャツに迷彩カーゴパンツというかなりクドいスタイリングをクドく感じさせないのは、サスペンダーを上手く利用しているからです。




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このミリタリーショートパンツとエンジニアブーツの王道アンサンブルも時代を先取りしていてすごいです(最後の写真は1976年に撮影されたもの)。

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ブロンディ・ルック24 革ジャン

ニューヨークのバワリー通り(70年代から80年代にかけ、アーティスティックではあるが、スラム特有の最悪の治安を誇る通りだった)のストリートマーケットで見つけたという日本製ゴルフ用サングラスと、ロサンゼルスのリサイクルショップで見つけた小さな子供用のレザーのモーターサイクルジャケット

ブレスレットには稲妻がついているのですが、これはデヴィッド・ボウイが「アラジン・セイン」(1973)の時にしていたフェイスペイントをモチーフにしたデザインです。

こちらの写真もすべて1977年にロンドンで撮影したものです。



Blondie 1977 Debbie Harry London, England (Photo by Chris Walter/WireImage)