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『細雪』1|岸恵子・佐久間良子・吉永小百合の着物

吉永小百合
吉永小百合岸恵子
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裾さばき、衣擦れの音。キモノとは音の美学

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帯がキュウキュウなるねんと確かめる2人。

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この岸恵子様のエメラルド・グリーンのキモノが美しいです。

この女優たちを見ていると、きびしい躾で練り上げられた蒔岡姉妹のような芸術品の存在が、完全に信じられる。しかも、この映画が作り出す世界に魅惑されることはたやすい。   『映画辛口案内』 ポーリン・ケイル 朝倉久志訳

衣装協力は三松です。船場・芦屋の上流社会の衣裳コレクションを下敷きに、全てのキモノが白地から染め上げられました。合計120点の衣装代だけでも、1億5000万円がかけられたといいます。

キモノとは、静寂の漂う日本家屋の中で響き渡る衣擦れの音。特に、岸恵子様が着ているエメラルド・グリーンのキモノが美しいです。ゆったりとした襟合わせの岸様ときちんと詰めた襟元の佐久間様の対比。どうして岸様の立ち姿に艶やかさがあるのか?その秘訣が襟元なのです。

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鮮やかなエメラルド・グリーンの訪問着。白金の帯→あずき色帯に変更。一方、吉永小百合様は華やかな綸子ちりめんの友禅

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色彩の繊細さをキモノと和の空間に溶け込ませる

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畳と障子と低い天井。そして、和の香りが漂ってくる。

室内では真珠色と象牙色の濃淡、屋外では色彩の爆発―桜色と紅葉色と赤みがかかった紫色ーで表現される。市川はわれわれが音楽的に理解できる映画を作り、しかも、俳優たちをゾンビに変えず、堕落と美とユーモアとが渾然一体となる彼独自のセンスを失わずに、それをやってのけた。  『映画辛口案内』 ポーリン・ケイル 朝倉久志訳

日本料理とフランス料理は、世界でも類稀なる食文化であると言われています。長らく、料理は、芸術にはなり得ないと考えられていました。所詮は失われるもの。しかし、色彩、配置、味覚、嗅覚を極限にまで意識した2つの国の料理は、失われるものに命を吹き込む美学を追求しました。

「どうせ食べるものに対して、どうしてそこまで情熱を注ぎ込めるのか?」その問いに対して、明確なる答えは、「それを理解できる国民性を持ち合わせていたから」なのです。日本人とフランス人が、芸術性の高い国民性を持ち合わせていることは、浮世絵と印象派の画家の関係性などを見ても、実証できます。そして、それらの感覚は、ファッションの色彩感覚においても十分に反映されています。

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吉永小百合様のエロス

爪を切る姉妹。見せすぎないエロス。

この作品が吉永小百合様にとって、女優としての幅を広げるきっかけとなった作品と言われています。義理の兄の前でゆっくりとはだけた長襦袢の裾を直す仕草と表情。捉えどころのなさが生み出す和のエロス。人前では上品な雪子が、女中の前では、歯にくっついたお茶の葉を指でつまみ出す素の表情のギャップ。

日本女性のエロスの体現と申しましょうか。雪子を演じる小百合様は、ミニスカートを履くわけでも、胸の谷間を強調するわけでも、ないのですが、足のすねを見せるただそれだけのことで、日本のエロスの本質を表現し、世界基準の女性のエロスの真髄を表現しています。

つまり、裸になっても、それはただその人の剥き出しの胸が男性の性欲を掻き立てるだけです。本当のエロスとは、ある女性の個性が裏打ちされたものであるべきなのです。見せすぎる女性は、個性が喪失していくだけなのです。

雪子(吉永小百合)ルック3 爪きりルック

紺色に菱形柄(赤と青)の西陣絣

鶴子(岸恵子)ルック3

グラフチェックのあずきとクリーム柄の着物。一越ちりめん。赤帯。

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和服の似合う令嬢が、洋服を着ると、洋服は和服になる

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「ひざ小僧出して、浜松屋の弁天小僧やがな」幸子

古手川祐子様の洋服が実に素晴らしいです。大きく3種類の洋服を着るのですが、どれも彼女のコケティッシュな雰囲気を反映しています。半そでにロールアップしたすみれ草柄の白のワンピース。白のハイヒールサンダルに白のカチューシャ。サファイア色のドットツーピースはかなりの可愛さです。そして、ターコイズブルーのリブ編みのニットロングカーディガン。どの洋服も似合っています。そして、和服の祐子様も、全く違和感を感じさせないその生活の中でファッションの幅を楽しんでいるこなれ感に驚愕します。

もしかしたら、昔の昭和の女性の方が、今の私たちよりも、遥かにファッションの幅を楽しんでいたのでしょうか?私たちは何を失い、何を手にしたのでしょうか?それが今すごく気になります。

和服を着る習慣が存在した時代に洋服を着る日本女性は、どこまでも和服として洋服を着ているんだという印象を与えます。体型や生活習慣などについて考えると、日本の文化の中で、進化する洋服は、結局のところ、進化した和服と呼んでよいのではないでしょうか?だからこそ、この作品は、「キモノの魅力が最も伝わる映画」であり、日本女性の美が最も体現されている映画の1つなのではないでしょうか?