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ミシェル・モルガン 『霧の波止場』(2ページ)

その他の伝説の女優たち
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作品データ

作品名:霧の波止場 Le Quai des Brumes (1938)
監督:マルセル・カルネ
衣装:ココ・シャネル
出演者:ジャン・ギャバン/ミシェル・モルガン/ピエール・ブラッスール

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第二次世界大戦前夜の最後のココ・シャネル

とても味がある昔のポスター。

まず最初に、そこには、〝ベッドで真っ白なシーツにくるまって寝ることだけを夢見る男〟がいた。そして、もう一人、いや、もう一匹、夜の道を歩く子犬がいた。最後に、男は夢を叶え、汽笛は鳴った。そして、子犬は、主人を失い、再び、一人ぼっちで道を歩くことになった。

〝永遠の愛〟とは、〝実らなかった愛〟のことを言います。トレンチコートを着た美少女が、波止場のはずれにあるボロボロの食堂にいます。この美少女だけは、映画の中で、輝きに満ち溢れています。〝登場人物が全員負け犬の物語〟である本作において、彼女だけは、明るい希望に満ちた未来が約束されているかと思いきや、彼女も見事に、悲劇的な終焉を迎えます。それが、フランス映画なのです。

当時、まだ18歳になったばかりの、後に1946年のカンヌ国際映画祭において、輝くべき第一回目の女優賞を『田園交響曲』で獲得することになる大女優ミシェル・モルガン(1920-2016)の初々しい姿が、『天井桟敷の人々』を撮る前のマルセル・カルネ監督の見事な演出により、神話的ともいえる存在美を示すに至っています。

その根底にあるものは、第二次世界大戦前夜のフランスで、17歳の少女が着る衣装として、ベレー帽と、トレンチコートが選ばれたその感覚にあるのです。当初、ミシェル・モルガン扮するネリーが着る服は、マルセル・ロシャスで予定されていましたが、ミシェル自身が、ココ・シャネルを訪問し、その時シャネルから、この作品に必要なものを聞き、衣装提供をしてもらったのです。

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ココ・シャネルがデザインしたトレンチコート

ココ・シャネルがデザインしたビニール製トレンチコートの足元には、メンズライクなオックスフォード。

ポケットの中の手が透けて見えています。

身長163㎝。全身が透け透けのスケルトン・トレンチコート。

「男と女は決して分かり合えない。考え方が根本から違う」「でも愛し合うことは出来るわ」

17歳にして、このルックス。見つめられると息も出来なくなりそうな目です。

ミシェル・モルガンについて言うと、私は彼女を眺めるだけで、話しかけることすら出来なかった。彼女を前にすると、気後れしてしまったのである。

『夜の騎士道』(1955)で共演したブリジッド・バルドー

コートの下のワンピースは、貞淑な雰囲気です。

ピーターパンカラーのワンポイントが魅力的。

ネリー・ルック1 スケルトン・トレンチコート
  • ビニール製のトレンチコート
  • バスク風のベレー帽
  • 白のスカーフ
  • オックスフォード
  • ピーターパンカラーのデイドレス

ミシャル・モルガンが、衣装についてのアドバイスをココ・シャネルに求めた時、彼女はこう言いました。「光沢のあるトレンチコートを着るべきです。そこに必要なものは、後ろ姿とワックスとベレー帽だけです」と。それは、〝女優は、別の世界から来たかのように、輝かしい存在であるべき〟という映画におけるシャネルの持論でもありました。そして、彼女は、トレンチコートをミシェルに贈呈したのでした。

シャネルのクレジットが本作にない理由は、ただ一枚のトレンチコートを提供しただけなので、シャネル自身が固辞したからでした。そして、翌年1939年、シャネルは、香水とアクセサリーの部門を残して、突然オートクチュールの店を閉め、3000人の従業員を解雇したのでした。