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マドンナ伝説11(3ページ)

マドンナ
マドンナ
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テレグラム・ガール「ブルー・イン・ザ・フェイス」1995年


ハーヴェイ・カイテルの前で電報のメッセージを歌うマドンナ。ちなみに、ハーヴェイは、クエンティン・タランティーノ監督の1992年の作品『レザボア・ドッグス』作中の、「ライク・ア・ヴァージン」シーンの中心人物の一人です。そう考えてみると実に感慨深いシーンです。

7thアルバム『レイ・オブ・ライト』(1998年2月リリース)
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オリヴィエ・ティスケンスで舞うマドンナ

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「フローズン」 1998年2月リリース。全米2位、全英1位

このアルバムには全身全霊を注ぎ込んだわ。だからこうやってみんなの心をつかむことができて、今とても幸せなの。・・・『レイ・オブ・ライト』は年を重ねることと、ただ愉快に過ごしてお楽しみを求めるようなこの10年か20年の生活からの卒業とを結びつけた作品だと思う。・・・このアルバムは、名声が人を幸せにするっていう考えは捨てなさいっていうのが首尾一貫したテーマなのよ。

マドンナ

そして、マドンナは東洋の神秘に到達するのでした。そう、第5形態は、アルゼンチーナからはじまりエージアン・シンパシーへと到達するのです。ネオ・エージアンとでも申しましょうか、それはジャパニーズではなくもっと大きな東洋全体をマドンナ風に解釈した世界観でした。それは1996年10月にローデスを出産した後のマドンナ自身が、ユダヤ教神秘主義カバラに入信し、ヒンドゥイズムとヨーガを勉強した果てに到達した新しい音楽のカタチでした。

『フローズン』のPVの撮影は1998年1月7日から11日にかけて、極寒と雨のカリフォルニアの砂漠地帯で行われました。その映像は映画『イングリッシュ・ペイシェント』(1996年)とマーサ・グレアムの舞踏からインスパイアされています。


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マドンナ・スタイル19 ブラックゴススタイル
  • オリヴィエ・ティスケンスのブラックゴスガウン
  • メヘンディ(ヘナアート)
  • 裸足

まさにプッチーニの「マダム・バタフライ」とヴェルディの「アイーダ」を連想させる曲調に合った幻想的かつ悪魔的、そして、耽美的な衣装です。この年(1998年)、オリヴィエ・ティスケンスは、パリコレ・デビュー(1998AW)を果たします。


そして、1998年3月23日、ロサンゼルスのシュライン・オーディトリアムで開かれた第70回アカデミー賞授賞式にマドンナが着たオリヴィエ・ティスケンスのブラックドレスにより彼の名は、一躍ファッションシーンに響き渡ったのでした。以後、2003-04AWよりロシャス、2007-08AWよりニナ・リッチ、2011SSよりセオリーのデザイナーに就任します。


1998年のVH1/Vogueファッションアワードにて、オリヴィエ・ティスケンスのイエローガウンを着用するマドンナ。漆黒のゴシック風な髪型とドレスのアンバランスさに当時のプレスは違和感を感じました。

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1998年、ヴェルサーチのブラック・レザー・ゴスドレス。隣はドナテラ・ヴェルサーチ

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『フローズン』ライブ・パフォーマンス

BBC、1998年。


サンレモ、1998年。


ドラウンド・ワールド・ツアー、2001年、ミシガン。