一枚の写真が生み出すインパクト
ハイネックでハイゲージのセーターと、ヴィンテージ風の味のあるレザーベルト。乗馬風で品良くロールアップされたテーラードパンツ。そして、何よりも美しい光沢が伝わる恐らくブラウン系と見られるレザーブーツ。今でも全く違和感のないラグジュアリー・カジュアルです。
ジョーンの洗練された美しさはこういった一枚の写真から伺えます。ヴィンテージフォトとは、ある種のタイムマシーンなのです。そこから古さを感じ取る人と、新鮮さを感じ取れる人の感性の違いを図るリトマス試験紙でもあります。
ジョーン・クロフォードを知るための映画
「アブサンを?」と頼むときのジョーンの声質の良さ。全編において、こちらも恥ずかしくなるグレタ・ガルボの乙女チックな役柄に対して、ジョーンの役柄は女性が憧れる姉御肌であり、機を見るに敏な悪女の素養も持っており、それらを表現する彼女の大きな眼力に魅力されます。
まさに、メイクアップに魅了される映画です。ヘアスタイル、立ち振る舞い。全てにおいて、現在に取り込める要素に満ち溢れており、現在にも残る女性の美徳を再認識できる作品です。ジョーン・クロフォードを知るということは、<女である喜びを知ることです>。のちにグレタ・ガルボは、ジョーンと再会した時に、こう話しかけました。「一緒に映画に出たけれど、共演シーンがなかったことに後悔しているのよ」。
日本での認知度が低いジョーン・クロフォード。ハリウッドにおいての認知度はガルボに匹敵します。この認識を改めるきっかけになる作品が『グランドホテル』です。そして、美に関わる最先端の仕事に従事する人々にとって、1930年代から1940年代の映画を知らずして、新たなる美の創造は、不可能です。「映像と美の融合」の始まりを知らないことは、明治神宮と原宿を知った所で、京都と奈良を知らぬものが、日本の美について語れぬように、美を語ることは出来ません。
美容はともかくとして、美を生み出すファッションというカテゴリーは、いまや芸術の領域に片足を踏み入れつつあります。カジュアルな着こなしを楽しもうと言う観念にアパレル業界が支配されることは、不景気の中で更なる深刻な不景気を呼び込む、負の蟻地獄の人生に、自分を含め周囲を巻き込む結果になります。
今のアパレル産業の構造は、ファッション性を放棄した(効率よくデザインを生み出し、商品を売ることにより、販売員はただの歯車のひとつに成り果てる)成れの果てです。もしあなたがアパレル業に従事するならば、一つの決断をしなければなりません。ファッションの芸術性に人生の活路を見い出すか?ファッションを放棄したアパレル産業と共に貧困の中で、過労死を迎えるのか?1930年代も現在もさほど人間の選択肢は多く存在しないと言うことです。「イエロー・ルーム・ダンスパーティー午後5時より」さぁ、ルイジアナ・フリップを飲もうではないか?