ハマンブーケ
原名:Hammam Bouquet
種類:オード・トワレ
ブランド:ペンハリガン
調香師:ウィリアム・ペンハリガン
発表年:1872年
対象性別:男性
価格:100ml/20,500円
ペンハリガンというブランドの神秘性
ペンハリガンの創業者であるウィリアム・ペンハリガンには、謎が多い。それは公式データにおいても、最初の理髪店が、1870年にオープンしたという記述と、1874年にオープンしたという記述の二種類が存在することからも窺い知れます(ただし、創業は1870年で統一されている)。
真実はこうです。ウィリアムは、1837年1月27日にコーンウォールにある港町ペンザンスに生まれました。1861年から、地元で理髪師兼調香師として働いていた彼は、1869年に、家族と共にロンドンに住居を移します。
そして、ジャーミン・ストリートにあるハマムで理髪師としての職を得ました。やがて、彼は、ここで香水も販売するようになり、1872年に最初の香り「ハマンブーケ」を誕生させたのでした。一説によると、「ハマンブーケ」とはこのハマムの店名らしいです。
1874年に、ウィリアムは、理髪師の先輩であるジーベンスとこのハマンを購入します。そして、1880年にジャーミン・ストリート66番地(1903年には初代ジェームズ・ボンド御用達のシャツメーカー、ターンブル&アッサーもここに店を構えた)に理髪店兼香水ショップ「ペンハリガン&ジーボンス」をオープンするのでした。
さらに1891年に、二号店がセント・ジェームス・ストリートにオープンし、1904年にウィリアムが亡くなると、既に亡くなっていたジーボンスの名はブランド名から取り除かれたのでした(1941年のロンドン大空襲で本店とハマムは共に破壊されました)。
史上初めての本格的メンズ・フレグランス
ハマム(ハンマーム)とは、スチームバスだけでなく、あかすりやマッサージ、理髪のサービスを受けることが出来るトルコ式大衆浴場です。それはトルコをはじめとするイスラム文化圏におけるカフェのような社交場の役割も担う場所でした(ローマの浴場文化を継承している)。
ヴィクトリア朝時代の1860年に、ロンドンに最初のハマムが建てられ、大流行することになりました。それはある種、当時の英国貴族社会における抑制された性欲を、トルコのスルターンのように奔放な性愛により発散したいという幻想の裏返しでもありました。
そして、ウィリアムもそんな流行に乗り、ハマムお抱えの理髪師となり、日々そこから漂う硫黄やマッサージオイルの香りを嗅ぎ、すっかりその神秘的な香りに夢中になったのでした。
かくして彼は、まだ男性向けのフレグランスは、オーデコロンしかなかった1872年に「ハマンブーケ」を調香したのでした(トルコのスルターンから依頼を受けて作られたという伝説もある)。それは当時としては非常に珍しい〝オリエンタルの異国情緒溢れる香り〟でした。
全身を泡で包み込み、至福のマッサージを受けるような香り
閃光のように輝くフレッシュなベルガモットの苦みと、ハーバルなラベンダーの清涼感が、適度な刺激を与えるマッサージによって、心のコリがほぐされていくようにこの香りははじまります。
すぐにドライスパイシーなシダーと浮遊感漂う神秘的なオリスルート、動物的なジャスミンに導かれ、雨に濡れたターキッシュ・ローズがみずみずしいグリーンの香りを解き放ってゆきます。
そこにゆっくりとシベット、アンバーグリス、ムスクが溶け込み、スチームバスの蒸気と硫黄を感じさせる、カビのようなムスキーローズが全身に降り注ぐのです。
とても懐古的なポプリのようなローズが広がる中、パウダリーなオリスルートにクリーミーなサンダルウッドが注ぎこまれ、いよいよハマムにおける至福のひと時を追体験することになります。それは全身を泡で包み込むマッサージを受け、すべての汚れが洗い流され、身も心もフワッと軽やかに舞い上がるような余韻に満たされるのです。
この香りは、素肌に対する効果もさることながら、スポーツジャケット、セーター、コート、マフラーを格上げする〝存在の気配〟と、きらめくローズブーケの〝華麗なる男の色気〟を生み出す力もあります。つまり、この香りの素晴らしさは〝疑いようのない清潔感〟の中に、明らかに〝官能の罠〟が仕掛けられているところにあるのです。
ルキノ・ヴィスコンティの香り
「ハマンブーケ」は、マリア・カラスを創造した男ルキノ・ヴィスコンティが溺愛した香りでした。そして、カラスもヴィスコンティから漂うこの香りを愛していました。彼が演出するベッリーニの『夢遊病の女』でアミーナを演じた時、彼のハマンブーケをハンカチに染み込ませ役柄に没頭する手助けにしていました。
更に、後に『ロミオとジュリエット 』(1968)を撮る名匠フランコ・ゼフィレッリ(1923-2019)もこの香りを愛していました。
彼は1940年代にヴィスコンティの助手をしていたのですが、その時の感想は以下の通りです。
「ヴィスコンティを一言で形容すると、エレガント。カスタムメイドしたシャツから靴、美しい邸宅、声、マナー、その全てが貴族的な空気に満ちていました」
「本当に私の人生でこれほど魅惑される男性に出会ったことはありません。いつもステキな香りを漂わせている人でした」(更に、朝夕2回ペンハリガンのバスオイルの入った風呂に浸かり、そこで助手に翌日の仕事の流れを伝えるのでした)。
その香りこそ、「ハマンブーケ」であり、ゼフィレッリは、後にペンハリガンを買収したのでした。
そんな「ハマンブーケ」が、2003年に再販されることになったのでした。
ルカ・トゥリンは『世界香水ガイド』で、「ハマンブーケ」を「ウッディフローラル」と呼び、「ウッドを背景にラベンダーとローズがたっぷり使われている。オリジナルの処方は物憂い感じでみごとに仕上がっていたはずだが、最近のものは、やや粗く感じる。おそらく原料の多くがもはや入手困難であったり高価過ぎるためだろう。」と3つ星(5段階評価)の評価をつけています。
香水データ
香水名:ハマンブーケ
原名:Hammam Bouquet
種類:オード・トワレ
ブランド:ペンハリガン
調香師:ウィリアム・ペンハリガン
発表年:1872年
対象性別:男性
価格:100ml/20,500円
トップノート:ベルガモット、ラベンダー
ミドルノート:ローズ、シダー、ジャスミン、オリスルート
ラストノート:サンダルウッド、アンバー、ムスク