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作品データ
作品名:陽のあたる場所 A Place in the Sun (1951)
監督:ジョージ・スティーヴンス
衣装:イーディス・ヘッド
出演者:エリザベス・テイラー/モンゴメリー・クリフト/シェリー・ウィンタース
ミス・ハリウッド=エリザベス・テイラー
ミス・テイラーが、自分のために、男に殺人、あるいは暴力的な犯罪を犯させようと思ったら、ただカメラの前を通り過ぎればよい。
ニューヨーク・ポスト
1950年代初頭、世界で最も美しい女性と言えば、エリザベス・テイラー(1932-2011)でした。トレードマークは、ヴァイオレットの瞳と先天的な二重まつげ。その瞳で見つめられたならば、どんな男性でも目をそらさずにはいられないと言われ、1943年『名犬ラッシー/家路』で共演したロディ・マクドウォール少年(当時)は、後年「大きなスクリーンに映し出されるために生まれたこの少女以外の誰が二重まつげをしているだろう」と回想しています。
リズ・テイラーは1932年2月27日に二人兄妹の妹として、ロンドンで生まれました。両親ともにカンザス州アーカンザスシティ出身のアメリカ人でした(ボンド・ストリートにアートギャラリーを開くため、1929年にイギリスに移住していた)。母サラは元々、舞台女優をしており、1926年に引退しています。そして、第二次世界大戦が勃発する直前の1939年4月に、戦火を避けて一家はアメリカへと戻ることを決めました。戦時中の1942年、僅か10才の美少女リズ・テイラーを巡りユニバーサルとMGMは争奪戦を繰り広げました。
結局MGMと長期契約を結び、『緑園の天使』(1944年)で主役を演じ、12歳のにしてリズ・テイラーは子役スターになりました。リズは、確実にヒットを飛ばす子役女優として高く評価され、撮影でNGを出さずにワンテイクで決めることから「ワンショット・リズ」と呼ばれるようになりました。当時、スタジオは彼女の髪を明るい色に染め、名前も、ヴァージニアに変えるように提案しました。しかし、彼女自身(母親も)が拒否しました。
1949年『若草物語』で、リズ・テイラーは少女役を卒業することにしました。そして、この年、撮影開始されたのが、本作『陽のあたる場所』です。原作は1925年にセオドア・ドライサーの「アメリカの悲劇」です。この原作は、1908年に死刑になったチェスター・ジレット事件をもとに書かれたものでした。
モンゴメリー・クリフトの存在感
(はじめて会う時)とても不安でした。モンティはニューヨーク・メソッドの演技訓練を受けた俳優なのに、自分は馬や犬以外とは演技をしたことのない、きれいな衣装を身につけているだけの、未熟な10代のハリウッド人形にすぎない気がして・・・
エリザベス・テイラー
そして、この作品で、エリザベス・テイラーは初めて監督から、映画撮影において撮り直しを求められるのだった。
彼の体からは実際に汗が噴き出し、目には涙がにじんでいたの。それはジョージ・イーストマンの涙だったわ。私は思った〝彼は何をしてるの、どうしてそんなに涙を流しているの?これは映画の撮影なのに・・・〟私はそれから、演技について考えるようになりました。
エリザベス・テイラー
当時17才にしてこれほど繊細な令嬢を演じるリズ・テイラー。今まで何の幸せもなかった青年が、こんな女性に好意を寄せられてしまったなら、もう有頂天にならざるを得ないという説得力に満ち溢れています。そんな彼女が、登場するときに着ている純白のドレス。
黒革のジャケットを着て登場し、35ドルのだぼだぼのツイードのスーツを新調して身に包んだモンゴメリー・クリフトとの圧倒的なクラスの差を示してくれます。それがコスチュームの役割です。そして、主人公が段々と洗練されていきます。彼もまたタキシードを着るようになり、華麗なる一族の生活に慣れていくのです。ファッションと言うものが、いかにその人の生活基盤にそったものなのか?一方、やぼったい娘を演じるシェリー・ウィンタースとの対比。この映画は極めてファッションの持つ魔性を扱った作品なのです。
エリザベス・テイラー・ルック1 ホワイト・ストラップレスドレス
- シルクストラップレスドレス
- 一連パールネックレスとパールのイヤリング
- 白のハイヒールパンプス
- 白ミンクのケープ
- 白のロンググローブ
- 白のガマ口バッグ