若林映子(あきこ)が案内するスウィンギング・ニッポン
今、若林映子(1939-)という女優を知る人はどれだけいるでしょうか?特にそれが45歳以下だと、恐らくほとんどいないでしょう。1960年代の東宝映画の中でも『三大怪獣 地球最大の決戦』(1964)を見ている人くらいにしかピンと来ない「幻の人」それが若林映子様なのです。
しかし、21世紀に入り、007再評価の機運が、世界中の若い男性を中心に高まっている今、若い女性の間でもボンドガールという存在に対する再評価の流れが始まりつつあります。
要はボンドガールという存在に対しての捉え方が、世紀を越えて変わってきたのです。最初は、007という男性のアクション映画の添え物に過ぎない、セクシーで尻軽な女性という〝峰不二子〟にも似たイメージから始まり、やがて、世紀末に近づくにつれ、時代遅れな産物に成り果てて行きました。
しかし、それが世紀を跨ぎ、ダニエル・クレイグがジェームズ・ボンドになり、やがて、トム・フォードがスーツを担当するようになった途端に、007の世界観そのものに対しての評価が、一転したのでした。
ファッションに影響を与える最後尾から、最前列へと急旋回して、ボンドムービーは舞い戻ってきたのです。やがて、ダニエル・クレイグを入り口に、歴代ボンドを知るようになり、失われつつある大人のダンディズムをそこに見出した、ファッション感度の高い男性たちがバイブルとしてもてはやす中で、ボンドガール達は、その脇を固める最高の装飾品である、ダイヤモンドのような輝きに満ちた存在として、再評価されるようになるのでした。
そのような流れにより、ファッションの歴史を学ぶことが出来るクールな教材として、ボンドガールの存在は今では、不動のファッション・アイコンとなったのでした。
そして、若林映子様に話を戻しましょう。1960年代の日本のファッションを語るとき、この人について言及せぬものは、何も語っていないも同然だと断言できるほどに、彼女は、60年代の日本人女性のファッションを体現していました。
そして、映子様の姿と共に見ることが出来る、イギリス人カメラマンによる60年代の日本の風景は、間違いなく私達の創造意欲を刺激して止みません。
私がここであえて言及したいのは、『007は二度死ぬ』で映し出されている日本は、〝日本人自身では撮影することの出来なかった〟空撮の姫路城をはじめとする60年代の日本そのものであるということです。そして、もちろん60年代の日本女性の魅力もここに映し出されているのです。
アキのアイコニック・スタイル
ネックレスやイヤリングなどのアクセサリーを一切つけないことが60年代エレガンスの真骨頂です。
それはオードリー・ヘプバーンのスタイリングに象徴されるものなのですが、実際のところ、60年代的であるというよりも、普遍的なエレガンスのルールであり、50年代にグレース・ケリーも実績していたことです。
本当に美しくなりたければ、〝我が身をジュエリーのように磨きこむのよ〟ということなのです。
真のエレガンスとは、ダイヤモンドをつけないことです。ただし、特別な時以外には。もしくは、ただ一点のみつけることです。
アキ・ルック1
アイコニック・ワンピース
- サックスカラーのノースリーブワンピース。左肩に金のブローチ、前後にシフォンのパネル生地、ボートネック
- 同色の大判のシフォンストールを頭に巻く
- 同色のハイヒール・パンプス
今では絶対に見ることが出来ない風景がそこにある。
作品データ
作品名:007は二度死ぬ You Only Live Twice(1967)
監督:ルイス・ギルバート
衣装:アイリーン・サリバン
出演者:ショーン・コネリー/若林映子/浜美枝/丹波哲郎/カリン・ドール/ドナルド・プレザンス
- 【007は二度死ぬ】ジェームズ・ボンド日本上陸
- 『007は二度死ぬ』Vol.1|日本に来たジェームズ・ボンド=ショーン・コネリー
- 『007は二度死ぬ』Vol.2|ショーン・コネリーとトヨタと姫路城
- 『007は二度死ぬ』Vol.3|丹波哲郎とドナルド・プレザンス
- 『007は二度死ぬ』Vol.4|若林映子・日本人ボンドガール第一号
- 『007は二度死ぬ』Vol.5|若林映子とショーン・コネリー
- 『007は二度死ぬ』Vol.6|若林映子と「60年代のスウィンギング・ニッポン」
- 『007は二度死ぬ』Vol.7|浜美枝・もう一人の日本人ボンドガール第一号
- 『007は二度死ぬ』Vol.8|竹取姫のような浜美枝様
- 『007は二度死ぬ』Vol.9|カリン・ドール、第三のボンドガール
- 『007は二度死ぬ』Vol.10|ナンシー・シナトラの神曲