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『細雪』2|岸恵子・佐久間良子・吉永小百合のキモノ

吉永小百合
吉永小百合岸恵子
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吉永小百合様と古手川祐子様。

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吉永小百合様。

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タイムレスな生命力。女優様の持つ意志の力。

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どうして昔の女優様はこれほど生命力に溢れているのでしょうか?

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古手川祐子様。

下の2人の姉妹と、上の2人の姉妹。4人の女優がそれぞれの持ち味を出し合い映画の中の空気を支配し、谷崎潤一郎の原作を再現する以上に市川崑監督の「女の強さ、自己顕示欲とナルシシズムをさりげなく誇張して、女性の本質を描きたい」という願いを、見事に昇華させたところが、昔の女優様の(監督様と共に)映画の中に生命力を生み出せる素晴らしさだと思います。

まさに彼女達が着物を着て歩いている姿は、原作の「折柄の快晴の秋の日に、その三人が揃って自動車からこぼれ出て阪急のフォームを駆け上がるところを、居合わす人々は皆振り返って眼を歌てた」という文章の説得力を生み出します。

この作品が的確に現代女性に教えてくれることは、「キモノを支配するものはテッペン」ということです。テッペンとは、つまりヘアスタイルです。ベースは黒髪がマストであり、カラーの入った髪でキモノを着ると、キモノはその神通力を失います。インターネット通販の浴衣の宣伝写真を思い起こしてください。そこには和装というよりも、コスプレという名が相応しい写真が列挙されています。

キモノは相当に愛がいるファッションです。男性の皆様。キモノを着こなしている女性を見かけたならば、こう考えてください。「キモノを愛してるんだな」と。キモノが好きな女性は全体的に情愛に満ちているのは、キモノとは、愛がなければ、着こなせぬものであり、何かを生活の中で愛する習慣(それはスマホの前で自撮りする類いの自己愛の習慣ではなく)を持つことは、女性の感覚を素晴らしく研ぎ澄ましていくからなのです。

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日本女性が最も美しかった時代

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幸子のモデル谷崎潤一郎夫人松子様と佐久間良子様。

何が古くて、何か新しいのかということを考え直してみたらと思いました。映像化の視点をそこに絞ってみました。陽が射すと、すぐに溶けてしまう細雪。そのはかなさ。美しさ。実体があるようで無い。これを主人公の四姉妹に置き換えてみる。    市川崑監督

これからの日本女子に求められることは何か?髪の色は黒色。ネイルは自分の爪。靴と鞄から始まるファッションセンスを磨き、キモノを着ることはなくとも、キモノの物腰を生活の中に取り入れる。昔の上質な日本映画の中から言葉を拾い上げ、言葉遊びを楽しむ。そして、インスタやブログに支配されるファッション感度を放棄し、自分の感性が反映されたスタイルを見つけ出すことに喜びを見い出す。

そうなのです。あの本当に美しかった頃の、日本女性の美の本質を、折角日本人として生まれたからには、取り入れるべきなのです。なぜ海外生活の長かった女性、もしくはヨーロッパ辺りの血の入ったダブルの女性に限って、和が好きな人が多いのでしょうか?それは外国から見ると日本文化の魅力が分かるという一面の真実もありますが、それ以上に、欧米人のマネをしても、それだけじゃ面白くないなと感じている。案外、単純な理由によってなのです。

世界の美を探求すると、古きよきものを知らねば、美の本質とは向き合うことが出来ません。「いとをかし」と感じるものに触れ合うことにより、私も「いとをかし」になれるという単純明快理論。新しいものばかりに利便性を感じ、振り回される生き方は、みっともないです。SNSで自分の美を発信することは粋でしょうか?ビーチでこんな姿でも「キレイ」でしょ?と誇示する芸能人のインスタを、丁寧にニュースとして発信する行為の野暮の連鎖。こうして、日本女性の美は失われるのです。