元祖「セックス・アンド・ザ・シティ」
この作品には、三人のファッション・デザイナーが関わっています。一人はオードリー・ヘプバーンのフォーマルな衣装を担当したユベール・ド・ジバンシィ。もう一人は、オードリーのカジュアルな衣装と、他の出演者(パトリシア・ニールを除く)の衣装を担当したイーディス・ヘッドでした(ジョージ・ペパードのアイビールックが素晴らしい)。
そして、最後の三人目がパトリシア・ニールの衣装を担当したポーリーン・トリジェール(1908-2002)でした。
ポーリーン・トリジェールとは、ロシアからパリに亡命した両親の下に生まれたアメリカのファッション・デザイナーです。父親は主に軍服を仕立てるテーラーで、母親はドレスメーカーでした。そして、ポーリーンは、10歳より母の手伝いをしていました。しかし、欧州の政治情勢の悪化により、1937年に一家はニューヨークに移住しました。
1941年よりハッティカーネギー社でトラヴィス・バントン(『モロッコ』などの映画でマレーネ・ディートリッヒのコスチューム・デザインを担当したハリウッド黄金期のコスチューム・デザイナーだったが、1941年当時アルコール中毒で、ハリウッドを追放されていた)のアシスタントとしてキャリアをスタートしました。そして真珠湾攻撃の直後に退職し、1942年に独立し、1949年にコティ賞を受賞しました。
1960年代にジャンプスーツを、1967年にはアイコンのひとつとなるラインストーン・ブラを発表しました。更に、1961年には史上初のアフリカ系アメリカ人のモデルとしてビバリー・ヴァルデスを雇用しました。彼女の顧客として有名な人は、ベティ・デイビス、クローデット・コルベール、ウィノナ・ライダーでした。
パトリシア・ニールという女優
ポールの年上の愛人2E(すごい役名です。それは愛人を囲うアパートの部屋番号)を演じたパトリシア・ニール(1926-2010)と言えば、2年後の1963年にアカデミー主演女優賞を獲得することになる『ハッド』です。
この人は本当に苦労した女優さんでした。21歳の時にゲイリー・クーパー(1901-1961)と3年間に渡る不倫関係となり妊娠しました。しかし、クーパーの妻の猛反対により、中絶し、愛妻家のクーパーを誘惑した〝悪女〟のレッテルが貼られ、ハリウッドから干されました。1947年にブロードウェイの舞台でトニー賞を受賞し、ワーナーブラザーズと5年契約した矢先の話でした。
苦節の末、アカデミー賞獲得後も、1965年に脳卒中になり、歩くことも話すことも出来なくなりました。懸命なリハビリにより回復するのですが、1967年『卒業』のミセス・ロビンソン役を辞退してしまい、トップスターに返り咲くチャンスを逃してしまいました。
『チャーリーとチョコレート工場』などの原作者ロアルド・ダールと1953年に結婚して5人の子に恵まれていたのですが、夫の不倫に悩まされ、1983年に離婚しました。2008年のインタビューにおいて「私が本当に愛した人は、ゲーリー・クーパーただ一人でした」と告白する一途な人でした。
上流階級のインテリア・デザイナーのキャリア・ウーマンを演じ、ポールに資金援助して愛人として囲っている訳なのですが、彼女の情感に溢れた表情と凛とした佇まいが、ファンタジーかつロマンティックなこの物語に一切水を差しませんでした。
髪を赤く染めるという条件がついていた。主役を演じるオードリー・ヘプバーンの髪が栗毛色なので、わたしのブロンドが目立ちすぎないようにするためだった。・・・オードリーと共演するのは一シーンだけだったが、彼女は本当に親切で、わたしを家に夕食に招待してくれたこともあった。
パトリシア・ニール
ニューヨーク・マダム・ルック1
グリーンのスカートスーツ
- デザイナー:ポーリーン・トリジェール
- グリーンのウールのスカートスーツ、ダブルブレスト、大きなクルミボタン
- パールブローチ(素晴らしいデザイン)
- ブラウンのグローブ
- ブルーとグリーンのウールで作られた独特なシルエットのハット
- ブラウンレザーのパンプス
- ブラウンのレザーバッグ
ニューヨーク・マダム・ルック2
コクーンガウン
- デザイナー:ポーリーン・トリジェール
- エメラルドカラーのサテン地のコクーンガウン、襟元が印象的
- ゴールドの腕輪
- パールカラとゴールドのバイカラーのミュール
ニューヨーク・マダム・ルック3
赤いターバンとブラックケープコート
- デザイナー:ポーリーン・トリジェール
- レッドターバン
- ブラックケープコート、大きなクルミボタン、花弁のようなスタンドカラー
- ゴールドの腕輪
- グレーのロンググローブ
- ブラックハイヒールパンプス
ニューヨーク・マダム・ルック4
ブルーコート
- デザイナー:ポーリーン・トリジェール
- チェックのステンカラーブルーコート。コクーンシルエット。素晴らしいドレープ。
- ブルーのセーター
- コートと同じ生地のスカート
- ゴールドの腕輪
- ブラックレザーバッグ
- ブラックハイヒールパンプス
幻のスティーブ・マックィーン
神があなたに才能を与えるとき、彼はまた鞭をもあなたに与えるのだ。そしてその鞭は自らの身体を厳しく打つためのものである。
トルーマン・カポーティ
『ティファニーで朝食を』は、トルーマン・カポーティによって1958年に発表された中編小説でした。当初、カポーティは、マリリン・モンローが主役の条件で、パラマウントに映画化権を売りました。しかし、マリリンのアクティング・コーチだったポーラ・ストラスバーグは、セックスシンボルのイメージを増長するようなコールガールを演じるべきではないと助言し、マリリンは断りました。
その後、キム・ノヴァクにも断られる一方で、今までと全く違う役柄を演じたいと望んでいたオードリー・ヘプバーンは、ホリー役に興味を持ちました。
相手役のポールは、当初、スティーブ・マックィーンの予定でしたが、テレビ西部劇『拳銃無宿』の契約が残っていたため出演できませんでした。『荒野の七人』(1960)で映画スターの仲間入りを果たしていたマックィーンが出演していたら、全く別の作品になっていたかもしれません。
作品データ
作品名:ティファニーで朝食を Breakfast at Tiffany’s(1961)
監督:ブレイク・エドワーズ
衣装:ユベール・ド・ジバンシィ/イーディス・ヘッド/ポーリーン・トリジェール
出演者:オードリー・ヘプバーン/ジョージ・ペパード/パトリシア・ニール/ミッキー・ルーニー/マーティン・バルサム