スズランとチャイコフスキー
私はずっとジャズダンスを習っていたこともあって、チャイコフスキー(1840-1893)のバレエ音楽「くるみ割り人形」 「白鳥の湖」「眠れる森の美女」を本当に愛しているのですが、ピアノ協奏曲第一番と交響曲第6番『悲愴』もまたとても愛しています。
チャイコフスキーが〝魂のすべてを注ぎこんだ〟とまで言い切った最晩年の大作『悲愴』。この作品を書き上げた家の庭には、スズランが沢山咲いていました。それはチャイコフスキーが最も愛した花でした。
つまり、私にとってスズランとは、〝チャイコフスキーの花〟でもあるのです。
チャイコスキーが「羽根飾りをつけた可憐なる合唱団」と呼び、その香りを「流れるワインのように私を温め酔わせる。音楽のように、息もできないほど私を夢中にさせる」と表現しているスズラン。その花のイメージは、小さく可憐なベルが連なるようであり、純白でピュアです。
ちなみに、私はスヴェトラーナ・ザハーロワさんのこの「白鳥の湖」が大好きです。その姿は、どこか風にそよぎ人知れず美しい香りを放つスズランのように見えるのですが、そういった理屈を越えて…もう言葉が無くなってただただ心が動かされます。
美しく儚い。でも力強く〝生きたい〟という想いを感じるような…まさに芸術です。緻密に計算されていて、これを表現できるまで計り知れないほどの努力を重ねたのかと思ってしまうのですが、そんな〝裏側〟の事よりも、今このザハーロワさんの白鳥に心が動かされたのが芸術の素晴らしさなんだと思います。
芸術を鑑賞するということは、心を豊かにしてくれることだと思います。ここには「好き」も「嫌い」も存在せず、ただただ夢を見させてくれる空間があるんです。香りもまた同じだと思います。
スズランの香りについて
スズランの香りは、ローズと草とレモンのあいだのどこかにあたる素晴らしく複雑で繊細な香りだが、名前のもとになったユリを思わせる、少しかすれた官能的な白さがともなっている。
ルカ・トゥリン
〝幸福の再来〟を花言葉に持つスズラン(鈴蘭)は、英語ではリリー・オブ・ザ・バレー、フランス語ではミュゲと呼びます。4月から5月に開花する花であり、フランスにおいて、5月1日は「スズランの日」として大切な人にスズランを贈る習慣があります。
イブがエデンの園から追放された時に、流した涙から生まれたと言われるスズランには、花と草と根の全てに有毒物質を持ちます。更にあまりに小さく繊細な為に精油の抽出が難しく、天然香料を使えないため、ほとんどのスズランの香りは、ヒドロキシシトロネラールという合成香料によって作られています。
では、そんなスズランの香りを〝香水で身にまとう〟とどのようなイメージになるのでしょう。
- 清潔感
- 清らか
- 清楚
- 奥ゆかしさ
- 優しさ
- 可憐
- 愛らしさ
- 瑞々しさ
時代によって、調香師によって、テーマによって、同じ〝スズランがメイン〟でも、見せる表情も様々です。この『スズラン香水図鑑』では、私が愛するスズランの香水だけでなく、色々なスズランの香水についてご紹介させて頂きたいと思います。
スズランの香りのイメージ
まず最初に、スズランの香りについて考えるとき、私の頭に思い浮かぶのは、一人の女性です。それは50年代のハリウッドが最も輝いていた時代の大スター、グレース・ケリーです。彼女が、モナコ王妃になった日の写真、これこそが私の中のスズランの香りの象徴です。特に私が愛する二つの写真についてご紹介させてください。
スズランを持つフレース王妃。その圧倒的な佇まいと白黒写真でもしっかりと伝わる生き生きとしたスズランの表情。王妃が正面を向かず、横顔というのも、ウエディングフォトらしからぬ写真でありまた素敵です。
そして、このお写真。グレース王妃が、目を閉じる中、幸せな瞬間にスズランをキュッと握り締めてるように見えるのがとても良いですよね。他にもブリジット・バルドーやオードリー・ヘプバーン、エリザベス・テイラーがスズランを持つ姿もとても印象的です。
歴史に名を刻むスズランの香り「ディオリシモ」
スズランの香水について語るとき、絶対には避けては通れない歴史に名を刻む香りが存在します。その香りの名を「ディオリシモ」と申します。
クリスチャン・ディオールが愛した花スズランをテーマに〝伝説の調香師〟エドモン・ルドニツカと共に1956年に作り上げた香りです。
私が「ディオリシモ」創造の歴史を調べていて感じたこと、それはやはり名香と呼ばれる香りには、心を揺さぶる背景があるのだなと感じました。何よりもスズランそのものを再現した香りではなく、スズランが持つイメージ丸ごと表現したドラマティックな香りという所に、ハートを打ち抜かれました。
「ディオリシモ」は、『スズランの香りの旅』の片道切符だと私は考えます。ここから、色々なスズランの香りとの出会いがはじまっていくことでしょう。
私の『スズラン紀行』①私が最も衝撃を受けたスズラン
私は、かつてブルーベルで働いていました。そして、某店舗のチーフをつとめさせていただいておりました。それは2013年の「イセタン サロン ド パルファン」前夜のことでした。私が、チーフ・トレーニングの時に、出会ったのが、メゾン・フランシス・クルジャンの「コロラトゥーラ」でした。
私にとって〝好き〟とか〝苦手〟とかを超越した「忘れられないスズラン」です。この香りの魅力は、スズランの香水では通常あり得ない「天然香料のスズラン」という点だけでなく、〝美しい歌唱法からイメージした香水〟というインスピレーションが、まず当時の私には衝撃でした。
美しい声も形が無くとも心に響くもの。香りも然り。そのことに改めて気づかされた瞬間でした。
私の『スズラン紀行』②ジャックとの想い出
私にとって最愛のスズランの香りはルイ・ヴィトンの「アポジェ」です。それはジャック・キャヴァリエにグラースのアトリエでお会いした貴重な想い出のためです。ジャックは、私たち女性陣(LVスタッフ)に会った瞬間、「アポジェ、アポジェ」と言ってくださいました。そして、直接「これは君たち(=日本人女性)の為に創った香りなんだよ」と教えて頂けたのが、とても印象的で心に残っています。
だから、今でもこの香りを身に纏うたびに、まだ世界中でルイ・ヴィトンの香水が発売されていなかった時に、この香りを嗅いだ感動と共に、ジャックのお姿が鮮明に思い出されるのです。
つまり、ジャックを通じてスズラン=鈴蘭が持つ和の心に気づかせてもらった香りなのです。
私の『スズラン紀行』③すずらんの花言葉〝幸福〟を肌で感じた香り
私が、ブルーベルで某店舗のチーフとして働いていた時に、〝香水販売〟に対する向き合い方を一歩前進させるきっかけになったのが、ボンド・ナンバーナインの「セント オブ ピース」でした。
この香りは、2001年9月11日に勃発したアメリカ同時多発テロ事件の後、〝幸せを願う香り=世界平和を願う香り〟として生み出されたスズランの香りです。そして、その根底に流れる精神は、「平和」には勝利も敗北も存在しないという思いです。
私は、この香りを生み出したブランド創業者の想いを知るにつれ、ひとつひとつの香水の背景を知る(そして、お客様にお伝えする)ことがどれだけ大切かということを再認識させられたのでした。
たとえばこの「セント オブ ピース」の香りを紐解き、なぜこんなに優しく包み込んでくれる香りなのかを知ると、ただ〝奥が深い〟という言葉だけでなく、香りが心に沁み入るような感覚になると思います。
こちらも「コロラトゥーラ」同様、ただ〝すずらんの香りです〟と一言でお伝えすることで、終わらせることが出来ない(終わらしてはいけない)香りで、「香りを案内する接客」する姿勢について、この香りを身にまとうたびに、初心に変えることが出来る、凛と身が引き締まるスズランの香りです(本当は、とても安らかなスズランの香りなのですが…)。
私の『スズラン紀行』④私がスズラン香水に触れた初めての香り
ルイ・ヴィトンの「アポジェ」へと繋がる私のスズランの香水の歴史の中で、一番最初にしっかりとスズランの香りに向き合うことになったのが、ペンハリガンの「リリー オブ ザ バレー」によってでした。
私がブルーベルで香水販売に従事した時に取り扱っていたペンハリガン(一時、輸入元が変わったりして無かった時期もありましたが…)のこの香りとは本当に長い付き合いになります。すでに入社した時からあったのですが、〝香りで純真無垢が感じられるんだ!〟とビックリした記憶があります。
それは、ただただ「石けんのような香り」という意味ではなく、こんなに生花のような香りがあるんだと当時の私にはお勉強の資料的な位置付けだったかも知れません。
私の「スズラン香水」の原点とも言える香りです。