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『モロッコ』Vol.2|マレーネ・ディートリッヒの100万ドルの美脚

マレーネ・ディートリッヒ
マレーネ・ディートリッヒ
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1930年4月9日、マレーネがアメリカに初上陸した日

1930年、ジョセフ・フォン・スタンバーグ(1894-1969)がドイツで撮影した『嘆きの天使』で、マレーネ・ディートリッヒ(1901-1992)はファム・ファタールな踊り子を演じました。

「学問一筋に生きてきた中年男性を破滅へと導く、天使の顔をした悪魔(若さが導く無意識の悪性)」のイメージは、まさにグスタフ・クリムトやフランツ・フォン・シュトゥックの絵画から抜け出してきたかのような存在感を生み出しました。そんなマレーネが、ハリウッドに招かれ、はじめて出演したのが『モロッコ』でした。

ダメ出しされたスカートスーツ

そして、ミンクコートとドレスに着替え、アメリカ上陸を果たします。

1930年4月9日にベルリンからニューヨークに豪華船で到着したマレーネは、当時すでに29歳で、既婚者であり、1児の母でした。この時のある逸話は、今では神話の輝きを放っています。

迎えに来たパラマウント社の宣伝担当者は、彼女のスカートスーツを見て一言、「もっと豪華な服装に着替えてからじゃないと船を降りてはだめだ!」と言い放ちました。そして、そのときにマレーネが着替えたのが上記の写真の黒のドレスとミンクのコートだったのでした。

このミンクのコートは、『嘆きの天使』のギャラで購入したものでした。そうこの時からマレーネの戦いは始まっていたのでした。そして、ファッションが映画の力を借り、〝神話〟を創造する時代の本格的な幕が上がったのでした。

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マレーネ・ディートリッヒの『100万ドルの美脚』

「私は生涯、華やかさとは無縁の環境で、華やかさを表現してきた」マレーネ

男装の後で登場するのがこの姿です。

撮影時、ゲイリー・クーパーとマレーネ・ディートリッヒは同い年の29歳でした。

かなりレアなこの衣装の写真。

マレーネ・ディートリッヒの神話性を高めるひとつの要素として存在するのが、この『100万ドルの美脚』です。スタンバーグは、虚無的な表情に、だらしなく伸ばしたり曲げたりした脚というアンバランスなバランスに、男性が惹きつけられることを熟知していました。

氷のような美貌を持つ女性が、少女のようにだらしない姿勢を取るところに〝デカダンスの美〟があるのです。

時計のようにマワる美脚は、男の時計を忘れさせる〟『モロッコ』では、ハリウッド進出第一弾として、本格的にマレーネの〝美脚〟を人々の脳裏から消し去れないほどの刻印として刻み込んでやろうと決心していました。しかし、この美脚を演出するために3つの障害がありました。

  1. マレーネは身長165cmに対して、当時体重が55Kgありました。つまり少しぽっちゃりしていたのです。
  2. しかも、かなりの猫背。
  3. 足は、膝下は美しいが、太ももは太めでした。

マレーネは、ハリウッドで他の女優たちを見てすっかり自信を失っていました。「私は太りすぎだ」と絶望していました。そこで、思い切って、黒を着たいとスタンバーグに要求しました。白黒映画で黒を撮影することはとてつもない労力を要します。マレーネは少しでも自分を痩せて見せたかったからです。

〝カメラのダ・ヴィンチ〟スタンバーグは、その時ひらめいたのでした。すぐに脚を見せずに、全く露出しない黒ずくめの衣装を着せて観客の期待を煽ろう。そして、その後に美脚を露出した衣装にチェンジして、光り輝かんばかりの美脚を光と影を駆使して作り上げてみようと決心したのでした。

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アミー・ジョリーのファッション3

リンゴ売りルック
  • ダチョウの毛皮ストール
  • ショート丈のジャンプスーツ
  • 宝石で飾り立てたベルト
  • 両手首にバングル
  • ファーヒールサンダル

この作品のマレーネは自分のヘアスタイルを、自分自身でスタイリングしていました。

『モロッコ』はマレーネの映画でもあり、ゲイリー・クーパーの映画でもあるのです。

そして、この作品のゲイリー・クーパーが宝塚歌劇団に与えた影響も絶大です。

メイクする男の美しさを体現したゲイリー・クーパー。

〝美しい男〟ゲイリー・クーパー様。

マレーネが決して美しい脚の持ち主ではないことがわかる写真。

退廃的な美=1930年代の不滅の美学。

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ブラックエンジェル=黒い天使の誕生

本作で性的な魅力を引き出されたゲイリー・クーパー。

しかし、スタンバーグと撮影現場で衝突し、以後、二度と一緒に仕事をすることはありませんでした。

『モロッコ』のもうひとつの魅力を忘れてはなりません。それはスタンバーグが〝女神の誕生〟を目論んだ結果生まれたことなのですが、マレーネの立ち振る舞いの魅力です。スタンバーグは、マレーネにあえて不自然な間を取るように演出しました。この不自然な間が、鑑賞者の思考と感情を捉えることに成功しているのです。

さらに黒を基調にした衣装が、彼女の妖しげでありながら芯の強いキャラクターを明らかにしています。特にゲイリー・クーパー(1901-1961)がマレーネ・ディートリッヒの部屋を訪れた時の、黒のロングガウンの衣装。ドレープの効いた魔女のような衣装ですが、黒い妖精のようでもあります。

そこで男女の駆け引きがはじまるのですが、サイレント映画の名残でしょうか、二人の仕草がとても不自然で、様式美にあふれているのです。

「男の人が助けてくれる時は、代償を求めるわ。あなたは何を?」アミー・ジョリー
「俺かい?ただ君の笑顔が欲しいだけさ」ベシエール
私にはあまり残ってないわ」アミー・ジョリー

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アミー・ジョリーのファッション4

ブラックガウン
  • 黒魔術師のようなブラックマント
  • リトルブラックドレス
  • ハイヒールパンプス








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美は常にコンプレックスから生み出される



マレーネ・ディートリッヒは、額が広く、マレーネ自身も「髪のせいで、私はいつも絶望的な気分になった」と言うほど、やわらか過ぎる髪質を持ち、まとまりが悪いことを苦にしていました。

ふっくらとした丸顔の頬にくぼみを作るために奥歯を抜いたという伝説も存在したのですが、これに関してはマレーネ本人が否定しています。ちなみに松田優作はその伝説を信じて『野獣死すべし』(1980年)の撮影にあたり、奥歯を4本抜き、頬にくぼみを作りました。

真実はどうであれ、伝説とは、それがたとえ偽りであっても魅力的なものなのです。実際のマレーネのくぼみは、スタンバーグによって、スポットライトを上から照らし作り上げられたものでした。

あの映画の中でいちばん太いものが、この腕なんだから。この大きな腿にも困ったわ。もちろん、脚を見せなきゃならないんだけど、ジョー(ジョセフ・フォン・スタンバーグ)はもうガーター・ベルトでごまかしたがらなかったの。

それに、アメリカ人はガーター・ベルトに強い反感を持ってるのよ。それを見るとショックを受けるらしいのね━何かサドっぽいものを感じて。それでヒップを隠すためにボックス・カットのショーツをデザインして、黒のベルベットでそれを仕立てたんだけど、ところがそれでも困ったことが起きたの。

ショーツの黒いラインのせいで、わたしの白い腿がものすごく太くみえちゃうのよ。だけど、房飾り付きの長い襟巻き(ボア)でごまかしたわ。つまり、どっちでもカメラに近い方の腿の上にそれを垂らしたってわけ。

マレーネ・ディートリッヒ

作品データ

作品名:モロッコ Morocco (1930)
監督:ジョセフ・フォン・スタンバーグ
衣装:トラヴィス・バントン
出演者:マレーネ・ディートリッヒ/ゲイリー・クーパー