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クリスチャン ルブタンブランド香水聖典

【クリスチャン ルブタン香水聖典】香りの赤の革命

クリスチャン ルブタン
©Christian Louboutin
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クリスチャン ルブタン

Christian Louboutin 靴の裏に赤いペインティングが施されたシューズが広まるきっかけを作った男クリスチャン・ルブタン(ルブタンのレッドソール人気が、多くの偽物を生むことになった)は、1964年1月7日にパリで生まれました。

少年時代から女性のシューズのデッサンを描く事に生きがいを感じていたルブタンは、1982年からクリスチャン・ディオールの靴を制作していたシャルル・ジョルダンの下で修行し、1991年に独立しブティックをオープンしました(最初のセレブ顧客は、グレース・ケリーの娘カロリーヌ・ド・モナコだった)。

1993年にレッドソールを発明した彼は、ハリウッド・セレブを中心に世界中の女性を虜にするラグジュアリー・シューズ・ブランドを一代で築き上げることに成功しました。

そして、事業を拡大し、2003年からハンドバッグ、2011年からメンズシューズ、2013年からルブタン・ボーテ(美容部門)を展開し、さらには2016年9月に、最初のフレグランス・コレクションを発売しました。

代表作

トルネードブロンド(2016)
ルビクロック(2020)
ルビファンク(2020)
ルビルージュ(2020)

クリスチャン ルブタン コレクションの全て
ルビワールド コレクションの全て

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不幸な星の下で生まれたクリスチャン・ルブタン

©Christian Louboutin

クリスチャン・ルブタンというシューズ・デザイナーは、日本ではとても過小評価されています。それはただ単に日本では、レッドソールとスタッズ=水商売や風俗嬢、または夜の街にたむろする若者のシューズ(または財布かクラッチ)というチープな印象がついて回っているからです。

だからこそ、ここで、ルブタンについて軽くおさらいする必要があります。彼が1990年代になぜヨーロッパの王室を中心にハリウッド・セレブまでも魅了することになったのかを知ることが、まず何よりも彼のフレグランス・コレクションを理解するにあたり重要なことなのです。

14歳のときのクリスチャン・ルブタン。

実の姉とクリスチャン・ルブタン。英国・ロンドンにて。

私の母はシャネルのNo.19をいつもつけていました。でも、私はこの香りを嗅いでも彼女を想い出すことはありません。

クリスチャン・ルブタン

クリスチャン・ルブタンは、1964年1月7日にフランス・パリの木製の高級家具職人の息子として生を受けました。3人の姉の影響を受け、ファッションに目覚め、10代前半から、学業放棄し、靴のデッサンを描いてばかりいました。

家族の中で私だけがなぜ浅黒い肌を持っているのだろうか?」という事実に悩み、12歳で家出し、パーティーに明け暮れる日々を過ごしました。そして、遂に自分が、母親が不倫の末に、エジプト人男性との間に生まれた子である事実を知ります。

「この衝撃の事実を乗り越えるために私はエジプトに行きました!そして、私のルーツであるファラオを愛するようになりました」。

ルブタンが神秘的なものに惹きつけられるようになったのは、こういった彼自身の出生および、思春期時代の経験からでした。

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「私のシューズは、最初ではなく、最後に脱ぐシューズです」

アズディン・アライア、カーリーン・サーフ・ドゥ・ ドゥズィール、ルブタン、ジョン・ガリアーノ

なによりも興味深いのは、彼がハイヒールのシューズ・デザイナーになりたいと考えたきっかけが、1976年に自宅近くのポルト・ドレ宮にある国立アフリカ・オセアニア美術館の(フローリングを傷つけないように)ハイヒール禁止の標識を見た時からはじまった事実です。

私は、女性がルールを破る何かを作りたいと渇望していました。そして、女性に自信と力を与えるような徹底的に尖ったハイヒールを作りたいと考えたのです。

クリスチャン・ルブタン

16歳で、パリのキャバレー、フォリー・ベルジェールで、ダンサーのためのシューズを製作したり、その他もろもろの雑用係として雇われました。

そして、インドでの一年間の放浪生活を経て、1982年からクリスチャン・ディオールの靴を制作していたシャルル・ジョルダンの下で修行し、その後、スティレットヒールを発明したロジェ・ヴィヴィエの下で修行し、シューズ・デザインのノウハウを学びました。

しかし、80年代後半にシューズデザイナーとして自信を失い、ルブタンは庭師になる道を選びます。そして、数年過ごした後、自然を美しくするよりも、女性を美しくすることこそが自分の唯一の存在価値であると覚醒するのでした。

かくして、1991年に2人の出資者の協力によりブティックをパリにオープンし、1993年にレッドソール(赤い靴底)を発明し、現在までに約15,000足の靴をデザインする〝世界一美しい女性の脚を生み出す男〟になったのでした。

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2016年、フレグランス業界に参戦!

ディタ・フォン・ティースとスカーレット・ヨハンソン。©Christian Louboutin

2016年9月に念願のフレグランス・コレクション「クリスチャン ルブタン コレクション」を発表するのですが、あまりにも独創的なボトル・デザインと、平凡すぎる香り等の問題により、成功とは程遠い結果に終わりました。

そして、2018年にバタルア ビューティとの合弁契約を終了し、プーチと化粧品の製造および、開発、販売に関する長期ライセンス契約を締結し、2020年11月に、〝逆襲のルブタン〟とも言える第二弾フレグランス・コレクションとなる「ルビワールド コレクション」を発表するのでした。

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クリスチャン・ルブタンの香水一覧(年代順)

2020年


ルビキス(ダフネ・ブジェ)
テーマ国:メキシコ

ルビクラウン(クリストフ・レイノー)
テーマ国:英国

ルビクロック(ダフネ・ブジェ)
テーマ国:エジプト

ルビドゥー(ダフネ・ブジェ)
テーマ国:日本

ルビファンク(ニコラ・ボーリュー)
テーマ国:ブラジル

ルビラージ(ダフネ・ブジェ)
テーマ国:インド

ルビルージュ(マリー・サラマーニュ)
テーマ国:フランス・パリ

2016年


ビキニケスタセラ(ピエール・ネグリン)

トルネードブロンド(オリヴィエ・クレスプ)

トラブルインヘヴン(ピエール・ネグリン)