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【アンソロジー】セ ミューティン|これは反逆です(ジャン=クロード・エレナ/ルシアン・フェレーロ)

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セ ミューティン|これは反逆です

原名:C’est.Mutine
種類:オード・パルファム
ブランド:アンソロジー
調香師:ジャン=クロード・エレナ、ルシアン・フェレーロ
発表年:2023年
対象性別:ユニセックス
価格:30ml/16,500円、100ml/27,500円
販売代理店ホームページ:NOSE SHOP

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ジャン=クロード・エレナ×ルシアン・フェレーロ

©KAON

私はエルメスを辞めた後、変化について考えていました。ある意味、より多くの原料を使い、もっと古典的な香水の作り方に戻ろうと考えました。しかし、私にはそれは無理だという結論に達しました。どんどんシンプルになっていくのですからです。

私は今、かつてないほどシンプルになった。減らして、減らして、減らして。香水を作り始めた頃は、1200種類の材料を使っていた。2年後、400に減らした。その後、200の原料に減らした。今では110の材料で仕事をしています。

ジャン=クロード・エレナ

1968年に、ジャン=クロード・エレナ(1947-)は、ジボダンがジュネーブに新設した調香師養成学校に入学しました。この時、最終選考に共に残った3人のうちのひとりが、ルシアン・フェレーロ(1945-)でした。

エレナは、3年間のコースを終えることなく、9ヵ月後には、「こんな授業は役に立たない」と直訴し、ジボダン社の調香師として雇用されながら、トレーニングを受けることになりました。一方で、ルシアンは真面目にコースを修了し、ジボダンがパリに新設した高級香水開発部門で調香師として働きました。

しかし1976年にエレナと共にジボダンを離れ、共にグラースの香料会社ローティエで働き、後に単独で南仏グラースの香料会社エクスプレシオン・パフュメ社で働くことになりました。同期のエレナが、エルメスの調香師として、脚光を浴びる中、ルシアンは、ずっと影の存在に甘んじていました。

ルシアンは、1974年にリュバンのために調香した「エル ドゥ リュバン」以外、特筆すべき代表作を持たない調香師なのです。そんな彼が一念発起して2019年に、自分の名を冠したニッチ・フレグランス・ブランドを立ち上げました。しかしパンデミックの影響を受け、早くも存亡の危機に立たされていました。

そんな時、約40年ぶりに、エレナと共に新しい香水を生み出そうという話になりました。そして2023年にブランド名を「アンソロジー」に変えました(日本には、NOSE SHOP様により、2023年10月28日に日本初上陸しました)。

二人はエドモン・ルドニツカが1946年に設立したアール エ パルファン(Art et Parfum)内にあるアコーエパルファン(Accords et Parfums)と共同で作成したオレンジ・フラワー、ジャスミン、ローズのコンクリートから抽出した3つのアルコキシドにより、往年のフレグランスの優雅さと魅力を取り戻す二つの香りを同年発表しました。

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実は二人は1978年に、「ミュール エ ムスク」を共に作りました。

©L’Artisan Parfumeur

私はとても利己的なんです。私は、自分がとても楽しめること、喜びを与えてくれることをやり続けるつもりです。調香師という仕事は、料理人と同じだよ。料理が好きなら、友達のために料理をするのが嬉しいなら、そのためにすべてを捧げる。

私も同じです。私は自分の創造物を分かち合うのが好きなんだ。これは人生を歩む上で良い方法だと思う。

ジャン=クロード・エレナ

1973年に、ジャン=クロード・エレナはジボダンのニューヨーク支社に移り、そして、1976年に、ラグジュアリー・ジュエリーブランド史上初のフレグランスヴァンクリーフ&アーペルのために調香しました。このファーストと名付けられた香りと共に彼のキャリアがはじまることになります。

しかし、1970年代から80年代にかけて、市場調査を重視した商業主義にどっぷりつかったフレグランス業界で、その姿勢に反対を唱えていたエレナは非常に浮いた存在になってゆきました。

そんな彼の考えに賛同したのが、1968年からの盟友ルシアン・フェレーロとJean-Claude Gigodotでした。1976年に、共にジボダンを離れ、グラースの潰れかけの香料会社ローティエで共に働き、1978年にジャン・ラポルトと共に3人で、ラルチザンの最初の香り「ミュール エ ムスク」を生み出し、ニッチ・フレグランスの先鞭をつけたのでした。

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二人の師匠エドモン・ルドニツカに捧げる〝反逆のスズラン〟

©Anthologie

©Anthologie

まさに21世紀のニッチ・フレグランス・ブームの流れを生み出した二人の反逆児たちが、2023年に、70代であってもいまだ衰えぬ反逆精神を反映させた二つの〝反逆の挽歌〟を生み出しました。そのうちのひとつが「セ ミューティン|これは反逆です」です(もうひとつは「セ ロベル|それは反逆者です」)。

エレナがエルメス時代に、これが人生で最後のスズランの香りだ!と考え作り上げた「ミュゲ ポースレン」の後、もう一度、盟友ルシアンと取り上げたスズランの香りは、二人の反逆者の生みの親とも言えるエドモン・ルドニツカに捧げる〝反逆のスズラン〟の香りと言えます。

ちなみにルドニツカこそが、「ディオリシモ」により、世界ではじめてスズランの香りを芸術の領域にまで高めた人なのです。

この香りの主役はリリー(百合)ではなく、フィルメニッヒ社の合成分子LILYFLORE®です。太陽のようなムスクとウォータリーなラクトンのタッチを持つボリュームのあるスズランの香りを生み出します。

そんな〝反逆のスズラン〟は、はじまりからおわりまでスズランと一緒に旅をするように、素肌の上を色々な情景が駆け抜けてゆきます。熱く光るようにピリっとしたタンジェリンとプチグレンのグリーンの酸味が突き刺すような大きな太陽の前に、春風と共に、清らかなスズランとみずみずしくクリーミーなオレンジフラワーが到来するようにしてこの香りははじまります。

すぐにこのスズランは、ひっそりと咲くのではなく、太陽の輝きをたっぷり受けたスズラン群生地を素肌に生み出してくれることを教えてくれます。そこにクリーミーなジャスミンと、甘酸っぱいラズベリーローズがひとまとめになり広がり、透き通るような春の空気を運んでくれるのです。

やがてアンブレットリドとビーワックスの果蜜の温かい甘さの中から、ムスクとラクトンが立ち上るように、穏やかに鈴の音を鳴らす、群れ成すスズランの壮大な余韻に満たされていくのです。

よくある、しずやかなスズランの香りではなく、穏やかなスズラン群生地と一体化して、春風に心地よく揺られるような香りです。

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香水データ

香水名:セ ミューティン|これは反逆です
原名:C’est.Mutine
種類:オード・パルファム
ブランド:アンソロジー
調香師:ジャン=クロード・エレナ、ルシアン・フェレーロ
発表年:2023年
対象性別:ユニセックス
価格:30ml/16,500円、100ml/27,500円
販売代理店ホームページ:NOSE SHOP


トップノート:イタリア産グリーンタンジェリン、オレンジフラワーコンクリート、パラグアイ産プチグレン
ミドルノート:ジャスミンコンクリート、ローズコンクリート、スズラン(LILYFLORE®)
ラストノート:ラズベリー、ビーワックス・アブソリュート、アンブレットリド