ティファニー ダイヤモンドを身につけるオードリー
1877年に南アフリカのキンバリー ダイヤモンド鉱山で発見された287.42カラットのイエローダイヤモンドの原石を、1878年にチャールズ・ルイス・ティファニーが購入しました。
この原石はジョージ・クンツの立ち会いのもと、82ファセットで128.54カラットにまでカットされ〝ティファニー ダイヤモンド〟と呼ばれるようになりました(現在もニューヨーク本店で展示されています)。
このダイヤモンドを、1956年からティファニー専属のジュエリー・デザイナーであるジャン・シュランバージェ(1907-1987)がデザインしたリボンロゼットネックレスにセットしたのでした。
〝ティファニー ダイヤモンド〟を身に着けた女性は世界で5人だけです。その1人がオードリー・ヘプバーンでした。ちなみに1957年に一番最初に身に着けた女性は、アメリカの外交官エドウィン・シェルドン・ホワイトハウス夫人のメアリーでした。
3人目は2019年のアカデミー賞授賞式でレディー・ガガ、そして4人目がビヨンセで、5人目は『ナイル殺人事件』で女優のガル・ガドットが着用しました。
謎のピンクドレス
ジバンシィの洋服は常に私に安心感と自信を与えてくれました。私はちっともおかしくない、正しい装いをしている、とわかっていたときは、仕事もスムーズにいきました。私生活でも同じで、ジバンシィの服は、知らない状況や知らない人々から私を守ってくれたのです。…ある意味では、ユベール・ド・ジバンシィが長い年月をかけて私を創ってくれたとも言えます。
オードリー・ヘプバーン
このピンクのカクテルドレスは、ファッション業界において『謎のピンクドレス』と呼ばれています。その理由は、他の衣装と違い、ジバンシィのタグが付けられていないからです。
そのためジバンシィのデザイン画があるにも関わらず、どこかの既製品のドレスであると推測されています。それにしても扇形のアップリケをライトピンクのシルクの糸で丁寧に縫いつけ、アクセントに小さなピンクのライムストーンを付加しているというとても手の込んだ素敵な作りのドレスです。
ちなみにこの衣装を着ているシーンで、ホリーは、実の兄フレッドの死を伝えられ、発狂したように泣き叫びます。この作品の興味深いところは、ホリーは決してポールの名を呼ばず、ずっとフレッドと呼んでいるところです。
原作でホリーが愛したファッション・ブランドは?
原作の中で、ホリーが、マンボシェ(Mainbocher)のイブニングドレスを持っているという一文が出てきます。原作の時代背景は1943年なので、ちょうどティファニーの隣にマンボシェがクチュールハウスをオープンした頃です。つまりホリーはここで購入していたのでしょう。
マンボシェとは、フレンチ・ヴォーグの編集者だったアメリカ人のメイン・ボッチャー(1890-1976)が1929年に創業したクチュールメゾンです。ブランド最後のパリコレクションで、ディオールのニュールックの8年先を行くスタイル=ワスプウエストを提案し、一躍モード界にセンセーションを巻き起こしました。
1939年に戦火を逃れパリを去り、1940年にニューヨークのティファニーの隣にクチュールハウスを開店しました。ウィンザー公爵エドワードの妻ウォリス・シンプソンは、最も有名な後援者の一人でした。
ホリー・ゴライトリーのファッション11
ピンクのカクテルドレス
- デザイナー:不明
- ショッキングピンクのシルク・カクテルコート。ハーフスリーブでキモノスタイル。ノーカラー。ボタンなし
- ショッキングピンクのカクテルドレス。ワイドシェイプ。ひざ丈。ノースリーブ。扇形のアップリケが沢山縫い付けられている。ラウンドネックライン
- ソフィー・ギンベル(「ニュールックの後継者」と言われたアメリカのファッション・デザイナー)のクラッチ。ライトシルバーのサテンを基調に、小さなラインストーンが散りばめられている。オードリーが1952年に購入した私物
- ピンクのラインストーンのイヤリング
- レネ・マンシーニのショッキングピンクのサテンのキトゥンヒール。60/61AW
シャネルの2.55バッグを持つオードリー・ヘプバーン
ジバンシィのリトルブラックドレス、オリバー・ゴールドスミスのサングラス、バーバリーのトレンチコートといった〝永遠のファッション・アイテム〟が登場する本作において忘れてはならないのが、シャネルの2.55です。
この2.55は、オードリーの私物だと言われています。元々ガブリエル・ココ・シャネルが両手が自由になるハンドバッグ=ショルダーバッグを生み出したのは、1929年のことでした。
そして、1954年に『シャネル』を復活させたシャネルが、真っ先に行ったことが、ハンドバッグのデザインの一新でした。かくして1955年2月に発表されたのが、2.55バッグでした(220ドルで販売されました)。
ライニングのブルゴーニュ色は、シャネルが育ったオーバジーン修道院の制服の色を表しています。そして、「マドモアゼル・ロック」と呼ばれるクロージャーがついています。
ホリー・ゴライトリーのファッション12
プルオーバー
- デザイナー:イーディス・ヘッド
- クロップドプルオーバー
- カプリパンツ(ブラック)。ハイウエスト
- デッキシューズ
原作に記載されている警察に逮捕される時のファッションは以下のものでした。ちなみに原作では、セントラルパークからニューヨークの五番街にかけて乗馬で暴走してしまうのでした。
彼女はウインドブレーカー(レザージャケット)にブルージーンズにテニスシューズというかっこうだった。
『ティファニーで朝食を』トルーマン・カポーティ 1958年(村上春樹訳)
レブロンのPink In The Afternoon
『パリの恋人』でオードリーはレブロンのFire & Iceを使用していました。そして、本作ではラストのタクシーのシーンでレブロンのPink In The Afternoonをつけています。
ちなみに下の3枚の写真は、オードリーが1950年代から60年代にかけて愛用していたカルティエのリップスティックホルダーとコンパクトです。宝石はサファイアです。最初の婚約者のジェームズ・ハンソンからプレゼントされたものと言われています。
オードリーとドリス・ブリンナー
オードリーと私が出会ったのは、1961年のことです。トニー・カーチスとジャネット・リーの結婚10周年を祝うパーティでした。私は結婚したばかりで、誰も知っている人はいないうえに、周りがスターばかりなので圧倒されていました。オードリーはスターでした。アイドルでしたよ。とても趣味が良く、びっくりするほど綺麗でした。
彼女はいつ見ても美しいのに、頭のいい人によくあるように、自分のことにはつねに懐疑的でした。「私の足は大きすぎるけど、あなたのは小さくて、すてき」なんて、よく言ってましたよ。それから、いつも自分の外見はメイクのおかげだと思っていたようです。あるときオードリーがスタジオに向かう前に私に会いにきてくれました。すっぴんのまま・・・そして、あの大きな目で私を見て言ったんです。「ね、メイクをしないと目もないし、四角い顔(スクエア・フェイス)でしょう!」。もちろん、オードリーの言うことは当たっていません。けれどもその日から、私は彼女のことを〝スクエア〟と呼び、彼女も私の前では自分のことをそう呼んでいました。
私はオードリーが大好きでした。心からの友達です。お互いに隠し事はなし。一緒によく笑い、よく泣きました。ふざけるのも好きで、チャーミングな人です。料理も室内の装飾も、なんでも上手にこなしていましたよ。クリスマスとイースターは毎年、すてきだったわ。でも何よりもすばらしいのは、オードリーが人を愛し、思いやりの心にあふれていたことです。一方でとても感じやすかったので、他の人たちより、苦しむことも多かったと思います。
ドリス・ブリンナー(ユル・ブリンナの元妻)
最後に二つだけ。2017年から実際に五番街のティファニー本店で朝食を取れるようになりました。そして、もう一点。この作品において、最大の汚点と言われているミッキー・ルーニー扮するユニオシ(日系人2世)は、トルーマン・カポーティの原作とは全く違う人種差別的な描写がとられています。
ルーニーと監督自身も、後年、何度も後悔の念を伝えてくれているのですが、とても洗練された本作において、かなり浮いた存在になっています。
作品データ
作品名:ティファニーで朝食を Breakfast at Tiffany’s(1961)
監督:ブレイク・エドワーズ
衣装:ユベール・ド・ジバンシィ/イーディス・ヘッド/ポーリーン・トリジェール
出演者:オードリー・ヘプバーン/ジョージ・ペパード/パトリシア・ニール/ミッキー・ルーニー/マーティン・バルサム