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カイエ・デ・モードとは?

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『カイエ・デ・モード』とは何か?

当メディアは、ファッションを芸術(時に刺激的な文化)として捉えることを目的としたファッション批評/報道/研究サイトです。ファッションを以下の4点で捉える意図をもって運営されております。

  • ファッションの究極形態であるアンドロギュヌス
  • ファッションアイコンの徹底分析
  • 個性を生み出す反逆のファッション理論
  • 新しい日本の和のかたち

「ファッションは楽しい反逆」でなくてはなりません。そして、幻想的かつ創造的でなければ面白くないです。そんな意志を持つ3人の新進気鋭のエディター達により創造されたサイトです。

対象となる読者は、

  • ファッションに、ライフスタイルの進化と、個性と知性の煌めきを求める人々。
  • 〝進化を望む〟ラグジュアリー・ファッションに関わる職業に従事する人々。特に販売員たち。
  • デザイナー及び他のファッション雑誌のエディターの方々。

です。プチプラ・コーディネートを発信する方々や、ラグジュアリー・ファッションが嫌いな方々にとっても、大いなる刺激になると自負しています(ただし文章を読む習慣があれば)。

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『ファッション』という言葉の意味は?

アンドレイ・ペジック。新時代のアンドロギュヌス・スーパーモデル。これからは、ノージェンダーの時代ではなく、第三の性の時代。
Andreja Pejic on Marie Claire Spain March 2016 cover

世に『ファッション』という言葉が、溢れ返っています。そこで『カイエ・デ・モード』が定義する『ファッション』とは何かを明確にしておきたいと思います。どうしても曖昧な意味として使われがちなこの言葉のために、3つの解釈を用意させていただきます。

  • 1.自分を輝かせるために、もしくは、「ハッタリを利かす」ための個性的な衣服及び装飾品を見つけ、装着するまでの過程の様式美。
  • 2.性的な役割、反逆の意思の表明としての戦闘スタイルを作り上げていく過程の倒錯感と面白さ。
  • 3.過去・現在・未来における自分の生き方を、前進させるヒントを探す実験。

ファッションとは、それはライフスタイルに自分なりの美を溶け込ませようとする実験であり、ファッションと名のつくものの根底にあるのは、特権階級主義。もしくは、それに対する反逆思想が存在するわけです。つまり、大量生産される衣服及び装飾品は、ファッションの概念にはあてはまりません。「どう?全身プチプラコーデだけど、バッグだけはフェンディよ。そのワンポイントの使い方が、またおしゃれでしょ?」などと言うのは、ただ単にファスト・ファッションとフェンディというブランドにしがみ付く、退屈なるブランド好きな人に過ぎません。

世に出ているプチプラ・コーディネートは、ファッションとは全く関係なく、ライフスタイル提案なのです。それは近所のイオンなり、20代前半までの若者が学校やバイトに向かう時のスタイルを紹介しているものなのです。ファッションとは、ライフスタイルではなく、ファイティングスタイルを提案することなのです。人生を戦っていない人には必要のない無用の長物だと感じさせるものでなければファッション・アイテムではないのです。

であるからして、ファッションとは、大量生産の製品により、量産される無個性さとは真逆のものです。それは、反逆性に満ちた美意識を示すための、服装・アクセサリー(ジュエリー・時計)・美容(ヘアスタイル・コスメ・香水)・バッグにより構築される自己創造の儀式なのです。

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『ファッション』とは、ファイティングスタイルのことである。

Veruschka with Cheetah, Photographed by William Klein for Vogue July 1, 1967

Veruschka in YSL photographed by Franco Rubartelli for Vogue 1968

当メディアを運営する私達は、「魂のこもらない安い美辞麗句で散りばめられたファッションを取り巻く環境」にうんざりしています。それは奴隷のように低賃金で販売員をこき使う一部ラグジュアリー・ブランドの労働環境に対する怒りをも包括します。ラグジュアリー・ブランドの素晴らしさを喧伝することを使命とされる販売員達の生活が、ワーキング・プアである現状を知って、あなたは、まだそのブランドの商品を購入したいと思いますか?

一方で、5分で分かる○○○なんて言葉が氾濫する現代社会において、芸術的感性の高い人であるならば、瞬時に感じるのは、5分で理解できることなどに価値はない。という単純な答えもあるわけです。

時代は本物を求めています。それは世界的な不景気の中で、戦わないと生きていけない環境がやってくる予感から生まれています。多くの人々は、人生を一緒に戦っていける相棒を求めていくことでしょう。5分で分かるものも、販売している人々が、実感することも出来ない労働環境の中で、説明するラグジュアリー・アイテムも、もはやファイティングアイテムにはなり得ないのです。

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ラグジュアリー・ブランドの販売員の待遇は、明確にワーキングプアです。

ファッション・デザイナーがいるからこそ、ファッションは芸術に昇華していきます。生み出すということは大変なことです。しかし、その末端に存在するのが、販売員という位置づけは間違っています。販売員だけが、お客様とブランドを結びつける接点になりえます。彼らは、本来はデザイナー以上に、お客様のファッションの流れを敏感に見極め、最先端のファッションの趨勢を知るものなのです。だからこそ、この人材を育て上げることこそが、これからファッションが芸術に昇華する過程において、最重要課題なのです。彼らは、クラシック音楽における指揮者なのです。

はっきり断言します。ラグジュアリー・ブランドに、芸術性は必要ないと考えるブランドなぞ高額を支払い購入するに値しません。それは、その商品を案内する販売員が、ラグジュアリーの何たるかを理解させる余裕のない環境で働かされているかどうかを見ればすぐに分かります。私達は、貧困臭漂う販売員からラグジュアリー・アイテムを購入するほど、バカではないのです。

当メディアは、ファッションが人生のファイターたちの良き相棒だった歴史を極めてユニークにおさらいする役割も担っています。ファッション業界に関わる人々にいろいろな批評の精神を沸き起こされる意図で製作しています。そして、ラグジュアリー・ファッションを愛する人々にとっても、このサイトの新しい視点が、引き続きファッションを楽しむ参考の一端になっていただければ幸いです。

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初めてラグジュアリー・ブランドのアイテムを購入するあなたへ。

“The Avenging Spirit” Stephanie Seymour photographed by Herb Ritts for Vogue UK August 1990. “

「決して失敗しないファッション・アイテムの選び方」のような、おおよそファッションの概念とは間逆な、ただ失敗を恐れ、他人のマネをしてそつなくこなそうとするセコイ人間の生き方の見本のような姿勢は捨てましょう。「この人になら騙されてもいい」と思えるほどにお洒落で魅力的な販売員を見つけ出し、ラグジュアリーな製品の本質を教えてもらいましょう。そして、自分自身の背伸びした美意識をその販売員にぶつけてみましょう。

アイテムを購入し、自宅に帰って、包装を解く瞬間に「なぜこんな高額なものを購入したのだろうか?」「今の私には不釣合いではないか?」と感じる経験をしてください。実は、その感情は、ほぼ全員が、ラグジュアリー製品を最初に購入した人が感じる感情なのです。しかし、この製品を1ヶ月に最低4回も使用すれば、ラグジュアリー・ファッションの持つ神通力に、心の底から惚れ込むはずです。身につけてこそ、初めて輝くもの、それがファッション・アイテムです。それを輝かせるのは、あなたです。もし、それが輝かないならば、あなた自身を輝かせなければなりません。ファッションの芸術性の高さとは、身に着ける人の芸術性がそのまま反映されるものだからなのです。

さぁ、消耗品であるファストファッションに、身を包む精神。「どうせ3ヶ月で捨てるんだから」と言いつつ2年以上それに身を包む日々におさらばしましょう。インスタント食品しか、食べてない人には、一流の食べ物は分かりません。といって、ただ学ぶ姿勢もなく、一流の食事を食べている人々にも、その一流の意味は分かりません。意識して、批評して、歴史を知って、自分の個性として全てを身にまとっていきましょう。ファッションとは、食べることの出来ないフルコースのディナーなのです。

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ファッション感度を高めるということはどういうことか?

それはファッションについて批評することが楽しみになっているかと言うことです。2016年8月現在、日本には、ファッションを芸術としてとらえ徹底的に批評しあうメディアは存在しないに等しいです。ある市場が、活性化を失う兆候をどこで見るかと言うと、それはその市場の生み出すモノに対して活発な批評が行われなくなったときです。

ファッションは、バブル期において、ただ闇雲に消費されるステイタスとなりました。そして、ファストファッションという名の大量生産生活品が日本市場を席巻した2009年から現在(日本人の着ている衣服の45%を占める)において、ファッションの本質をほとんど語ろうとしない日本のファッション業界の現状が、大量生産された〝売れ安い〟生活品と、少量の知性と感性を駆使した〝創造的〟ファッションとの違いを無視した無機質なマーケットへと変貌させました。

他人の服装の組み合わせを参考にして自分のスタイリングを組み立てていくことは、ファッションの入り口としてはすごく楽しいことですが、そのために自分の服装を写真に撮り、その写真の出来栄えに思考を巡らし、鏡の中の自分をいかに魅力的に見せるかを考えているうちに、そういった人々の多くは、大量生産で生み出された製品をいかにそう見えないようにごまかしていくか?という一点の追求に人生を割くことになります。そして、人生を戦えない人になります。

「ファッションは感性です」と言う人が、本当の感性の意味を知ることは少ないです。感性とは、音楽、映画、彫刻、文化、歴史、そして、文学といった過去の藝術に触れ合うことによって研ぎ澄まされるものであり、少しばかり容姿に自信があり「私が身につけると何でも似合う」と考えるうぬぼれ屋さんが持ちうるものではありません。

ファッションには感性が重要です。だからこそ、真実の感性を研ぎ澄ましていくための手がかりとなるファッション批評サイトの存在があったならば、ごみのような大量生産されたがらくたを、有名人を広告塔にして、突飛な宣伝文句を謳って、大きな路面店等で、売られたものに価値を見出す日々が終わります。本当に品質の良いもの。芸術性の高いもの。そして、良いものにはそれなりの費用がかかるという現実だけが勝ち残り、それを身に着けることが出来るように、一生懸命に生きる時代の到来が導かれることになるのです。はっきり言うなれば、その商品の価値も分からない連中の爆買いにすがり付いて生きているラグジュアリー・ブランドの多くも、そのブランドの偉大なる歴史を汚してしまったと、今こそ自戒すべき時なのです。

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安い商品には感謝しましょう。でもそれはファッションではありません。

アンドレイ・ペジック Andrej Pejic shot by Julian Hargreaves for Vanity Fair Italy,March 2011

アンドロギュヌス・ビューティ。アンドレイ・ペジック
Vanity Fair Italy,March 2011

私は、インスタントのラーメンもファストフードも大好きです。しかし、それは週に1回程度の付き合いで良いと考えています。食文化の本質を、そういった食品を通じて理解しようとも、それが可能だとも考えたことはありません。それと同じようにファッション文化をファストファッションを通じて理解することは不可能です。それはその本質が全く違うからです。

そして、何よりも、ファッションの芸術性の高さは、(男女に)モテるためのハッタリに使えることにあるのです。もはやお上品なだけのファッション・サイトの存在なぞ退屈以外の何者でもありません。ファッションとは、悪徳の香りに満ちた、背徳感を刺激させる要素を抜きにして語れないものなのです。

ファッション・アイコンと呼ぶには軽量級すぎる芸能人の助力により、ファッション・ブランドの価値を高めようとする姿勢は、ここ10年間の流れで明確に、ミーハーな興味のみを生み出すことが明らかになりました。ファッションについてこう語る人がいます。「安くても良いものがある」と。もちろんそうです。安くてもおいしいインスタントラーメンがあるように、安くても良いパンツはあります。しかし、所詮はインスタントはインスタントです。

大きな鍋で、色々な食材からダシを取り、秘伝の味付けをして、時間をかけてスープを作り、丁寧に手打ちした麺で、熟練した人間の手によって作り出されたラーメンとは、全く違うものです。このことはファッションにおいても同じことが言えます。まずは皮、ファブリック等の素材から良い状態のものを選別し、熟練した人間の手により、より繊細な機械と手作業を駆使して生み出される製品は、間違いなくインスタント・ファッション(=ファスト・ファッション)とは別物なのです。

結局のところ、「ラグジュアリー・ファッションを語る人は、それ以上にその製品を買っています」。そんな人々による真実の批評が存在してこそ、ファッションは芸術の段階へ駆け上ることができます。そのための第一歩を、僭越ながら当メディアが突き進んでいく所存でございます。少人数の運営のため、至らぬ点が多いと思いますが、趣旨に賛同していただける方々のご協力を頂ければ幸いです。

ファッションのあるべき姿を見出しましょう。ファッションはファンタジーであり、エロスであり、芸術であるという真実を楽しみましょう。