メゾンフランシスクルジャン
Maison Francis Kurkdjian フランスとパリジャンのエレガンス、洗練さ、魅力、そしてシックさを体現するパリからインスピレーションを得ている、パリの精神をボトルに凝縮したようなラグジュアリー・フレグランス・ブランド。
ブランドに名を冠した調香師フランシス・クルジャンは、1995年にジャン=ポール・ゴルチエの「ル マル」でセンセーショナルなデビューを果たした〝神童〟と呼ばれた人です。
2001年、その先見の明をもって、香水の民主化という一般的な傾向に逆らって、オーダーメイドの香水アトリエを設立し、同年、世界の優れた調香師に与えられるフランソワ・コティ賞を受賞しました。2005年には、マリー・アントワネットが愛した香りを再現しました。
そして2008年に芸術文化勲章シュヴァリエを叙勲し、翌2009年9月7日にマーク・チャヤと共に、メゾン フランシス クルジャンを創業しました。ブランドが単なる製品ライン以上の存在であることを示すため、ブティックも同時にオープンしました。当初、ブランドのモットーは「24時間365日、香りに包まれた人生」でした。
最初の香りとして、「アクア ユニヴェルサリス」を含む7作品を発表し、クワイエット・ラグジュアリーな時代にマッチしたボトルデザインと香調により、あっという間に世界中に取り扱い店舗を拡大してゆきました。なかでも2015年に誕生した「バカラ ルージュ540」は、新しい〝甘さ〟と〝美の概念〟を世に生み出した『21世紀のNo.5』と呼ばれる世界的な大ヒット作となり、ブランドの地位を不動のものとしました。
2017年以降は、LVMHグループの傘下に入り、他のニッチ・フレグランスにはない独自の世界観を確立しています(LVMH傘下に入ったことにより2023年の売上高は14倍になりました)。
メゾン フランシス クルジャンの香りのラインナップが他と一線を画すのは、それぞれの香りが特定の「ムード」にフィットし、特定のシーンにおけるあなたのオーラやセンシュアリティに調和するようにデザインされているからです。私たちは、生涯同じ香りをまとうことは、もはや時代遅れの慣習だと考えています。
現代の男性と女性は多面性を持っています。仕事でも、友人や家族と過ごす時間でも、旅行中でも、私たちは同じではありません。洗練された人のワードローブを開けば、カジュアルウェア、フォーマルウェア、イブニングウェア、そしておそらくクチュールも見つかるに違いない。私たちのフレグランス・コレクションも、〝フレグランス・ワードローブ〟として、まさにその同じ精神に基づいて作られています。
マーク・チャヤ
代表作
アクア ユニヴェルサリス(2009)
ウード(2012)
ア ラ ローズ(2014)
バカラ ルージュ540(2015)
プティ マタン(2016)
アクア セレスティア(2017)
ジェントル フルイディティ ゴールド(2019)
アクア メディア コローニュ フォルテ(2023)
フランシス・クルジャン 調香界のプリンス
アクア ユニヴェルサリス シリーズの全て

©Maison Francis Kurkdjian
2003年、二人の青年が出会い、6年後『香水革命』を起こす。

フランシス・クルジャン ©Maison Francis Kurkdjian

マーク・チャヤとフランシス・クルジャン ©Maison Francis Kurkdjian

フランシス・クルジャンとマーク・チャヤ ©Maison Francis Kurkdjian
香水業界は変わりつつあるのだ。ごみみたいな香水 ―― 安いコストでほんの数ヶ月で構成し、有名人を広告塔に突飛な宣伝文句を謳って売る ―― の時代はようやく終わりに近づいている。品質のよいものだけがこれからは勝ち残れる。
タニア・サンチェス
どこかで読んだのですが「真の起業家は崖から飛び降り、落ちていく途中で翼を育む」という言葉があります。この言葉には確かに一理あると思います。キャリアを変え、新しいベンチャーを立ち上げるというリスクを取るには勇気が必要です。しかし一度飛び降りたら、その翼を育てるために十分な自信とスキルを持っていることも重要です。
マーク・チャヤ
2021年10月よりディオールの二代目調香師となったフランシス・クルジャン(1969-)が、2009年9月7日に、パリのヴァンドーム広場に近いアルジェ通り5番地にオープンした約32平方メートルの小さな空間からはじまったメゾン。それが「メゾン・フランシス・クルジャン」です。
1995年にジャン=ポール・ゴルチエの「ル マル」でセンセーショナルなデビューを果たした神童が、遂に自分自身のイメージするフレグランスを手がける「香りの宮殿」を持つにいたったきっかけは、一人の男性との出会いでした。
クルジャンは当初ゴルチエと共同でフレグランスを制作できることに喜びを感じていました。しかし実際は「ル マル」の制作を通して、調香師の仕事とは、ファッション・ブランドのデザイナーと打ち合わせすることなく、ただ指示を出されて、香りを創り、発表会にも呼ばれることはない黒子であることを痛感し、その仕事に対して、落胆を隠しきれませんでした。
ただの〝鼻〟であり、〝頭脳〟であることは許されない存在。クルジャンの言葉を借りると「安っぽいボトルや安っぽい広告キャンペーンに意見を言うことさえ許されない」そんな仕事がずっと続いてゆくことに我慢できず、4年半のニューヨーク左遷時代(=冬の時代)を経て、2001年からビスポーク・フレグランスのアトリエに挑戦することを決意しました。
そして2003年に、ジャン=ポール・ゴルチエのファッションショーの後行われた、ゴルチエの誕生日ディナーパーティーで、一人の男性と出会いました。その男性はクルジャンの職業を聞いてびっくりしました。彼は〝調香師〟という職業を知らなかったのです。
クルジャンがゴルチエの「ル マル」をはじめとする有名な香水の調香を担当した人であることを聞き、びっくりして、思わずクルジャンに「どうして私はあなたの名前を知らなかったのでしょうか? 誰もがつけている香水をたくさん作っているのに、誰もあなたの名前を知らないですよね?」と聞き返しました。
すべてのはじまりはこの疑問からはじまりました。この男性の名をマーク・チャヤと申します。
当時彼はアーンスト・アンド・ヤング(世界4大会計事務所のひとつ)で、最年少(32歳)でグローバルパートナーとなった天才児でした。
マーク・チャヤはベイルートで育ち、ビジネススクールに通うためにフランスに移住し、ソルボンヌ大学で銀行・金融学の修士号を取得後、アーンスト・アンド・ヤングに入社し、24歳で監査役としてキャリアをスタートさせ、わずか9年でグローバルパートナーに昇進しました(通常15年かかる)。「ル マル」だけでなく「アルマーニ マニアオム」も愛用していました。
そんなチャヤがクルジャンと親交を深める中、共にゲイということもあり意気投合し、2005年にクルジャンが転職するタイミングで長期休暇をとり、ふたりで一か月間の世界旅行に出て、未来の構想について話し合いました。
そして2009年にフレグランス・メゾンは立ち上げられることになりました。その時、チャヤは、調香師の名を冠したブランドを興すことが、調香師の地位を高めていくになるだろうと考えました。
ここに、2000年にフレデリック・マルにより狼煙が上げられた『調香師の香水革命』の『第二革命』がはじまったのでした。調香師自身による香水革命のはじまりです。
2009年9月7日、アルジェ通り5番地からはじまる。

アルジェ通り5番地にあるメゾン・フランシス・クルジャンのブティック。©Maison Francis Kurkdjian

その内装 ©Maison Francis Kurkdjian
ひとつの香りを創造する時、私はまず名前を考えます。名前は鍵を最後に回すようなもので、創造に入る前の最後の門なのです。
フランシス・クルジャン
フランシスにとって、私たちの香りのインスピレーションはたいてい名前から生まれます。なぜなら、名前は創作の青写真を明確にするのに役立つからです。そして香りを頭の中でイメージし、精油のパレットを使って、そのビジョンを形にしてゆきます。
香水の創作は、単に実験室で精油を調合し、良い香りがすれば市場に出すといった技術的なプロセスではありません。創造的な芸術的プロセスなのです。これは、絵を描く技術をマスターすれば、誰もがピカソになれるわけではないことに似ています。香水を創造する事において、テクニックは基本的なことであるに過ぎず、テクニックを超えて創造に至るには天才的な才能が必要となるのです。
フレグランスを開発したら、製造、流通、そしてコミュニケーションという次のステップに進みます。この開発から販売までのプロセス全体には約18ヶ月を要します。
マーク・チャヤ(2016年のインタビュー)
2009年9月7日に「メゾン・フランシス・クルジャン」は誕生しました。同日、まず最初に「アクア ユニヴェルサリス」を含む7作品を発表しました。多くの香水の名に、クルジャンが学生時代に熱中していたラテン語と古代ギリシャ語がつけられています。
クルジャンとチャヤの関係は、イヴ・サンローランとピエール・ベルジュ、トム・フォードとドメニコ・デ・ソーレのような関係です。それはまるで左脳と右脳が協力し合う一つの脳のように、クルジャンがフレグランスを開発し、チャヤは彼の相談相手となり、小瓶に入ったフレグランスのサンプルを試用し、フィードバックを与えていくのです。ビジネス面でも同様で、チャヤがビジネス戦略とビジョンを主導し、クルジャンが意見を述べていきます。
二人の間には、二人が準備ができたと判断するまでは香りをリリースしないというルールがあり、会社設立以来、少なくとも4回以上発売を延期しています。
さらに言うと「まず第一に、メゾン・フランシス・クルジャンはニッチブランドではありません。確かに小規模なスタートですが、近いうちに多くの国に展開していくでしょう」というクルジャン自身の創業時の発言からも分かるように、ニッチの精神で作られたブランドではなく、一人の調香師が生み出したラグジュアリー・フレグランス・ブランドなのです。
MFKを一言で表すと、それはフレグランス・ワードローブです。

フランシス・クルジャンとマーク・チャヤ ©Maison Francis Kurkdjian

フランシス・クルジャン ©Maison Francis Kurkdjian
ブランドを創業する話がまとまりかけたある日、フランシスはオードリー・ヘプバーンが出演するとても美しい映画『ティファニーで朝食を』のパーティーシーンを見せてくれました。それはオードリーが5番街のティファニー本店に入り、5ドルで何かを買おうとする。1000万ドルのダイヤモンドのネックレスが買えるようなお店なのに、彼女は指輪に小さな刻印を入れる程度のものを5ドルで買おうとしたんだ。
映画を観ながらフランシスはにやりと笑みを浮かべ私を見た。その瞬間、私は彼が何を言いたいか理解したんだ。私たちの目指すラグジュアリーはこの映画の精神なんだと。
マーク・チャヤ
私のブランドの香りの中で、今までミルラを使用したことがありません。それは、それが私の調香スタイルに合わないとかではなく、ただ単に満足のいく品質のものがまだ見つけ出せていないからです。
通常、50ほどのサプライヤーを通じて香料を確保していくのですが、新しい成分を見つけ出すより、ある香料の最高品質のものを見つけ出すほうが私には非常に重要なことなのです。
フランシス・クルジャン(2010年代後半のインタビュー)
「香りの大合唱」と形容されるメゾン・フランシス・クルジャンの香りの特徴は、通常クルジャンが依頼を受けているファッション・ブランドとは一線を画した、一切の予算の制約を受けずに、贅沢な天然香料と高品質な合成香料が使用されている点にあります。大量生産で販売される香水より5~10倍お金がかかっています。
つまり、一流シェフが、一流の素材で生み出しているかのように〝クルジャンの夢〟が100%実現されている香りなのです。
香りの中にそれ以上のものを見出す香りそれがメゾン・フランシス・クルジャンの香りです。だからこそ、その香りはどこまでもシンプルなようでいて、一言で形容しがたい、言葉の領域を超越した、五感を覚醒させる〝輝き〟に満ちているのです。
特に2015年に誕生した「バカラ ルージュ540」は、通常の〝甘さの概念〟を超越した、新しい〝甘さ〟を世に生み出し、女性の目の前に、未知なる美の選択肢を与えた画期的な香りです。この香りが、素晴らしいのは、シャネルのNo.5と同じように、何かの香りではなく〝新しい美の象徴を生み出した〟所にあります。疑いようもなく、『21世紀のNo.5』と呼ぶに相応しい香りでしょう。
最後にこのブランドのボトルについて説明させて頂きます。
キャップはパリの屋根の灰色と、点在する金色の尖塔からインスピレーションを得た、灰色の亜鉛と金色のものです。亜鉛の特性上、同じグレーは生まれず個体差があります。それがどこか修道士のような佇まいでもありスタイリッシュです。
フラコンのイメージは、ある日、クルジャンが骨董品を探していた時に見つけた、旅行用の化粧品セットの一部としてデザインされたクリスタルの小瓶から、四角いクリスタルのファセットで区切られたフラコンをデザインしました。トータルで見ると、宝石のような存在であってほしいというクルジャンの願いを叶えたデザインとなっています。
2015年にLVMHグループがクルジャンに買収を持ちかけたとき、その年の売上高は2,500万ドルで、前年比40パーセント増でした。そして2017年にLVMHグループの傘下に入りました。
日本国内ではずっとブルーベルが取り扱っていたのですが、2025年夏には、LVMH直轄となり、旗艦店や単独コーナーがたくさん生まれてゆくことでしょう。