バーニング・アップ
Burning Up 「エブリバディ」がダンス・シーンで成功を収め、1983年1月から2月にかけてファースト・アルバムのレコーディングに入りました。そんな中、3月3日に発売された、マドンナの記念すべき第2弾シングルですが、こちらも彼女自身が作詞作曲を行いました。
ビルボードチャート100位内に入るヒットにはなりませんでしたが、デビュー・シングルと同じく全米ダンスチャート第3位になりました。ただし、この当時、彼女の歌唱力に疑問を呈する声が多く上がりました。
しかし、この曲のシングルカバー撮影のために招聘したマリポールというスタイリスト兼ジュエリー・デザイナーが初期のマドンナのファッション・テイストを決定付ける役割を果たすことになったのでした。
ちなみにこの曲のミュージックビデオ(マイケル・ジャクソンの「ビリージーン」(1983)などの作品で知られるスティーブ・バロンが監督したが「この曲は私の心に響かなかった」と回想している)が、はじめてMTVで流れたマドンナのビデオとなりました(1983年9月から流れる)。
このビデオの中で沢山つけているラバーブレスレットは、タイプライターのベルトでした。そして、このスタイルは、マドンナのアイコニック・スタイルのひとつとなりました。
当初シングル2枚だけの契約を結んでいたサイアー・レコードは契約を修正・延長し、前払い金として、5000ドルを払い、マドンナは新しいローランドのシンセサイザーを購入しました。

ラバーブレスレットを沢山つけているマドンナとマリポール。

概要


曲名:バーニング・アップ
原名:Burning Up
リリース:1983年3月
最高順位:全米ダンスチャート第3位
肉体の元気溌剌さと退廃的な色気溢れる表情のアンバランスさ
デボラ・ハリーとクリッシー・ハインドにはすごく刺激を受けたわ。二人とも女性で、バンドの中心人物だったでしょ。詞を書いていたのは明らかに彼女たちだし、ふたりとも強烈なイメージを持ってたからすごく勇気づけられたの。
マドンナ
デビューしたての頃心底尊敬してたのは、デボラ・ハリーとクリッシー・ハインド。すごく強い人たちだと思ったわ。彼女たちの皮肉のセンスが好きだったけど、それって今のポップミュージックからは消えようとしているものじゃないかしら。
マドンナ
マドンナのトレードマークとなるラバー・ブレスレット。この頃は、タイプライター・ベルトを手に重ね付けし、十字架のイヤリングを合わせていました。跳ね感たっぷりのブロンドヘアーに濃いメイク。バランス感覚の良い軽快なダンスと、ストリート・テイストに〝見せる要素〟をミックスしたファッション・センス。
ファースト・アルバム『バーニング・アップ』(原名:Madonna)期のマドンナこそ、最も魅力的なマドンナのスタイリングと言う人々がいる理由は、創意工夫を楽しんでいるそのファッション感度の高さがより伝わりやすいからでしょう。
ニューヨークのストリートの香りがまだ漂っているこの時期のマドンナから、スタイリングの極意をいくつか学ぶことが出来ます。その中でも最も重要なことは、このスタイリングが光り輝く理由は、ダンスで鍛え上げた肉体による部分が多いと言うことです。
つまり肉体の見える部分をファッションの一部として生かしている点にあります。細すぎない肉体美です。マドンナのスタイリングが、極めて個性的に見える最大の理由は、その個性的な肉体の造詣によるのです。
そうです。彼女の恐ろしい所は、オードリー・ヘプバーンとマリリン・モンローの融合をその肉体により成し遂げた所にあります。それはつまり、オードリーのファッション感度とダンス能力と、マリリンのふくよかな肉体とブロンドヘアーの融合です。
このスーパースターは、極めて頭脳明晰な野心家が7年間の貧困生活の中で、叩き上げた「生きる芸術品」だったのです。
B面のダンス・ポップ「フィジカル・アトラクション」も素敵です。
マドンナ・ルック2 ルーズソックス・ミックス
- 白のタンクトップをロールアップしてへそ出し
- 網目のレギンスにチェックのすけすけのスカート(共にブラック)
- ルーズソックス
- 黒のバックル付きシューズ
- たくさんのブレスレット

マドンナ。1982年。すでに十字架をトレードマークにしています。




1983年。ロンドンにて。わき毛は剃っています。


マドンナとアディダス・スーパースター。
デビューアルバム『バーニング・アップ』(1983年7月リリース)

どの曲もあまりパワフルじゃないわね。それにレコーディングの時はあたしイギリスにいたから、主導権を握れなかったの。・・・ディスコミュージックっていう鋳型から飛び出すことが自分にはとても重大なんだって気づいたのは、もうこのアルバムが仕上がる直前だった。もう少しヴァラエティに富んだアルバムにできたらよかったんだけど。
アルバム『バーニング・アップ』について語るマドンナ
シングルが売り上げを伸ばす中、マドンナは映画女優としての挑戦も怠らず、1983年3月から4月にかけて、マーティン・スコセッシ監督の映画『最後の誘惑』のオーディションを受けました。マドンナは選ばれず、プロジェクトも中止され、1988年にウィレム・デフォーとバーバラ・ハーシーにより映画化されました。
一方で、ヨーロッパ市場への進出を試み、ロンドンのクラブ各所でライブ・パフォーマンスを行ったのですが、イギリスの観客の反応は皆無で、大失敗に終わりました。
しかし、このアルバムにより、70年代終わりに終焉を迎えたディスコ・ミュージックが、R&Bとニュー・ウェイヴとフュージョンされ、ダンス・ミュージックが再び人気を博し、その後数十年にわたってダンス・ポップのスタンダードを確立する役割を担いました。
ちなみに当初、ファースト・アルバムのタイトルは「ラッキー・スター」になる予定でした。

染みだらけのロングコートを羽織るマドンナ。1982年。

身に包むファッションでガラリと雰囲気が変わるマドンナ。



ファッション・フォトグラファー、スティーヴン・マイゼル





スティーヴン・マイゼルとマドンナ、1983年。
そして1983年9月に、著名なファッション・フォトグラファーであるスティーヴン・マイゼル(1954-)とはじめてフォトセッションを行うことになりました。以後、二人は「ライク・ア・ヴァージン」のカバージャケットや写真集『SEX』(1992)など緊密な仕事上の関係と深い友情を築いていくことになります。
このはじめての二人の作品が、雑誌『マドモアゼル・マガジン』に掲載されたのは1984年1月号にでした。
「バーニング・アップ」TV&ライブ映像集
イギー・ポップとブリトニー・スピアーズによるカバー
2008年に、マドンナがロックンロールの殿堂入りした式典で、イギー・ポップがカバーしました。
最後にブリトニー・スピアーズが、2011年の「ファム・ファタール・ツアー」 で披露した見事なカバー。
