ロシャス ファム
原名:Rochas Femme
種類:オード・パルファム
ブランド:ロシャス
調香師:エドモン・ルドニツカ
発表年:1944年
対象性別:女性
価格:不明

1930年代から50年代にかけてハリウッド女優を夢中にした男

マルセル・ロシャス

ピカソとマティスのシュルレアリスム作品へのクチュリエの最高のオマージュの一つ『バードドレス』、1934年。

ロシャスのマーメイドドレス、モデル:リサ・フォンサグリーヴス、撮影:アーヴィング・ペン、1950年。
近代香水の歴史を動かす三人の登場人物 ――マルセル・ロシャス、エドモン・ルドニツカ、エレーヌ・ロシャス――はこの香りと共に現れました。その名も「ロシャス ファム」。シプレというカテゴリーにフルーティーというサブカテゴリーを生み出した歴史的香水でした。
マルセル・ロシャスは、1902年2月24日にパリで宝石商の父のもと生まれました。やがて弁護士を目指す青年になった彼は、23歳の時、学費を稼ぐために繊維メーカーの営業職に就きました。そしてファッションに夢中な同僚の女性イヴォンヌと出会い、恋に落ちました。彼女の洗練された姿を見ているうちに、彼女との結婚式のためのウエディングドレスをデザインしたいと考えました(1929年に離婚する)。
無事結婚式を挙げた翌年1925年に、パリのボーヴォー広場の角にクチュールハウスを設立しました(1931年にマティニョン通りに移転)。ポール・ポワレの協力もあり、以後、白い襟を特徴とする黒と白のドレスや、エルザ・スキャパレッリと共に大きな肩パッドの流行を確立させました。
更に史上初めてのポケットつきのスカート、バードドレス、七分丈のコート、日中の外出着としてグレーフランネルのパンツスーツ(1932年、レジャーウェア以外でズボンを女性の外出着に初めて取り入れたデザイナー)などの革新的なアイデアでオートクチュールに若々しい息吹をもたらす先駆的なファッション・デザイナーとして、パトゥ、スキャパレッリ、ルロンと肩を並べるほどの絶大な人気を誇り、瞬く間に成功を収めました。
彼の顧客には、キャロル・ロンバードやマレーネ・ディートリッヒ、ジョーン・クロフォード、キャサリン・ヘプバーン、ジーン・ハーロウといったハリウッドスターなどが名を連ねていました。
最愛の妻エレーヌへの愛の告白として生み出された香り

エレーヌ・ロシャス、1976年

エレーヌ・ロシャスとマルセル・ロシャスと子供たち。
ブランド設立の11年後にあたる1936年に、マルセルは最初の香水<三種>を発表しました。それらはオートクチュールサロンでのみ販売されました。しかし、1940年5月に始まったナチス・ドイツのフランス侵攻戦争により、製造中止となりました。
1941年のある晩、ナチス・ドイツ占領下のパリで、終電で、帰宅するすらっと女神のように美しい若い女性を地下鉄で見かけました。そして彼女に「君は帽子が似合うね」と声をかけました。これが三番目の妻であり、最後の妻として『マダム・ロシャス』と呼ばれるエレーヌ(1921-2011)との出会いです。彼女は当時、パリ・オペラ座のバレエ学校に通いながら、有名なクール・シモン演劇学校で演劇を学んでいました。
1943年11月、パリがドイツ軍に占領されていた時期に、マルセル・ロシャスと彼のパートナーのアルベール・ゴセが私を訪ねてきました。彼はフランスのオートクチュールの華麗な復活を象徴する香水を発売したいと考えていました。
私は、その年ずっと取り組んでいた香水を彼に披露しました。当時、私は主に特殊な香料ベースを使って制作していたため、手元にあったのはその1本だけでした。彼らは議論も、手直しも、修正も、何一つ加えることなく、即座にその香水を採用してくれました!彼らはそれを非常に気に入ってくれたのです。
エドモン・ルドニツカ
エレーヌはマルセルの帽子のモデルとなり、1942年11月に結婚しました。そんなエレーヌへの愛の告白として、1943年にエドモン・ルドニツカにより、ナチス・ドイツに蹂躙され、廃墟となったパリの空の下で生み出されたのが「ファム」でした。
ゲランの「ミツコ」のフルーティシプレからインスピレーションを得た「ファム」は、ルドニツカが調香した2番目の香水でした。エリザベス・アーデンの「イッツ ユー」(1939)が彼の最初の成功作でした。
暗黒の時代の終わりを告げる、「女」を謳歌する香りの誕生。

©ROCHAS

1962年 ©ROCHAS
当時のマルセルは、戦争の影響により、クチュールハウスの閉鎖を考えているほど、金銭的にも精神的にも逼塞していました。そんな中、エレーナとの出会いが、彼に新しい目標を生み出したのでした。
時を同じくして、名門シャンパーニュ・ゴセ一家の末っ子である若き青年アルベール・ゴセがエドモン・ルドニツカの調香により香水を作ろうと、ロベール・ピゲとクリストバル・バレンシアガに声をかけていました。そしてもう一人マルセルに声がかけられたとき、彼は即決し、共同出資により、パルファン・ロシャスを誕生させることにしました。かくして実質的に、ロシャス最初の香りが誕生する流れが生み出されたのでした。
1944年8月、パリは開放されました。しかしフランスではアルコールやクリスタルガラスが厳格な配給制の下管理されていました。そのため割り当てられたアルコールは、フェムを数百本生産するのに十分な量だけでした。
そこでアルベールのアイデアにより、状況を逆手に取ることにしました。当時いちばん高価な香水であったスキャパレッリの「スキャンダル」よりも高値で販売する事を決定し、12月にパリ社交界の華と呼ばれる女性千名にサンプルボトルを一本ずつ送りました。
そのうち150人が礼をのべ、新しい香水を予約しました。製造される前から買うという戦法により、資金を集めたのでした。その資金で製造されたマルク・ラリックの著名入りの高級クリスタルボトルは、特製の黒いシャンティイレースをあしらった箱という豪勢な装いで、ウィンザー公爵夫人、ノアイユ子爵夫人、ロスチャイルド男爵夫人、ダニエル・ダリュー、ミシェル・モルガン、アルレッティなどの特別な顧客にだけ予約販売されました。
そして1945年に、一般販売されることになりました。ちなみにマルセルは、この年、ビスチェを取り入れたウエストを締める女性用コルセット「ゲピエール」を考案していました。
1945年の女性は、数々の試練や責任のためにたびたび機牲にしてきた女らしさをとりもどしていました。そんな時に、「ファム」=〝女性〟と名付けられた香水が到来しました。まさにそのたった一語ですべてを語るような名称、
エレーヌ・ロシャスは、『マダム ロシャス』となる。

エレーヌ・ロシャス ©André Ostier/Association des Amis d’André Ostier

サファイアブルーの瞳を隠すエレーヌ・ロシャスのバットマスク。
戦争が終わり、この香りを身に纏ったエレーヌはロシャスのミューズとして1946年には仮面舞踏会『プレ・カトランの夜』で、コウモリの形をした派手な黒い仮面をつけ、このイベントの象徴となりました。
「ファム」の成功により、ルドニツカは、1946年に念願のプライベート・ラボ「アール・エ・パルファン(Art et Parfum)」をグラース近郊の村カブリに創設し、世界で初めて独立した調香師として、「ムスリーヌ」(1946)「ムーシュ」(1948)「ムスタッシュ」(1948)「ラ ローズ」(1949)と立て続けにロシャスの香りを調香しました。
マルセルが、1955年に53歳で動脈瘤により急逝し、ロシャスはブランドとして力を失いはじめていました。そんな中で、1960年に「マダム ロシャス」が発売されました。この香りは「ファム」にも再び脚光を当てるほどの空前の売り上げを記録し、ここにロシャスの香水帝国の復活の狼煙が上げられるのでした。
1989年に「ファム」は、オリヴィエ・クレスプにより、わずか12種類の香料のみで、プラムとピーチの甘さにクミンの比率を高め再調香されました。ミッシェル・ルドニツカは、重病だった父がこの香りを嗅ぎ、自分が関わらなかったことを嘆き、「ファム」が奪われたと感じていたと伝えています。
そして、2013年「ファム」は、二度目の大規模な再調香が施されました。
〝フルーツに感情を与えた調香師〟エドモン・ルドニツカ

1986年 ©ROCHAS

1966年 ©ROCHAS
「ファム」には、謎めいたところがあります。エレーヌはのちに「ファムはとてもとても特別でした。そう前衛的な音楽みたい。そして、ファム はとても美しいもの、身にまとうのはとても難しい。 ランバンの「アルページュ」のように極めて繊細な香水のひとつであり、商売として売れるものではありません」としみじみと語っていました。
しかし、実際の所、この香りは、世界中の女性を夢中にさせ、商売として売れていました。高嶺の花、天真爛漫、澄まし顔、満面の笑顔、気高さ、妖艶さなど、色々な女性の美徳がスフィンクスのように横たわる「ファム」。その〝謎〟の秘密は〝Fût 5〟にありました。
〝Fût 5〟と呼ばれる、当時ルドニツカが勤務していたド・レール社の工場の裏庭に20年から30年もの間忘れ去られ、放置され熟成されてきた樽の中に入った〝謎の物質〟。その少し甘みを帯び、砂糖漬けのプルーンのような珍しいメチルイオノン化合物の芳醇なウッディな香りを使用しました。
そこにピーチアルデヒドC-14、クミンアルデヒド、さらにウッディノートとスパイシーノートを組み合わせ、フルーティーな「プルノール」というベースノートを作り上げました。そしてフローラルなオークモスのアコードで包み込みました。
「ファム」からはじめて本格的にプラム(プルーン)が使用されました。かくしてこの香りのより、フルーツはそれまで香水の脇役にすぎなかった装飾的な役割から、主役として、舞台に立つことが許されたのでした。ルドニツカが〝フルーツに感情を与えた調香師〟と呼ばれる所以です。
「プルノール」は、のちにディオールの「プワゾン」(1985)、ケンゾーの「ケンゾー ジャングル エレファント」(1996)でも重要な役割を果たすことになりました。
キャンディの香りと調和させるために「ファム」を非常にフルーティーにし、フルーツの香りを和らげるためにウッディな香りを加え、力強さと深みを出すためにアルデハイドを取り入れ、さらに非常にフローラルに仕上げました。
オークモスが含まれていますが、よく分類されるようなシプレ香水ではありません。「ファム」はアルデヒドフローラルであり、シプレとは何の関係もなく、ましてや1917年のコティの「シプレ」とは全く別物です。
創作した当時は、これが「ファム」という名前になるとは思ってもいませんでした。自分のために作ったのです。純粋に自分の楽しみのためにこの香水を開発していたところ、たまたまロシャス氏とゴセ氏の両方が気に入ってくれて、採用してくれたのです」
エドモン・ルドニツカ
素晴らしいピーチ香水の原点にして〝究極のピーチ〟

1965年 ©ROCHAS
私がこれまで経験した中で最も強烈な感動は、マティニョン通りのクチュリエのサロンで「ファム」がお披露目された日のことでした。モデルたち、カーテン、おそらくカーペットにまで、その香水が吹きかけられていたのです。至る所に、あふれんばかりに! その衝撃に私は圧倒されました。
控えめな香りのサンプルでは決して感じたことのない、圧倒的な香りの広がりに圧倒されたのです。自分の香水がこれほどまでに香りを放つことができるとは、想像もしていませんでした。その時初めて、「ファム」はただの香水ではないのだと気づいたのです。
エドモン・ルドニツカ
ルドニツカは自身の作品を単なるシプレとは決して考えていなかった。それよりももっと複雑で、ヴァイオレット・メチルイオノンがジャスミン、ローズ、オークモスを結びつける、フローラルウッディノートの調和であると語っていた。
最初に香りを嗅いだ瞬間、フルーティーでスパイシーな香りが驚きと躍動感をもたらす。まるで毛皮ような感触、土っぽいオークモス、インドール系のジャスミン、そして汗ばんだようなクミンの過剰さから生まれる、巧妙で予想外のアニマリックな官能性が漂います。ロシャスの優美なゲピエールを香水で表現したような作品です。
ジャン=ミシェル・デュリエ(2008年から2015年までロシャスの調香師をつとめる)
パンデミックを経験した人類が、2044年に向かって進んでいる中、香水文化はどこに向かって進んでいるかというと、それは間違いなく、1944年に誕生した頃の「ファム」の謎めいた魅力を再現した香水を生み出すという〝一大野心〟です。
1989年よりも遥か昔の「ファム」をパリで体感したことがある人なら、異論はないでしょう。それほど「ファム」は、香水文化の終着駅に相応しい、失われた香りなのです。
「ペッシュ ミラージュ」「ビター ピーチ」などの素晴らしいピーチ香水の原点にして〝究極のピーチ〟とも言えるこの香りは、素肌が温められていくような効果からはじまります。
冷たく辛いオークモスと温かくクリーミーなサンダルウッドを中心に、ラブダナム、パチョリ、ムスク、アンバー、ベンゾインが芳醇なワインのように、素肌の上で熟成しながら溶け込んでゆきます。オープニングにファンファーレのように、壮大なる大地の香りと紫煙の香りが感じられます。
数秒の沈黙の後、一斉に、ピーチと(コニャックに漬け込んだような)プラム(すもも)とアプリコットがベルガモットとレモンと共に、弾けるのではなく、肌の奥底から湧きあがり、まるで肉体から滲み出てくるように、フルーティーな円やかさを広がらせてゆくのです。
すぐに感じられるイモーテル、シナモン、クローブ、コリアンダーといったスパイスとほのかにスモーキーなレザーとベチバー、そしてジャスミン、ローズ、イランイラン、アイリス、カーネーションといったフローラルブーケが回転木馬のように廻り廻って、元々温められている素肌に、びっくりするほどの絶妙なバランスでとろけて匂い立つのです。
うっとりするほど淫らに艶やかなプラムとパウダリーなピーチの二重奏は、最初から最後まで駆け抜けてゆきます。それは不思議なことに濡れたように強くきらめき、身も心もとろけていくようです。二つの果実の中に紛れ込む、燃えるようなクミンが、愛を交わした後の柔らかな汗と肌の湿り気を想起させ、このプラムとピーチに悪魔的な魅力を与えています。
抑えきれない〝女〟の謎めいたパワーを解き放つ香り

1989年©ROCHAS

アレクサンドラ・マルティノワ、2016年 ©ROCHAS
唇に口紅を重ねるように、素肌に重ねることにより、甘さを超越したピーチに、言葉よりも饒舌に語らせる香り。〝女〟という名の香り。それは、抑えきれない〝女〟の謎めいたパワーを解き放つ香りなのです。
「ファム」とは、ロマンティックな愛の物語というよりは、18歳のまだ磨き上げられていなかった女性が「マダム ロシャス」として、20世紀のクレオパトラの地位にまで駆け上っていく、女性のサクセスストーリーをボトルに封印した香りと言えるでしょう。
あくまで穏やかに、やさしく、そして情熱的に、冷静に、頭脳をフル回転して、美を磨き上げ、知性を高め、犠牲を怖れず、時に色仕掛けも厭わず、太陽の女神への階段を上っていく、そんな実生活では許されない女になることを楽しむ香水。
映画のヒロインになることを妄想するように、まったりと色々な女性像を楽しみ、心地よく酔わせる変身香水、または、見えない全身整形香水なのかもしれません。纏う女性の年齢に合わせて変身する香り。そういう意味においては、70年代から80年代にかけて、この香水が、トランスジェンダーの方々に爆発的に流行した理由が分かります。「女を楽しむ」香りなのだから。
この香りの後に、ルドニツカは、ギ・ラロッシュより「フィジー」の名で発売されかけた「プラム(La Prune)」(この香りからフレデリック・マルの「ル パルファム ドゥ テレーズ」は作られた)とディオールの「ディオレラ」(1972)を生み出すことになりました。
メイ・ウエストからインスピレーションを得たボトル

『罪ぢゃないわよ』(1934)の撮影現場でメイ・ウエストと談笑するマルセル・ロシャス。

メイ・ウエスト

マルク・ラリックのサインが入ったシリアルナンバー入りのクリスタル製ボトル。220ml、限定200~300個。
ボトルは、メイ・ウェストのヒップからインスピレーションを得たものです。夫は、くびれたウエストと丸みを帯びたヒップを持つ女性に夢中でした。私の体型がまさにその女性らしさの理想像に合致していたので、とても個人的な思い入れがあります。当時はもう少し丸みがありましたが。それで夫は香水ボトルのウエストを非常に細くし、ヒップをふくよかにしたのです。カンボジアの彫像のような感じですね。
エレーヌ・ロシャス
「ファム」のボトルデザインは、かつてマルセル・ロシャスが、女優のメイ・ウェストのために、シャンティイレースの黒いウエストを絞ったコルセットを制作した時のそのシルエットからインスピレーションを得たものでした。
タニア・サンチェスは『世界香水ガイド』で、「ウッディフローラル」と呼び、「かつての輝きを失った「ファム」にはヒゲが生え、今は「オム」(男)と呼びたいくらいだ。それでも素敵にウッディ調のフローラルで、ラクトンのノートがある」と3つ星(5段階評価)の評価をつけています。
香水データ
香水名:ロシャスファム
原名:Rochas Femme
種類:オード・パルファム
ブランド:ロシャス
調香師:エドモン・ルドニツカ
発表年:1944年
対象性別:女性
価格:不明

トップノート:プラム(すもも)、ピーチ、シナモン、アプリコット、ブラジリアン・ローズウッド、ベルガモット、レモン
ミドルノート:クローブ、カーネーション、イランイラン、アイリス、メイローズ、ローズマリー、ジャスミン
ラストノート:オークモス、レザー、ベンゾイン、アンバー、パチョリ、ムスク、バニラ、サンダルウッド
