決して女性ファッション誌では取り上げられないファッション・アイコン
日本のファッション・アイコンとして、恐らく、永らくファッション雑誌において取り上げられることのない女優の一人に梶芽衣子様(1947-)がおられます。
『キル・ビル』(2003)において、クエンティン・タランティーノにオマージュされ、世界的な日本のB級映画オタクにとって聖母のような存在になっている芽衣子様が、ファッションIQの高い女性が読むファッション誌が取り上げることが出来ない明確な理由があります。
それは彼女の出演してきた作品群の「刺激の強さ」です。
芽衣子様のキャリアのピークは、『女囚さそり』シリーズと、千葉真一と渡哲也が狂い咲いた70年代の東映ヤクザ映画の作品群と、『修羅雪姫』二作(1973,74)と『曽根崎心中』(1978)でした。
特に、この時代の東映映画は、完全に狂ってるとしか言いようがない程にカオスな映画を作っていました。その基本姿勢は、たがの外れた狂犬であり、そんな中からとんでもないクズのような代物が量産されたのですが、ごく稀に、突然変異が起こり、映画史上に残る『仁義なき戦い』『仁義の墓場』級の傑作が生み出されてゆきました。
梶芽衣子様のそんな東映映画における戦歴は、ダントツに輝いています。まさに70年代東映クイーンといっても差し支えありません(60年代東映クイーンは、藤純子様)。
その作品群で演じた役柄は、『仁義なき戦い・広島死闘篇』(1973)における狂犬ヤクザ・北大路欣也の愛する女性をはじめ、『新仁義なき戦い・組長の首』(1975)のシャブ中でキチガイの山崎努の愛妻(この数年後に山崎努が『八つ墓村』で演じた多治見要蔵を思い出してみよう)、『やくざの墓場・くちなしの花』(1976)の渡哲也の恋人であり、全てにおいてただの脇役の域を超えた存在感を示していました。
何よりも忘れてはならないのが、『女囚さそり』四部作の松島ナミです。
この作品によって生み出された名曲「怨み節」。10代より女優業に従事していた梶芽衣子様は、当時、『女囚さそり』の一作目を最後に、結婚し引退を考えていました。しかし、この作品のシリーズ化が、彼女の結婚を奪ってしまいました。
しかし、そんな彼女の魅力が昇華するきっかけになったのも、シリーズ化されたからであることは疑いようもない事実です。この作品があったからこそ、『修羅雪姫』をはじめとする後の彼女の傑作が生み出されたのでした。

主人公・松島ナミ。またの名を〝さそり〟と呼ぶ。

さそりルック。女優帽とロングコートをオールブラックでまとめる。
むかしの東映映画のポスターの癖になるアナログ感。

三原葉子の変身シーンと、和製バルドー・片山由美子とのレズシーン、室田日出男の中国人風ヘンテコな話し口調が見所。

何よりも白石加代子の怪演と、琵琶を効果的に使った前衛的な白装束シーン、そして、冒頭に登場する戸浦六宏無双(とにかく胡散臭い)が見所。室田日出男+小松方正+小林稔侍の有難味が分かる瞬間がとても多い。

マッチ売りの少女ユキ=渡辺やよいの堕ち感のハンパなさ。そんなユキがモリ・ハナエのショーウィンドウを悲しげな目で見る刹那感。

貞子のような白装束姿での首吊り台の死闘。同時上映『人斬り与太・狂犬三兄弟』(菅原文太)!全く魅力のない田村正和。
「さそり」4部作は、『ティファニーで朝食を』のようなハイセンスな作品ではありません、現在においては眉をひそめるような描写の連続です(しかし韓国映画の元祖であるかのようなエネルギーが充満している)。
ではありますが、ここであえて言わせていただくならば、ファッション感度を高めていくためには、「ジキルとハイド」要素が必要なのです。それは、昼は淑女、夜は娼婦の感覚です。その娼婦スイッチを押してこの作品を見てみましょう。すると、私たちの中の新たな感覚が覚醒されていくはずです。
もし、『ティファニーで朝食を』のハイセンスと『女囚さそり』の70年代エログロセンスの両方が理解できるオンナであったならば、群を抜くエレガンスと、チャームを兼ね備えた、目が離せない存在感を放つ女性になれる予感がします。
要するに、1970年代の日本人女性の格好良さを再認識するにあたり、山口百恵の「赤い疑惑」の岸恵子様のピエール・カルダン・ルックと、「女囚さそり」シリーズのブラックコート・ルックは、忘れてはならないファッションなのです。
ラグジュアリーストリートならぬラグジュアリープリズン

映画の女囚服を参考にして、篠原とおる先生により制作されたポスター。

H&MかGUなんかで「さそりワンピ」として部屋着で売り出したらかなり売れそうです。

なんて書いてたら本当に欲しくなってきました。

ちょっとマルジェラ的でもある囚人服のデザイン。
伊藤俊也監督は、女囚たちに決まりきったありきたりな囚人の衣装を着せることに抵抗があったので、私に新感覚な衣装を考案するように頼みました。あのボーダーワンピースの非常に印象的な女囚服です。あの衣装を考案することは、私にとって役作りの一部でした。
梶芽衣子
「ラグジュアリーストリート」という提案が、ファッションの一つの要素として定着した今、『羊たちの沈黙』『コン・エアー』などで見られるオレンジのつなぎや、ダイアン・ソーンやパム・グリアの一連の女囚シリーズで見られる女囚ファッションにインスパイアされた「ラグジュアリープリズン」の提案が生まれないとも言い切れません。
例えば、アンクルストラップパンプスは、その足首のストラップが足枷のイメージにもなり得るということです。そういった点において、1969年に誕生し、1970年に発売されたカルティエのLOVE ブレスレットこそが、「ラグジュアリープリズン」のはしりなのかもしれません(ティファニーのロックもその流れを汲むのでしょう)。
話しを元に戻すと、『さそり』の女囚服は、当たり前のように受け止めやすいデザインですが、実はかなりモードであり、非現実的な良く作り込まれたカッコ良さがあります。
ただ目力で芝居している訳ではない、梶芽衣子様の本格派女優への道

『女囚さそり 701号怨み節』の怨霊アングルが素敵。

『バトルロワイヤル』の柴咲コウは、かなり彼女を意識していたはず。

『さそり』は、エログロムービーではなく、アートムービーです。アングルがいちいち素晴らしい。
神田生まれの江戸っ娘の梶芽衣子様は、高校生の時、銀座で友達とショッピングしていた時にスカウトされ、ファッションモデルとして芸能界入りしました。
そして1961年から1964年にNHKのテレビ・ドラマ『若い季節』の端役に出演した頃、何もわからずに戸惑っているところを渥美清に励まされ、女優として頑張っていく気持ちが芽生えました。
1965年に高校卒業と同時に、日活に入社し、本名の太田雅子でデビューします(同期の渡哲也とは後に『やくざの墓場 くちなしの花』(1976年)で共演)。石原裕次郎・小林旭・松原智恵子・吉永小百合らが主演する映画で助演しながら、1965年の映画『青春前期 青い果実』で主演を果たします。
この頃、子供が好きだったので保母さんになろうかなと悩んでいたのですが、母親役の山岡久乃に憧れるようになり、山岡に強引に師事し、女優としてのイロハを学ぶ。
『真実』梶芽衣子より
「せりふを一言も発しないでいいのならお引き受けします」

サムライブルーな女囚服。

吊るし首のロープとさそりの女囚ルック。

梶芽衣子様の身長は163cmです。

『さそり』のイメージを決定づけた生脚剥き出しの女囚ミニワンピ。
1969年に『日本残侠伝』に出演するにあたり、高倉健や藤純子の名付け親でもある監督・マキノ雅弘により、梶芽衣子と改名することになる。1970年の日活映画『野良猫ロックシリーズ』4作に主演し、さらにテレビ時代劇『大江戸捜査網』にもレギュラー出演し人気を獲得する。
1972年春に引退した藤純子の後のポスト藤として、東映に移籍し『銀蝶流れ者』に、女性版『ハスラー』の映画化という話に乗せられ、任侠映画とは全く知らずに主演を果たし、内心がっかりする。
『真実』梶芽衣子より
『真実』梶芽衣子より
作品データ
作品名:女囚さそりシリーズ Female Prisoner 701: Scorpion(1972-1973)
「女囚701号/さそり」「女囚さそり 第41雑居房」「女囚さそり けもの部屋」「女囚さそり 701号怨み節」の4部作。
監督:伊藤俊也(最終作のみ長谷部安春)
衣装:内山三七子
出演者:梶芽衣子/渡辺やよい/夏八木勲/成田三樹夫/田村正和
