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トム・フォード

【トム フォード】プライベート ブレンド コレクションの全て

トム・フォード
©TOM FORD
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プライベート ブレンド コレクション

Tom Ford Private Blend Collection プライベート ブレンド」とは、ファッション・デザイナーのトム・フォードがグッチ、イヴ・サンローラン時代に培ってきたフレグランス・クリエイションの集大成です。「もっと自由に」「もっとエレガントに」「もっともっとフレグランスに深い愛を」という、ファッション・デザイナーの視点から見たフレグランスに対する熱い想いを具現化したコレクションです。

それは、エスティローダーグループの香水部門の副社長兼クリエイティヴ・ディレクターであるキャリン・コーリーの協力の下に、2007年に一挙10種類の香りが発表されたことからはじまりました。

ボクの香りの原点は、祖母がつけていたゲランのミツコなんだ。

トム・フォード、「世界のスターデザイナー43 堀江瑠璃子著」

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トム・フォードが示す21世紀の美の定義

©TOM FORD

過去を踏まえなければ、未来に向けた新しいモノを創る事はできない。グッチの歴史は、ゴージャスな映画スターとジェット・セッターたちを抜きには語れない。僕は90年代ヴァージョンをやりたかった。

グッチ時代のトム・フォード

2012年10月24日に、阪急うめだ本店2階に1号店がオープンしたトム・フォード・ビューティ。エスティローダーグループの傘下にあるコスメのフルラインの魅力は、ジル・スチュアートのような可愛らしさや、ディオール、シャネルのような流麗なボトルデザインではありません。

その魅力は、マニッシュであり、ゴージャスかつクールなゴールドとブラックを基調とした、円錐もしくは角柱のデザインが特徴です。それは<ギリシア神話>や<エジプト王朝>を連想させ、「クールな大人のオンナを演出してくれる」コスメを私は使用しているという充足感を感じさせます。

そして、もう一つ、トム・フォード・ビューティの素晴らしさは、そのコスメ・カウンターの世界観を演出するBAの方々の制服にも反映されています。その生地は中国製ですが、トム・フォード自身がデザインした1970年代のモード色の強い制服であり、日本のコスメ販売員の制服の中でも、トップクラスのセンスの良さと言えます。

彼女たちは、3次から4次の面接を経て雇われており(派遣社員はまた別)、ラグジュアリー・コスメの販売員の中でも、最も知識量が求められる雇用形態を取っています。そのモード感と選民意識が、ある種のお客様には、鼻につくことがあるのでしょうが、私は、そこはツンとしていて、トム・フォードのブランドのテイストに合致したオーラを出しているので、とても良いと思います。


トム・フォードが示す21世紀の美の定義とは、ある種、タマラ・ド・レンピッカの絵のイメージに近いものがあります。こんな女性が絶対につけてそうな香り。それが、プライベート ブレンド コレクションなのです。

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忘れてはならない陰の功労者


そういったトム・フォード・ビューティのコスメカウンターのディスプレイから全てのコスメ&フレグランスのプロダクト・デザイン=その世界観のイメージの源はトム・フォード本人なのですが、それを形に変えた女性の存在はほとんど知られていません。

そのプロダクト・デザイナーの名をデラ・ツァンと申します。台湾系アメリカ人の彼女は元々ラルフ・ローレンのフレグランスのプロダクト・デザインを担当しており、その才を見込まれ、トム・フォードに抜擢された女性でした。

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トム・フォード帝国の野望

©TOM FORD

ボクはセックスアピールを、リラックスしている人から感じる。人間はリラックスしていないと、絶対セクシーになれない。

トム・フォード

さて、トム・フォードについて少しおさらいしておきましょう。

1962年にアメリカのテキサス州オースティンの上流階級で生まれたトムの祖母はクレージュを着るようなお洒落な美人でした。「ボクが祖母から受けた影響は計り知れない」とトムは回想しています。

やがて、ニューメキシコ州サンタフェで10代を過ごし、映画俳優を目指し、ニューヨークで、スタジオ54や、アンディ・ウォーホルのファクトリーに出入りするようになります。そして、パーソンズにて建築デザインを学びます(クロエでインターンの経験)。

1988年にペリー・エリスで、デザイン・ディレクターになり(同時期、マーク・ジェイコブスも在籍)、90年にはグッチのレディースウェアのデザインスタッフに加わります。そして、1994年にグッチのクリエイティブ・ディレクターに就任。従来のクラシック路線からセクシー・エレガンス路線に転換し、世界的なグッチブームを起こします。

それは、60年代のグッチ全盛期のラインナップ以外の無駄な商品ラインナップを削減(約2万点から約5千点まで)したことと、トム・フォード自身の存在感と、マリオ・テスティーノの素晴らしい写真のイメージが生み出した爆発的なブームであり、倒産寸前だったグッチは、約10年間で10倍の売り上げを叩き出すことになります。

そして、世界中の老舗ブランドが、若手のデザイナーをクリエイティブ・ディレクターに起用する流れがここから生まれたのでした。

2000年に入り、トム・フォードは、グッチが買収したイヴ・サンローランのリヴ・ゴーシュのクリエイティヴ・ディレクターも兼任することになります(この時期YSLのフレグランス「M7」や「ニュ」を創造する)。そして、2004年4月退任し、グッチ時代のCEOだったドメニコ・デ・ソーレと共に2005年トム・フォードを設立します。それはメンズファッションからのスタートでした。

2006年、トム・フォード初のフレグランスである「ブラック オーキッド」を発売。そして、2007年、「プライベート ブレンド コレクション」第一弾として、「パープル・パチョリ」を発売します。

10種類もの香りからはじめた理由は、香水メーカーとしての地位を早急に築きたいからです。シャネルといえば「No.5」、イヴ・サンローランといえば「オピウム」でしょ?

それに「ブラック オーキッド」の調香で、ジボダン、フィルメニッヒ、IFF、クエストという最高の4社と協力し、それぞれの会社の気に入った香りがまだまだたくさんあるので世に出したかったからです。

トム・フォード

2008年以降は、『007 慰めの報酬』から『007 スペクター』までの3作品のジェームズ・ボンド・スーツのデザインを担当し、世界中の男性のファッション・アイコンの頂点に登り詰めます。この時こそ、まさにトム・フォードがローマの道に到着した瞬間でした。2011年SSよりレディース・スタート。同時にトム・フォード・ビューティもスタートし、エスティローダーの傘下に入り今に至ります。

ちなみに2011年から「プライベート ブレンド コレクション」のスピンオフとして「ネロリ ポルトフィーノ コレクション」をスタートしています。