ミュゲ ポースレン
原名:Muguet Porcelain
種類:オード・トワレ
ブランド:エルメス
調香師:ジャン=クロード・エレナ
発表年:2016年
対象性別:ユニセックス
価格:100ml/41,360円
公式ホームページ:エルメス
ジャン=クロード・エレナ、最後のエルメッセンス
記憶をたどってみても、いまだかつてこのようなやり方で調香したことはありませんでした。それはまず最初に、直感的に、自分が一番心地よくなる香りを追及してみるところからはじめました。つまりは、この鈴のような花のみずみずしい香りだけでなく、夜明けに朝露と共に花々を包み込む葉の香りも手に入れたいと思いました。
次に香りの専門家として、知的に、この花が放つ冷ややかなオーラと、繊細な乳白色、存在の軽やかさを再現したいと思いました。
そして、私はすっかりスズランの香りに浸りきり、他のすべての感覚をしばし忘れてしまったかのようでした。でもそれは、磁器(ポースレン)のように繊細なこの花の美しさとしなやかな官能を再現するために必要なことだったのです。
ジャン=クロード・エレナ
「地中海の庭」の成功により、2004年にジャン=クロード・エレナはエルメスの初代専属調香師に就任することになりました。そして、≪嗅覚の詩≫とも言える究極のフレグランス・コレクション『エルメッセンス』が誕生しました。
十三作目として、2016年の5月1日に、フランスのスズランの日に発表されたのが、「ミュゲ ポースレン」でした。ミュゲとは、フランス語でスズラン(英語:リリー・オブ・ザ・バレー)を意味し、ポースレンとは、磁器を意味します。つまりこの香りの名は「磁器のようなスズラン」です。
ちなみにスズランがウエディングブーケとして愛される理由は、その花の白さは、アイボリー、イエロー、クリームが一切入り込まない純粋な白さであり、最高級の白磁に見られる、澄んだ明るさと柔らかさを兼ね備えているからなのです。
エレナは、最後のエルメッセンスの香りとしてあえてスズランの香りを選びました。それは、彼が崇拝している伝説の調香師エドモン・ルドニツカのスズランの名香「ディオリシモ」(1956年、ディオール)にどれだけ近づけるか、自分自身に問いかける最後の挑戦でした。
彼(ルドニツカ)は私にとってとても大切な人でした。彼が本物の香水世界の扉を開いてくれたのです。そして、私は、彼がはじめたことをさらに進めていると思いたいのです。
ジャン=クロード・エレナ
さらにこの香りは、2016年までに存在したスズランの香りの集大成として、〝エルメスのスズラン〟を生み出そうとした偉大なる調香師の白鳥の歌でした(そして、彼はこの時、明らかにルイ・ヴィトンの香りのひとつとしてスズランの香りを調香していたジャック・キャヴァリエの「アポジェ」の存在を知っていたはずです)。
エルメスのスズランの香り
スズランとは、その自然な繊細さの中に力強さと神秘性を隠している、という意味において反逆児なのです。
ジャン=クロード・エレナ
スズランは、天然から採取できる香料ではありません。そのため基本的にその香りは合成香料により生み出されます(ヒドロキシシトロネラールという分子がキー成分となる)。
1900年にグラースで初めてそのフォーミュラが作られ、1942年にコティの「ミュゲ デ ボワ」、1956年にディオールの「ディオリシモ」、そして、IFFも独自に開発し、エスティローダーの「ユースデュー」(1953)、クリニークの「アロマティック エリクシール」(1971)といった香水にスズラン・ノートは使われてきました。
しかし、IFRAの規制により、20世紀最高のスズランの香りと言われる「ディオリシモ」の香りは、現在においては、昔の面影無く、全く変わってしまいました。それはルカ・トゥリンが『世界香水ガイド』にて「ディオリシモは急坂を転げ落ちている。ここまで粗悪になれるとは。」と記載したほどでした。
エレナ自身も溺愛し、娘のセリーヌ・エレナが最初につけた香水でもある、ディオリシモ。(エレナ自身はルドニツカに捧げるスズランの香りであることを否定しているが)今は見る影もなくなった偉大なるこのスズランの香りを復活させるべく、彼は自分のスタイルで新時代のスズランの香りを完成させたのでした。
この香りのおいて、エレナは、伝統的なスズランの香りで必ず使われてきた手法(IFRAに制限されてしまったスズランの香りに必要な合成分子)を用いず、これまで誰も成し得なかった別の組み合わせにより、究極のスズランの香りを生み出すという革命を成し遂げたのでした。
それはスズランノートに、バンブーノートとレザーノートを並置するという、想像の域を越えた構成により、嗅覚の俳句とも呼ぶべきスズランが最も美しく輝く瞬間を再現したのでした。
消えてゆくスズランの幻を追いかけたくなる香り
グリーンは、香りの意味を持つ唯一の色です。
『調香師日記』ジャン=クロード・エレナ
私はこの香りを〝晴れやかなヌード〟と考えています。それは過去から現代に至るヌードに対する姿勢、つまり、みるべきものがすべてそこにあるという姿勢です。
ジャン=クロード・エレナ
スズランという花はなぜかよそよそしさを感じさせます。香りを一吹きした瞬間、汚れも傷も知らない、透き通るレモンを感じさせる新緑の香りが、ぱぁ~と広がってゆきます。そして、すぐにひんやりと冷たい朝露のようなみずみずしいバンブーノートに包み込まれていきます。
ジャスミンとローズ、リンデンといったフローラルが折り重なるようにして、繊細な乳白色の磁器を連想させる釣鐘型のスズランの花の香りが生み出されてゆきます。予期せぬメロンノートが隠れており、そのフルーティーさが可憐なスズランの芳香を想像させます。
やがて、クローブを含むわずかにスパイシーなレザーノートが、スズランに存在する孤独な毒を感じさせます。美しい花には毒がある。可憐なだけではなく、スズランの持つ毒性までをも組み込む21世紀最高のミュゲの香りがここに現れるのです。
はっきりとした白と緑のコントラストを感じさせながらも、とても儚く、水で流れて消えてしまいそうな水彩画のタッチで描かれたスズラン…
そんな消えていくスズランの幻をさびしく追いかけてしまう悲しい花の香り。この香りを白鳥の歌にして、エレナはエルメスの専属調香師を退任し、一旦引退するのでした(しかし、エレナのすごい所は、彼は白鳥の歌を二回歌えるのです。2019年に新たな時代を切り開くため復活しました)。
最近では天然のスズランの香料は入手できず、究極のミュゲ「ディオリシモ」のような香りを求めるなら1956年までさかのぼる必要がある。だから新しいミュゲのソリフロールなんて、試香紙とガスクロマトグラフィーと質量分析法を駆使して編み出した、仲間を感心させるためのアカデミックな試作にすぎない。
「ディオリシモ」の中心だったヒドロキシシトロネラールも、現在では使用が制限されている。それでも驚いたことに、ジャン=クロード・エレナは、スズランと呼ぶにふさわしい香りを生み出すことができるのだ。
おまけにその香りはドライダウンまでずっと長持ちする。「ミュゲ ポースレン」はたとえそのほほえみが消えるときでも、他の香水のようにバラバラになるのを断固として許さない。これは技術の驚異であり、一流の調香師による特別授業。
『世界香水ガイドIII』ルカ・トゥリン/タニア・サンチェスより(原書房)
香水データ
香水名:ミュゲ ポースレン
原名:Muguet Porcelain
種類:オード・トワレ
ブランド:エルメス
調香師:ジャン=クロード・エレナ
発表年:2016年
対象性別:ユニセックス
価格:100ml/41,360円
公式ホームページ:エルメス
トップノート:グリーン・ノーツ、洋ナシ
ミドルノート:スズラン、ヘディオン、ネロリ、
ラストノート:ホワイト・ムスク、アニマル・ノーツ