1966年黒人モデルが初めてヴォーグの表紙を飾った
ドニエル・ルナ(1945-1979)。身長188㎝。1945年、ミシガン州デトロイトで生まれる。彼女こそファッションモデルとして人種差別を乗り越えた黒人モデルの第一人者である。当時アメリカでは、マーティン・ルーサー・キングJr.を中心に公民権運動が盛り上がっていました(1968年キング牧師は暗殺されました)。そんな中、1966年3月に黒人モデルとして初めて英国版ヴォーグの表紙を彼女が飾りました(フォトグラファー:デヴィッド・ベイリー)。その時に彼女はパコ・ラバンヌを着ました。
この時、リチャード・アヴェドンとも優先モデル契約を結びます。まさに「黒人の新しい時代のミューズ」として、その手足の長さから生み出されるエキセントリックなポーズでファッションモデル業界の美の概念を覆しました。
ローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズやミック・ジャガーとも親交を結び、スウィンギング・シックスティーズを代表する人となりました。以後、アンディ・ウォーホルの映画にも数本出演し、1969年にはフェデリコ・フェリーニの「サテリコン」にも出演しました。ドニエルは輝かしい栄光の階段を上ろうとしていたのです。しかし、そんな栄光の陰には、消し去れない心の疵が存在していました。1950年に、母親は日ごろから暴力を受けていた父親を射殺していたのです。それも彼女の目の前で・・・
1960年代末より、ドニエルは、LSDを常習するようになっていました。70年代に入り、仕事をキャンセルしたり、レストランで喧嘩をしたりと、トラブルを重ね、キャリアが傾くことになります。そして、1975年4月号のプレイボーイ誌にてヌードを披露する程に落ちぶれました。1979年、1人寂しく、ヘロインのオーバードーズで亡くなりました。
パコ・ラバンヌを魅了したオプ・アート
1964年10月23日号のタイム誌上に不思議な言葉が登場します。それは〝オプ・アート。目を攻撃する絵〟というタイトルから始まる記事でした。ブリジット・ライリーやヴィクトル・ヴァザルリが中心になって、視覚的な錯覚(錯視)を利用したアートを生み出しました。
白と黒が交錯する強烈なグラフィックが〝めまい〟を生み出すのですが、〝心をかき乱す要素〟をファッションに取り込むというファッション史上初の試みに挑んだのが、パコ・ラバンヌとアンドレ・クレージュ、さらに、マリー・クヮントでした。
1968年、パコ・ラバンヌはジェーン・フォンダ主演の「バーバレラ」のコスチュームを担当しました。そして、フランソワーズ・アルディ(1944-)や、ミレーヌ・ファルメール(1961-)といったフレンチ・ポップ・シンガーに愛されるファッション・ブランドになったのです。