すべてはエマニュエル・ベアールのために・・・
エマニュエル・ベアール・ルック フレンチ・メイド
- 白のカチューシャ
- メイド服、ロングスカート
- 黒のロングブーツ
人間は人間の性の衝動に脅えているのである・・・好色漢の恥ずべき情念と聖女自身の情念が同一であることを、聖女は知らずにいる。
『エロティシズム』 ジョルジュ・バタイユ
エマニュエル・ベアールの役柄のイメージは、ルイス・ブニュエル監督の『小間使の日記』(1964)でセレスチーヌを演じたジャンヌ・モローです。
「どうやったら、男性を誘惑することができるの?」とオーギュスティーヌ(イザベル・ユペール)に聞かれて、ヒールの高いロングブーツを椅子の上に投げ出して「女の色気はね。学ぶものじゃなくて、そこにあるかないかだけなのよ。まずは髪型と化粧を変えてみたら?」と答えるルイーズ(ベアール)。
ベアールが本作において最も人々の印象に残る理由は、彼女だけが唯一衣服を着崩していく所にあります。上質なスーツでびしっと決めた男性が着崩れしていく姿に対してときめきを憶える瞬間があるように、メイド服にもその瞬間があります。それもこれも上質なお堅い職業の衣服が崩れていくから美しいのです。安い量産スーツや、安普請のコスプレのメイド服が崩れていっても、それが魅力的ではないのは最初から崩れているからなのです。
それはまさに、カトリーヌ・ドヌーヴが履いていたハイヒールが脱げた瞬間にも共通します。これが、クロックスやスポーツサンダル、スニーカーだと絵になりません。ファッションの真髄とは何か?それはそれを脱いだ瞬間にそのアイテムが、美しいかどうかにあるのです。特にスポーツサンダルなんかは、脱いだ後の絵が、ただ臭そうなだけです。
ベアールが脱いでいくメイド服のパーツがそれぞれ上質であり、彼女自身も気品に溢れているからこそ、彼女は、着崩していく過程で、他のどの共演者よりも遥かに魅力的な存在になったのでした。
コリーヌ・シャルビーの「コイントス」
もし私に完璧なものがあるならば、それは私の眉毛です。そして、私の足です。私は自分の足を愛しています。そして、こう呼びます。〝日本人のような足〟と。他の部分は全て隠したいです。特に私のそばかすが大嫌いです。
エマニュエル・ベアール
8人の中で最もダンスが上手いベアールはミレーヌ・ファルメールの振り付けをイメージして、コリーヌ・シャルビーの1987年の曲「Pile ou Face(コイントス)」を歌います。
この作品において、ベアールは『ローマの休日』(1953)のオードリー・ヘプバーンのように一つの衣装のスタイリングを劇的に変化させ、この物語の女王となったのです。彼女は、ドヌーヴに言い放ちます。「私はずっとあなたに憧れていたのよ」と。そして、肌身離さず彼女が持つ写真の女性は、ロミー・シュナイダーだったのです。この作品は、エマニュエル・ベアールという女優の戴冠式だったとも言えるのかもしれません。彼女は、21世紀のフレンチ・アイコンに登り詰めたのでした。