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シンディ・ローパー

シンディ・ローパー伝説3(3ページ)

シンディ・ローパー
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MTVなしで生み出された全米5位!

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「オール・スルー・ザ・ナイト」 1984年9月リリース。全米5位、全英64位

第四弾シングルは、ミュージック・ビデオなしで全米5位になるという奇跡を果たしました。つまり1984年の夏には、シンディ・ローパーは何をリリースしても、絶対に売れる存在だったのです。80年代を象徴するキラキラしたシンセサイザーに合わせたバラードです。『アンコンディショナル・ラブ』においてもそうなのですが、シンディほど、退屈させないバラードが歌えるシンガーもそういません。

ディック・クラークは私が使い捨ての音楽を作っていると言うの。ポップ・ミュージック、すなわち使い捨てのもの、というわけ。私は「いいえ、この人生で一度も使い捨ての音楽を作ろうとして仕事をしたことはないわ」と言った。

シンディ・ローパー



シンディ・ローパー・スタイル16 トムボーイ・スタイル
  • 白のハイゲージのウールカーディガン、スタッズ付き
  • シルク・カットソー
  • 黒レースのフィンガーレスグローブ
  • バングル盛り
  • スタッズ付き黒レザーベルト
  • ダークトーンのバミューダパンツ
  • 白縁のキャッツアイサングラス
  • 白のレーズのボビーソックス
  • ボーイッシュなバイカラーのダービー



1984年9月21日、トゥナイト・ショー、「シー・バップ」と「オール・スルー・ザ・ナイト」を歌う。シンディの歌唱力が良くわかります。


トゥルー・カラーズ・ワールド・ツアー、1987年、パリ、フランス。

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クラッシュの影響を受けた曲。

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「マネー・チェンジズ・エヴリシング」 1984年12月リリース。全米27位

ボブ・ディランの歌みたいなスタイルの「マネー・チェンジズ・エヴリシング」を聞いたとき、私は「違う風にやってみない?自分が〝ロンドン・コーリング〟を演奏してるんだって思い込んで」と言った。・・・だから、「マネー・チェンジズ・エヴリシング」を聞けば、クラッシュの影響がわかるはず。

パトリック・ルーカス。

エイズがヘア&メイクアップ・アーティストのパトリック・ルーカスみたいな私の友達を変え、弱らせていくのを見た。・・・パトリックは初期の頃、私のメークアップとヘアを作り上げる上で大きな役割を果たしてくれた。・・・ツアー中でヴィダル・サスーンに行けなかったとき、「マネー・チェンジズ・エヴリシング」のために髪のカラーリングをやってくれた。彼は私の髪の付け根をブロンドに、毛先を炎のような赤にした。『ローリング・ストーンズ』の表紙のメークアップもやってくれた。

この曲のビデオ・クリップにてひとつ印象深いファッション・モーメントに出会えます。それは、白と黒の色違いのスニーカーを履いて歌うシンディ・ローパーが確認できることです。

日本にて、赤のパンプスの片方には、赤のソックス。非常にレアな写真。

左右対称のコンバース。

私って全然セックス・シンボルじゃなかったのよ。そんな恰好しなかったから。網ストッキングに、マジックで塗った片方黒、片方白のスニーカーを履いていた。セックス・シンボルみたいに振る舞うこともこともなかった。私は表現の自由と、人と違うことの自由を売っていたのであってーセックスじゃなかった。ほんとよ、あとを追いかけてくる男なんてひとりもいなかったもん。代わりにいたのは悲しい人たちばかり。だって私が歌って癒そうとしていたのはそういう人たちだったんだから。






シンディ・ローパー・スタイル16 デニム・ジャケット
  • ノースリーブにカットしたデニム・ジャケット
  • デニムシャツ
  • 黒レースのフィンガーレスグローブ
  • バングル盛り
  • シルバーのミニスカート
  • 黒の網タイツ
  • ゼブラ柄のハイヒールパンプス


トゥルー・カラーズ・ワールド・ツアー、1987年、パリ、フランス。

トゥルー・カラーズ・ワールド・ツアー、武道館、1986年、日本。