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田中裕子

『天城越え』 日本の美13(3ページ)

田中裕子
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日本映画史上、もっとも魅力的な煙草を吸うシーン

マッチの灯りに照らし出され、暖色に包まれた裕子様の圧倒的な色気。

この表情こそ、日本の能面の美そのものです。

「あにさん、もうやるの?」この時の指の動きがハードボイルドです。

それは沢田研二様も全てを捨てて夢中になるわさ。

お能は「危機の芸術」だといわれますが、それはすべてのものが結晶する、すべてのものが停止する、その一点を目指して、あらゆるものが造られているからです。・・・彼等はそれぞれ孤立することによって、互いの力が均等するところで付き合っている。だからこそ「危機の芸術」といえるのです。

白洲正子

能面をつけずに、能を舞わずして、能の美学を集約することの出来る能力を手にしていた女優・田中裕子様。日本の映画史においても、数少ない、〝女性が魅力的に見える喫煙シーン〟が登場します。そして、このシーンのマッチ箱の行方が実に分かりにくいのですが、それは本作の根幹に関わるポイントとなります。

少しシーンをさらってみましょう。まず、ハナが(裸の女性の描かれた赤色の)マッチ箱を取り出し、怪我をした建造の足の状況を見るために湿気ているマッチを付けようとします。このマッチ箱が、終生、建造が肌身離さず持つことになるものです。

一方、建造は、もう一つのマッチ箱をハナにあげるのです。そして、ハナはそれを使い、煙草に火をつけ、懐中に直し、最初のマッチ箱を捨てようとする所を、建造に静止されるのです。「ください!」と言われ、そのマッチ箱は、建造のものになるのです。

そして、股間をなでさすられ、初めて女性に接触されたことにより、少年のスイッチは入ったのでした。少年は初体験を終える気でいたのでしょうか?それとも、ただただハナの母親のような優しさに夢中になったのでしょうか?恐らく両方なのでしょう。そんな時、大工を見たハナは、一瞬にしてその関係を断ち切るような冷たい反応を示すのでした。そして、少年は、全ての期待を断ち切られることになり、絶望の淵に立たされたのでした。

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田中裕子という女優が、神話になった瞬間。

見ている側もつらくなるシーン。ハナの本性が見えます。

ハナは少年が考えるような女ではなく、やはり女はただの女なのです。

元々は、室田日出男さんが土工役を演じていたが、途中降板しました。

かなりの長まわしで撮影され、本気で、裕子様は嫌がっていたと言われています。

私がもっと小さいころ、 母親が父でない他の男と同じような行為をしていたのを見たことがある。 私は、 そのとき、 それを思いだし、 自分の女が土工に奪われたような気になったのだ。

『天城越え』松本清張

天城峠で少年と遭遇し、その無垢な心に触れ、荒み切った心が浄化されていたハナだったが、汚れきった土工を見た瞬間、性欲を金に結びつける彼女の本能は歯止めが利かなくなりました。恐らく取るに足らない常連客の奪い合いで殺傷沙汰を起こすほどに、ハナは、一本の売春行為でさえも取りこぼしたくない強迫観念の中で生きてきたのでしょう。

だからこそ、最後の最後に、護送されるとき、ハナは、少年を見て、雨が自分の心の汚れを洗い流してくれていることを感じたのでした。この作品が、日本の美の全てを体現している点は、まさにそこにあるのです。それは一人の不幸な星の下に生まれた女性が、人生において至福の瞬間を過ごしている姿を映像に捉えきった所にあるのです。

少女の頃から、身体を売ることだけに終始した(恐らくまともな恋愛も経験せず)23歳になった女性が、純粋無垢な少年に出会い、自分の中の少女の気持ちを蘇らせた瞬間の喜びを心底理解したからこそ、彼女は、〝さよなら〟を選び、死を選んだのでした。そして、これこそが、日本人にしか分からない〝滅びの美学〟なのです。

田中裕子様は、僅か一着の着物の衣装によって、そういった全てを体現させたのでした。