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オードリー・ヘプバーン

オードリー・ヘプバーンのすべて【1954】後編|ジバンシィのランウェイ

オードリー・ヘプバーン
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ユベール・ド・ジバンシィへの、オードリーの友情の証として

アムステルダムの高級デパートでの、チャリティー・ファッション・ショー。オードリー・ヘプバーンが、ジバンシィを着てサプライズ・ゲストとして登場。

オードリー・ルック<1954年>11 カクテル・ドレス
  • デザイナー:ユベール・ド・ジバンシィ
  • ダーク・グリーン・ヴェルベット。ショート・スリーブでキモノスタイル。金と銅のシルクの糸とメタルプレートとクリスタル、スパンコールの刺繍入り。1954/55AW
  • ブレスレットは、ジバンシィがスワロフスキーに発注したもの
  • 黒のカーフレザーの手袋もジバンシィ
  • ブラック・サテンの靴はレネ・マンシーニの1953年SS(ジバンシィのコレクションのためのもの)

1954年11月2日、アムステルダムの高級デパートでの、チャリティー・ファッション・ショーに、オードリーは、ジバンシィを着てサプライズ・ゲストとして登場しました。

そのいきさつはこうです。1954年アカデミー衣装デザイン賞(白黒部門)において、『麗しのサブリナ』が受賞しました。しかし、イーディス・ヘッドのみがクレジットされており、彼女だけの受賞となりました。勿論、ユベール・ド・ジバンシィは、大いに失望したことは言うまでもありません。そして、彼と同じくらい失望していたのが、オードリー・ヘプバーンでした。

オードリーは、ユベールにすぐさま電話をして謝罪しました。そして、『麗しのサブリナ』の3つのジバンシィの衣装を、ヨーロッパのプレミアでフルに着用し、ジバンシィのPRを行いました。さらに、ジバンシィが参加したアムステルダムのチャリティ・ファッション・ショーにオードリーは登場したのでした。こうして以後、2人は、約40年に渡る友情を育むことになりました。

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オードリー、生涯唯一のファッション・ショーへの出演




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オードリー・ルック<1954年>12 イブニング・ガウン
  • デザイナー:ユベール・ド・ジバンシィ
  • 白のフレンチ・レース。パネルスカート。裏地はシルク。1954/55年AW
  • 靴はレネ・マンシーニ。1954/55年AW
1954 - Givenchy Slim, Short, White-Lace Evening Dress with Billowing Long Overskirt, photo by Stephane Tavoularis, Paris

上記と同じもの。

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1954年、二人の関係は永遠のものとなりました。

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L'actrice Audrey Hepburn présente une création du couturier Hubert de Givenchy, lors d'un défilé de mode, en novembre 1954, à Amsterdam. Actress Audrey Hepburn shows a Givenchy model, during a fashion show, in November 1954, in Amsterdam.

オードリー・ルック<1954年>13 オレンジ&ホワイト・カクテルドレス
  • デザイナー:ユベール・ド・ジバンシィ
  • シルク。サイド・パネル。大きいボウをヒップに。1954/55AW
  • 靴はブラックシルク。レネ・マンシーニ(フォー・ジバンシィ)。1954/55年AW
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上記と同じもの。ユベールがフィッティングしています。

ユベールは、21世紀に入り、「もはや最近のファッションには、心がこもっていない」という発言をしています。そして、デザイナーが短期で、色々なデザインを乱発する風潮に対して、「ゆっくりと愛される服を作っていくべきだ」と苦言を呈しています。1988年LVMH社(モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン)に、オートクチュール部門を買収され、創作活動に専念したのですが、「価値観が違いすぎる」という言葉を残し、1995年にユベールは引退しました。