雨の似合う女優は、白鳥のように美しく歩くことが出来る
『哀愁』を見て宝塚時代に私は、ヴィヴィアン・リーの写真を鏡や額に飾り、崇める様になりました。そして、ロンドンで『十二夜』の舞台を見たとき、白鳥が湖面をすべるようにすっとしなやかに歩いているその姿に、こんなに美しく歩く人がいるのかとうっとりしてしまいました。
八千草薫
(彼が出征するために)もう二度と会えないかもしれないと諦めていた「白鳥の湖」を舞うバレリーナ・マイラ。そんな彼女が、思いもかけぬ彼の来訪により、早朝のロンドンの雨の中で、彼に抱きつき、全身で喜びを表現する姿は、まさに白鳥を擬人化したようなヴィヴィアン・リーの念入りな演技が生み出した奇跡の瞬間でした。
雨の中で抱擁を交わす主人公二人のコート姿は、1930~40年代のファッションが持つ、ミニマルと可憐さの絶妙なバランスを教えてくれます。クラシカルなものに秘められたセンスの良さ。そして、この時代の女優に秘められた魔性。ときに、きらめくヴィヴィアン・リーの瞳の中から見える狂気の煌き・・・
マイラ・レスター・ルック4
レインコート
- レインコート
- デイドレスとボウタイ
- レインハット
- 黒手袋
- 黒のハイヒールパンプス
ロバート・テイラーが最後に愛したもの
ロバート・テイラー(1911-1969)のようなハンサムを売りにした俳優にとって最も辛いことは、人はみな老いるという事実です。
裕福な医者の家庭に生まれ、陸上競技で学園のスターであり、チェロを習っていた美少年は、ハリウッドが巨大化する流れにシンクロするように、スターの座に登りつめていきました。
『哀愁』は、そんな彼が絶頂に登りつめる瞬間に生み出された作品でした(その前年には、ハリウッド俳優の誰もが妻にしたいと望む理想の女バーバラ・スタンウィックとの結婚を果たしていた)。しかし、30代半ば以降、彼は生まれも育ちも良い「パーフェクト・ガイ」のイメージに苦しむことになるのでした。
苦難の末、1951年に『クォ・ヴァディス』、翌年の『黒騎士』により、俳優として新たなる境地に到達し、以後、コンスタントに活躍することが出来ました。
そんなロバートが、1969年に肺癌になり、死を宣告された時に望んだことはただひとつでした。それは『哀愁』のフィルムを友人を通じて取り寄せ、鑑賞することでした。それまで彼は過去の自分の映画を見ることを好みませんでした(ちなみにヴィヴィアン・リーは、2年前に死去していました)。
マイラ・レスター・ルック5
メダル・デイドレス
- キャプリーヌ
- デイドレス、バスターブラウン・ホワイト・カラー
- デイドレスとボウタイ
- 黒のショートグローブ
夜の闇に生きる女の戦闘帽=ベレー帽
忍び寄る戦火の中、女は生き抜くために、ベレー帽をかぶり、闇の世界で生きる決意をします。闇の中で怪しく輝くために、女性は、華やかなファッションに身を固めるのです。しかし、その姿は、失った代償の大きさも示しています。
バレリーナだった、純粋無垢な白の衣装から、ダークカラーに変わる瞬間、彼女の世界もまた全ては変わるのです。
この作品の中に、存在する普遍性は、そんな女性にとっての永遠のテーマである心の闇を映し出している所にあります。世の女性のどれだけが、夫や子供の知らない一面の中で生きているのだろうか?そして、資本主義経済の崩壊が加速する今、戦争の時代に進んでいく中の貧困の構図が手に取るように共感できる時代なのです。そうです、今ほど、ファッションが、ボロ切れを身に纏うことに取って代わられている時代は、存在しないのです。
これほどまでに「安くて、いろいろな物を手に入れる」文化に毒されている時代はありません。ミニマルとは、安くても高くても、必要なものだけを選別するセンスを言うのであり、安いものを大量に揃え、配色に気を使い配置することを言うのではないのです。
ファストファッションでどれだけボロ切れを配置してファッションセンスを取り繕うとも、そこから漂うテイストは、ただひとつ「本物を知らぬ、安易なコピー精神」に過ぎないのです。
マイラ・レスター・ルック6
ベレー帽スタイル・夜の女編
- サテンドレス
- ベレー帽
ロイとのはじめての出会いに、マイラはベレー帽をかぶっていたように、思わぬ再会のときにも、彼女はベレー帽をかぶっています。しかし、ファッション自体は180度違うテイストになっているというところが、この作品のベレー帽の使い方の面白さです。
激しすぎる恋愛は女性に対して、不幸を呼び寄せるのでしょうか?彼女のベレー帽は、バレエを失うきっかけを作り、最終的には、命さえも奪うことになったのでした。
作品データ
作品名:哀愁 Waterloo Bridge (1940)
監督:マーヴィン・ルロイ
衣装:エイドリアン/アイリーン
出演者:ヴィヴィアン・リー/ロバート・テイラー