ロー ディベール(ロー ディヴェール)
原名:L’Eau d’Hiver
種類:オード・パルファム
ブランド:フレデリック・マル
調香師:ジャン=クロード・エレナ
発表年:2003年
対象性別:ユニセックス
価格:10ml/8,250円、50ml/29,040円、100ml/42,460円
販売代理店ホームページ:ラトリエ デ パルファム
完璧な香水ほど退屈なものはない
フレデリック・マル:完璧な香水ほど退屈なものはない。おそらく「ロー ディヴェール」は、私のブランドの中でもっとも完璧に近い香りでしょう。
チャンドラー・バール:それはチタン製の時計の香りがする。
「ロー ディヴェール」=「冬の水」。それは雪解けの水、それとも氷になる瞬間の水?いずれにしても、ユニセックスの香りではなく、ノージェンダーの香りです。ジャン=クロード・エレナが創造のために2年を費やした香りです。
ある日、フレデリック・マルが私に質問しました。「あなたは完全に抽象的な香水を作ることが出来ますか?」と。私は、「いいえ。私がそのような香水を作る事は出来ないと思います。」と答えました。
私は抽象画にとても興味があります。しかし、どのように抽象的な香水を作ればよいのか想像もつきません。なぜなら、香水は非常に若い芸術であり、もっと成熟し、進化する必要があるからです。仮に私がそのような香りを作ることが出来たとしても、人々はそれに理解を示さないだろうと思います。しかし、私がそれを作るべきなのでしょう。
ジャン=クロード・エレナ
エレナによって「曇」と名づけられた香り
エレナにとって、フレデリック・マルにおける四作品目となるこの香りのコンセプトは、〝オー ショード(お湯)〟または〝温かいオーデコロン〟を作るという恐ろしい試みでした。
温かさと透明感を調和させるということは調香の世界において、画期的な挑戦でした。というのも、通常、温かい感覚を引き起こす物質は大抵かなり不透明であり、一方で爽やかさをもたらすものはほとんどの場合、透明だからです(=温かみがない)。
つまりオーデコロンでもオリエンタルでもない香りを創造しなければならないという事なのでした。そういった難題を突破するためにエレナが考えたことは、1906年にジャック・ゲランが調香した「アプレロンデ」に、そういったコンセプトを重ねあわせ、新たなる香りを創造することでした。
問題は、もちろんアプレロンデに問題なんてあるはずもないのですが、ひとつだけ挙げれば、装飾が多すぎるという点でした。
一方で、アプレロンデには素晴らしいシヤージュ(香りの軌跡)があり、それは着用者を透き通ったベールで覆いつくします。そこで、私は、このシヤージュを強調し、軽やかでありながらとても存在感がある香水を作れないだろうかと考えたのでした。
ジャン=クロード・エレナ
まるで青空の中に浮かぶ雲のように、柔らかく、心地よさげに、明るく、存在感がありながら、でもそれらは全く存在していないような、つまり、半透明な香りというイメージから、この香りは当初エレナ自身によってNuage(Cloud、曇)と名づけられました。
そして、エレナは、夏の干し草から感じ取る〝暑さ〟〝太陽〟〝重みの無い粉っぽさ〟という概念を香りに組み込んでいきました。そのためにとても貴重なヘイのアブソリュートと、昔よく使われていた合成香料であるオーベピーヌ(アニスアルデヒド、絵の具のような匂いがする)をメチルイオノン(アイリスの匂いがする)、MC-5(ミルキーでムスキーな香り)、天然のハチミツのアブソリュートと合わせてみました。
最初の試作を嗅いだフレデリック・マルは、香りの名を「ロー ディベール」に変えました。
アプレロンデとの香料の共通点はベルガモット、アニス、メチルイオノン(=ヴァイオレット)、アイリス、サンザシ、ムスク、ヘリオトロープです。
ただし、アプレロンデから過剰な装飾を抜き捨て、さらに温かさと透明感を両立させるために、バニラを使用せず、ヘイ(トンカビーンなどを使って合成で作られる干し草の香りで、太陽に温められた干し草のグリーンで甘味のある香り)と蜂蜜といったアプレロンデには使用されていない香料が使用されました。
冬に春を呼び、夏に冬を呼ぶ水
この香りは最も静かな香りの1つです。純粋な静寂です。
チャンドラー・バール
かくして2年の歳月を経て生み出されたこの香りは、アイリスとヘリオトロープを主役に据え、わずか20の香料によって生み出されました。それは真冬に身に纏うと、肌の上に春を呼び、真夏に身に纏うと、肌の上に真冬を呼ぶという、フレグランス史上類まれなる肌体験を生み出す香りでした。
(エレナがほとんど感じ取ることは出来ないだろうと述懐している)爽やかに微かなベルガモットに、ハーバルなアンジェリカが、冬の雪水のようなサクサクとした透明感を生み出すようにしてこの香りははじまります。ジヒドロミルセノールとヘディオン、リナロールが水っぽさを生み出す役割の多くを担っています。
すぐにアーモンドのビターな香りに、蜂蜜が加わりながら、ヘリオトロープとアイリスがクリーミーな甘い温かさで包み込んでくれます。
ここで使用されているヘリオトロープはアーモンドのような香りではなく、ミモザのようなパウダリー・フローラルな香りです。そして、口元にくっついて舐めてみると甘い味がしそうな粉雪のようなハニームスクに包まれてゆきます。
その温かい甘さが、心も身体も許せる包容力のある年上の人に甘えているような安心感を与えてくれます。男女問わず、〝史上最高の寝香水〟として多くの愛好家を持つ香りです。
ヘイ(干し草)・アブソリュートというのは、夏の日差しを液体にしたような香りです。エレナは太陽に満たされた雲の香りを作りたかったのです。ロー ディベールとは〝冬の水〟の意味ですから冷たい水だと思うでしょうが、実際、彼が作ったのは反対で、寒い冬のための熱い水だったのです。
チャンドラー・バール
清少納言の香り
冬はつとめて。雪の降りたるは、いふべきにもあらず。霜などのいと白きも、またさらでもいと寒きに、火など急ぎおこして、炭持てわたるも、いとつきづきし。昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、炭櫃(すびつ)・火桶の火も、白き灰がちになりぬるはわろし。
(冬は早朝がいい。雪が降っているのは、そのよさはいうまでもない。霜などがたいへん白く、またそうでなくてもたいへんな寒い折に、火などを急いでおこして、炭火を持って廊下など通るのも、たいへん折に似つかわしい。昼になって、だんだん寒気がうすらいでゆるむ一方になってゆくと、いろりや火鉢の火も、白い灰がちになってしまうのは、劣った感じがする。)
『枕草子』清少納言
つまり、エレナが香りにしようとしたのは、『枕草子』のこの部分だったのでしょう(エレナは日本の古典文学にも熟知している)。
どうやら香りが、芸術になった瞬間がエルメスの「地中海の庭」だという解釈は間違いでした。その同じ年(エルメス前夜)に発表した「ロー ディベール」において、ジャン=クロード・エレナはすでにその領域に達していたのでした。
そして、何よりも恐ろしいのは、この「冬の水」が、「オリエンタルの水」であるという事実なのです。オリエンタルなのに、透明感があって、軽やかというエレナ以外他の何人にも作れない香りと言っても過言ではないでしょう。
もしある調香師がこの香水をガスクロマトグラフィーしたら、こう言うでしょう。『一体、どうやってこんなの作ったんだ!』って。
ジャン=クロード・エレナ
マルにとっては、スカーレット・ヨハンソンの香り
フレデリック・マルにとってこの香りが連想させるのは、ソフィア・コッポラが監督した2003年の日本を舞台にした映画『ロスト・イン・トランスレーション』のスカーレット・ヨハンソンなのです。
マルは「心が清らかで、温かくて、安心感があり、親密さを感じさせるすべて。とんでもなくチャーミングな彼女の役柄に相応しい香り」と言っています。
ルカ・トゥリンは『世界香水ガイド』で、「ロー ディヴェール」を「冴えないアーモンド」と呼び、「ジャン=クロード・エレナにならうフランスの新しい香水学校が陥りやすいのは、非情なまでに精製し過ぎてしまうことだ。私にいわせると、フランスの作曲家ラヴェルにおかされている。驚くほど精緻に、エレガントに組み合わされたひとつひとつが淡い陽光に包まれている。こういった水っぽい理想郷では間違いなく彼らは褒美もんだが、土臭い官能性はその仲間に入れない。天使はセックスをしないからだ。」
「つまり、私にも褒美をくださいとひたすら請うているひとりの香水原料がいる。それがヘリオトロピンから作られたミモザノートなのだ。エレナがどうやってEUの規制をくぐり抜けてこの原料を手に入れたのか、皆目見当がつかないが、その結果にはうっとりする。哀愁を帯びたパウダリー調のアーモンドと水のアコード。香水界のオフィーリア、ゲランのアプレロンデとキャロンのファルネシアーナに並ぶ。」と4つ星(5段階評価)の評価をつけています。
香水データ
香水名:ロー ディベール(ロー ディヴェール)
原名:L’Eau d’Hiver
種類:オード・パルファム
ブランド:フレデリック・マル
調香師:ジャン=クロード・エレナ
発表年:2003年
対象性別:ユニセックス
価格:10ml/8,250円、50ml/29,040円、100ml/42,460円
販売代理店ホームページ:ラトリエ デ パルファム
シングルノート:アイリス、サンザシ、ジャスミン、ヘリオトロープ、メチルイオノン(=ヴァイオレット)、ベルガモット、ホワイト・ムスク、アンジェリカ、蜂蜜